【ラスティエル視点】始まり
十四歳。学園入学前。
午後のやや傾いた陽光が、高い窓から差し込む。
王宮の図書室は、昼下がりになると不思議と静まる。
人の出入りが少なく、書棚の影が深くなる時間帯だ。
資料を探して歩いている途中、視界の端に何かが引っかかった。
窓際、書架に囲まれた奥の一角。
人の動線から外れた長椅子に、見慣れた銀色。
……セシリア?
積み上げられた本の間に埋もれるように、彼女は腰掛けている。
いや、座っているというより、眠っていた。
本を膝に載せたまま、背もたれに寄りかかり、首がわずかに傾いている。
規律を重んじる彼女にしては珍しい姿だった。
疲れているのか。
そう判断して、足を止める。声をかけるつもりはなかった。
起こす理由もないし、婚約者とはいえ、俺たちはそれを気軽にできるほどの関係ではない。
義務として、丁寧に。
声を荒げることもなく、距離を詰めることもなく。
それ以上を望まないことが、誠実さだと思っていた。
それが、これまでの距離だった。
静かに立ち去ろうとした、その時。
「……ラスティエル、さま……」
呼ばれた気がして、思わず振り返る。
寝息に混じる、か細い声。
夢の中の言葉だと理解するまで、わずかに反応が遅れた。
「いかないで……」
指先だけが、置き去りにされるのを怖がるように、
そっと、しかし離すまいと本の端を掴んでいた。
「……破滅……怖い……」
破滅?
「……避けなきゃ……」
その声は、あまりにも弱々しかった。
普段のセシリアは、いつも落ち着いている。
姿勢も言葉も整っていて、年齢よりずっと大人びて見える。
王宮にいる淑女として、非の打ちどころがない。
だからこそ。
今、目の前で眠る少女が、
不安に押し潰されそうな声を漏らしていることが、
どうしても現実だと結びつかなかった。
……こんな顔、初めて見る。
長い睫毛がわずかに震えている。
眉が寄り、唇は小さく結ばれていた。
守られる前提で育った王宮の人間ばかりを見てきた。
強くあることが当然で、弱さは見せないものだと教えられてきた。
だから――
こんなふうに、眠りの中で泣き出しそうな声を漏らす姿に、
どう反応すればいいのか分からなかった。
……いや。
分からない、で済ませたっていいはずだ。
そう考えたとき胸の奥がざわりと揺れた。
理由もなく、放っておいてはいけない気がした。
怖い、のか
『破滅』
『避けなきゃ』
言葉としての意味は分かる。わからないのはセシリアが何に怯えているかだ。
ただの悪夢かもしれない。
だが、それが彼女にとって現実と同じ重さで迫っているのは、確かだった。
自然と、手が伸びていた。
理由を考えるより先に。
許可なく触れていいのか分からず、強く拳を握りしめる。
せめて、ここにいると分かる距離にいようと思った。
長椅子の端、外から視線が届かない位置を選び、腰を下ろす。
誰かに見られたとしてもそこに居るのは、ただ資料を読んでいる王太子だ。
(俺は、どこにも行かない)
セシリアを独りにはしない。それは自分でも驚くほどはっきりした思考だった。
他の女性を自分の隣に立たせるという選択肢を考える余地すら、なかった。
それが義務なのか、もう決定した婚約者だからなのか、
それとも別の感情なのか。
その時の俺には、まだ分からなかった。
ただ、この少女が独りで怖がる必要はないと、なぜか強く思った。
それからしばらくして、
セシリアは何事もなかったように目を覚ました。
「……あ、殿下。失礼いたしました」
光を受けて淡く揺れる翡翠色の瞳。
いつもの、整った微笑み。
何もなかった顔。
俺は一瞬だけ迷ってから、いつも通りに言った。
「構わない。疲れていたのだろう」
必要以上に踏み込まない。
それが、俺とセシリアの正しい距離だ。
……だが。
その夜から、妙な夢を見るようになった。
隣に立つはずの少女が、
いつの間にか、どこにもいなくなっている夢。
不快というほどではない。
だが、目覚めたあとも妙な違和感だけが消えなかった。
それが、すべての始まりだった。
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溺愛モンスター爆誕前(∩´∀`)∩
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