【ラスティエル視点】無理だ。しんどい。かわいくてしんどい。
セシリアが王宮を離れてから、三週間が経とうとしていた。
三週間。
たった三週間だ。
だが、俺にとっては永遠のように長かった。
薄曇りの午後、執務室の空気はひどく静かだった。
紙束に視線を落としても、集中できるはずがない。
扉が叩かれ、テオドールが入室する。
「殿下、調査結果がまとまりました」
分厚い書類の束が机に置かれ、鈍い音が響いた。
「……全部か?」
「はい。噂を流した使用人の特定、買収の証拠、
アルフレイド・レグナント、エドウィン・アレシュフォード、リシャール・エルロイ、
三名の動きの詳細、全てです」
ページを捲る指が止まる。
下級使用人への金銭の授受、噂を広める組織的な動き、
貴族たちへの根回しの記録。
黒々とした事実が容赦なく紙面を埋めていた。
「……よくやった、テオ」
「ありがとうございます。それから、もう一つ」
「何だ?」
「セシリア様から連絡が。証言を十分に集められたと。
あと二日で王宮に到着されるそうです」
その一言で、胸がぐっと震えた。
ああ、会いたい。早く。
「……やっとか」
「はい」
思わず立ち上がると、椅子の脚が軽く軋んだ。
「テオ、セシリアのために舞台を整えておけ」
「承知しました」
窓辺に歩み寄り、王都を見下ろす。
遠くの鐘の音がかすかに響く。
ようやく、本当にようやく、止まっていた時間が動き出す気がした。
◇
二日後。
夜会の広間は、華やかな装いの者たちと音楽で彩られていた。
だが、俺の意識は別の一点にしか向いていない。
「殿下、すべて不足なく整いました」
テオの普段揺れない声音にも緊張が滲んでいた。
「ああ。良い舞台だ」
会場を見回す。
レヴィーナ王女は会場の中央で楽しそうにしている。
その周囲にはアルフレイド、エドウィン、リシャール。
セルヴァンとフェルミオも控えめに立っていた。
完璧だ。
あとは主役が来るだけ。
夜会のざわめきが波のように広がっていく。
扉が開いた。
「セシリア・フォン・リヒトヴェルト様、ご到着です」
その一言で、胸が一気に熱を帯びた。
視線を向けると、銀の光がゆっくりと歩み入る。
……綺麗だ。
三週間ぶりの姿に息が止まりそうになる。
翡翠の瞳はまっすぐで、背筋はすっと伸びて、薄紫のドレスがよく似合っていた。
俺は無意識に歩き出していた。
気づけばセシリアの前に立ち、その手を取る。
指先の温度が、やわらかくて、ほっとして、
ああ、これだ。ようやく呼吸が戻る。
セシリアが驚いた顔を上げる。
その表情があまりに愛しくて、
返事より先に感情があふれ、
指が自然と彼女の手に絡んでしまう。
抱きしめたい。離したくない。
かわいい……ああ、かわいい。
理性が溶けそうになるのに必死に抗う。
まだ気を抜くわけにはいかない。
「こちらへ。君の隣に居させてほしい」
俺が導くと、セシリアは静かに頷いた。
そして広間の中央へ。
その瞬間――
俺が断罪を宣言しようとした、その直前。
セシリアが俺の手を、そっと押さえた。
「殿下。……ここからは、わたくしが」
小さく、けれど凛とした声だった。
きゅっと結んだ小さな唇。覚悟を決めた強い視線。
不安に揺れていた頃の面影はどこにもなかった。
うわ……だめだ。何だこれ。
尊すぎる。かわいい。強い視線もいい。すごい。
泣きそうなんだが。
頭の中で語彙がどろどろに溶けるのを感じながら、
俺は言葉を失ったままうなずくしかなかった。
◇
セシリアが一歩だけ前に出る。
会場の視線が一斉に彼女へ向いた。
「本日は、王家のご厚意により、この場をお借りいたしました。
セシリア・フォン・リヒトヴェルトより、皆様にお伝えすべきことがございます」
