ラスティエルさま
「……おかえり、セシリア」
再会できた喜びと安堵が、胸の中心から広がっていきます。
会えなかった三週間の寂しさが一気に解放され、感動で胸がいっぱいになる。
涙が出そうなほどの幸福感。
「……はい。ただいま戻りました。ラスティエルさま」
殿下の動きが止まりました。
わたくしの言葉が予想外だったのでしょうか。
抱き寄せてくださっていた腕が、一瞬強張りました。
まるで呼吸すら忘れているように思えます。
「……今、何と」
震える声でした。
「ラスティエルさま、ですが……」
殿下の腕に、ぎゅっと力が込められました。
「……もう一度」
「ラスティエルさま?」
「……うん」
殿下はわたくしの髪に顔を埋められます。
肩が小刻みに震えておられました。
「やっと……やっと、呼んでくれた」
低く掠れた声が、甘く蕩けるようにわたくしの耳朶を震わせます。
わたくしは殿下の胸に顔を埋めました。
「お待たせして申し訳ございません」
「セシリアは何も悪くない」
わたくしの謝罪に、殿下は微笑んで優しく頭を撫でてくださいました。
手が微かに震えています。
その震えにわたくしはどれだけ殿下を傷つけていたかを思い知らされました。
「全部俺が片付けるべきだった。君に、こんな思いをさせたくなかった」
——いいえ、殿下のせいではありません。
わたくしは怖かったのです。
ある日突然、手を離され、温かな想い、眼差し、声が冷たく変化してしまうことが。
だから名前で呼ぶことができなかった。
心の奥底に踏み込むことが、恐ろしかった。
でも、もういい。怖がらなくていいのだと、この腕が教えてくれています。
「いいえ。わたくしも戦いたかったんです。ラスティエルさまの隣に立つために」
「……セシリア」
殿下がわたくしの顔を両手で包み込み、額を合わせられました。
もう離さない、誰にも渡さないと強くその瞳が語っています。
「君は、俺のものだ」
その言葉に、わたくしは微笑みました。
「そして、ラスティエルさまは、わたくしのものです」
殿下の薄紫の瞳が驚いたように見開かれ、そしてとろけるように細められました。
「……ああ、そうだな」
会場から、また拍手が湧き起こります。
——あ。
わたくしははっとして、顔に熱が集まるのを感じました。
そうでした、ここは大勢の目の前だったのです。
殿下はそんなわたくしを見て、愉しそうに笑われました。
「可愛いな」と小さく囁かれて、わたくしはますます顔が熱くなってしまいました。
◇
その後、レヴィーナ王女殿下がわたくしの元へ駆け寄って来られました。
涙を浮かべる王女殿下に、わたくしは優しく微笑みます。
「ごめんなさい……わたくし! 何も知らなくて……セシリア様に酷いことばかり言って……」
わたくしは王女殿下の手を取りました。
貴女は何も悪くない、利用されていただけだとお伝えします。
「それに、貴女の『この国のために』という想いは本物でしたわ。それは、誰にも否定できません」
レヴィーナ王女殿下はわっと泣き出されました。
わたくしは王女殿下を優しく抱きしめます。
「でもね、レヴィーナ様」
わたくしはレヴィーナ様の瞳を見つめ、静かに、けれど真剣な声で続けました。
「純粋な想いは、美しいものです。けれど王族はそれだけでは務まりません。
貴女の純粋さは今回、悪意ある者たちに利用されてしまった。
そして結果的に国益を大きく損なうところだったのです」
王女殿下の肩が、小さく震えます。
「貴女はまだお若い。これから学べます。人を見る目を養い、
誰が本当に国のために動いているのか、誰が私利私欲で動いているのか
——それを見極める力を、どうか磨いてください」
わたくしは王女殿下の涙を拭いました。
「貴女の『国を想う心』は本物です。その心を正しい方向へ導けるよう、強くなってくださいませ」
レヴィーナ王女殿下は、しっかりと頷かれました。
彼女は利用された被害者です。
けれど一歩間違えれば加害者にもなり得たのだということを、彼女は今、理解されたのでしょう。
これは彼女が成長するための、大切な教訓になるはずです。
◇
夜会が終わり、わたくしとラスティエルさまは殿下の執務室で隣合って座りました。
本当に全て終わったのでしょうかと尋ねますと、殿下は頷いてくださいました。
三名は王宮から追放されたとのことでした。
「王宮追放……ということは」
「ああ。もう二度と、宮廷には戻れない」
殿下は冷ややかに言われました。
社交界からも締め出され、爵位剥奪とまではいかないものの、
実質的に貴族社会での地位は失われたも同然です。
加えて、彼らの不正な取引記録は全て調査中とのこと。
罪状次第では、爵位剥奪、領地没収もあり得るのだと殿下は続けられました。
今回の断罪は、そこまで見据えているのです。
わたくしは小さく息を吐きました。
これで、本当に終わったのだと実感します。
「セシリア、君が集めた証言は?」
わたくしは事前に執務室に届けてもらっていた書類をお渡ししました。
十人以上の方々から証言をいただいたと説明しますと、
殿下は書類を受け取り、丁寧に目を通されます。
「……よくやった」
殿下は書類を机に置き、わたくしの手を取られました。
「この証言記録は、今回の断罪の記録と共に、書記官に保管させる。
公的な文書として、『セシリア・フォン・リヒトヴェルトには一切の瑕疵がなかった』と、王宮の記録に残す」
「ラスティエルさま……」
「もう二度と、お前の名誉が傷つけられることがないようにする」
殿下の眼差しは真剣でした。
わたくしの目に涙が浮かびます。
安堵と感謝、そして張り詰めていたものが解けていく。
様々な感情が込み上げて、涙となって溢れました。
「泣くな」
ラスティエルさまが優しく微笑みながら、わたくしの涙を拭ってくださいます。
その仕草が愛おしくて、また涙がこぼれてしまいました。
「君はよく頑張った。これから先も俺の隣にいてくれ」
「もちろんです。わたくしは、ラスティエルさまの婚約者ですもの」
「……ああ」
ラスティエルさまがわたくしを抱きしめられました。
「俺の、婚約者だ」
その腕の中で、わたくしは思います。
破滅フラグは全て折れ、追加コンテンツの陰謀も潰れました。
これで本当に平穏な日々が訪れるはずです――
(……そう、思いたいですわね)
わたくしは殿下の胸に顔を埋めました。
「ラスティエルさま、愛しております」
「……俺も、愛している。セシリア」
あたたかい声が、優しく響きました。
◇
◇
次のエピローグで完結です。