声は柔らかいのに、よく通り、不思議な静けさを伴っていた。
アルフレイド、エドウィン、リシャールの表情が硬直する。
セシリアは静かに続けた。
「まず、王宮内で広まった虚偽の噂について。
その発端と指示を出した人物、金銭の流れ、
使用人への強要と買収の記録。すべて揃っております」
書記官と共に控えていたテオドールが、セシリアの視線を受けて証拠を掲げる。
セシリアの声は冷静で少しも揺れていない。
「アルフレイド・レグナント様。
エドウィン・アレシュフォード様。
リシャール・エルロイ様。
あなた方三名が主導し、王宮内の評判操作を行ったことは、
証拠によって明らかです」
三名の顔色が一気に蒼白になる。
「ち、違――」
「……言い逃れは、おやめくださいませね」
柔らかい声なのに、刃のように鋭い。
会場の空気が一瞬で凍りついた。
「さらに、レヴィーナ王女殿下の善意を利用し、
わたくしを王宮から追い出すための計画を立てたこと。
これも証言にあります」
レヴィーナが震えた声で小さく「そんな……」と呟いた。
セシリアは王女を一瞥し、ただ悲しそうに目を伏せる。
その優しさが、逆に三名の胸を刺していく。
「わたくしは、あなた方の家名を貶めたいわけではございません。
ただ。 誰かの未来を奪うために嘘を積み重ねる行為は、
決してあってはならないものです」
俺は見惚れていた。
気品があって、優しくて、強くて……もう無理。
ほんとに惚れ直す。かわいい。すごい。かわいい。ああああ。
「すでに王家に提出済みの証拠に基づき、
処遇については、王家の判断を仰ぎます」
セシリアがそう言って一歩下がった瞬間、
俺は深く息を吸い込んだ。
「……王家は、セシリアの告発および提出証拠に基づき、
アルフレイド、エドウィン、リシャール三名に対し
王宮からの永久追放を命じる」
会場がどよめいた。
「殿下! 我々は――」
「黙れ」
俺の声が響く。
怒りではなく、ただ事実を告げるだけの声で。
「名門であるならなおのこと、誇りを持て。
卑劣な陰謀は許されない」
三名は崩れ落ち、近衛騎士に連れられて退出した。
◇
その後。
「セルヴァン・オルディアス様、フェルミオ・レンベルド様。
お二人は彼らの企みに直接加担してはいませんでした。
ですが……疑念を抱きながら、目を背けられましたね。
殿下のお側で働くあなた方が、最も犯してはならない罪だと、ご理解していらっしゃますか?」
セルヴァンが深く頭を下げた。
「……申し訳ございません」
「傍観は、時として加担よりも罪深いこともございます。
どうか、今後の戒めとしてお心に刻んでくださいませ」
フェルミオの肩が震える。
彼の視線は真っすぐで、何も言えずに頷いた。
その姿を見つめながら、
俺はまたセシリアへ視線を戻す。
……優しい。
強いのに優しい。気高い。女神か。
かわいい。
無理だ。しんどい。かわいくてしんどい。
ようやく断罪が終わり、
セシリアが小さく息を吐いた、その瞬間。
気づけば俺は、セシリアを抱きしめていた。
小さくて、温かくて、いい匂いがして、
三週間ぶんの渇きを一気に自覚する。
会場から拍手が広がる。
視線を横に流し側近を目の端に捉える。
テオドールは「はぁ……」と組んでいた腕をほどきながら拍手していた。
もういい。テオは今はどうでもいい。
今はセシリアが近くにいる。俺の腕の中だ。
あったかい。
かわいい。
ちいさい。
かわいい。
かわいいかわいいかわいい。
彼女を抱き寄せながら、
ひとつだけ、どうしても言いたくなった。
「……おかえり、セシリア」
「……はい。ただいま戻りました。ラスティエルさま」
◇
◇
IQ下がりすぎてやばい。




