隣国の王女襲来
翌月。
王宮の一角は、朝から来訪準備のため普段よりも人の往来が多く、
空気がそわそわとしていました。
侍従や文官たちが慌ただしく行き交い、そのたびに衣擦れの音が廊下に流れていきます。
わたくしも殿下に付き添い、正面玄関へ向かいました。
公式行事としては規模が小さいものの、隣国の王女殿下を迎える
となれば緊張せざるを得ません。
殿下は普段通りの柔らかな微笑をたたえておられますが、
その眼差しはどこか鋭く、わたくしのすぐ横にぴたりと位置取って離れません。
護衛が二名増員されていることにも気づき不安がよぎりました。
そこへ、豪奢な馬車がゆっくりと正面に到着しました。
扉が開き、姿を現したのは光をまとうような淡い金髪に、
鮮やかなマゼンタ色の瞳を持つ少女でした。
年齢は確か十六歳と伺っております。
しかし、ご自身が王族であることを微塵も疑わないような
堂々とした歩みで馬車を降り立ち、殿下の正面に立つと同時にぱっと表情を明るくしました。
「まあ! 実物の殿下は噂以上に素敵ですわね!」
その声は澄んでいて、よく通ります。
とはいえ、挨拶より先に感想を口にするのは、外交の場ではいささか珍しいでしょう。
ラスティエル殿下が穏やかに微笑んで一礼すると、
レヴィーナ王女はさらに一歩、殿下へ近づきました。
そして、次の瞬間。
「年齢も近いですし、私と貴方が婚姻を結べば、同盟はもっと強くなりますわね!」
……どの場においても、必ず最初に言葉にすべき公式の挨拶は存在するはずです。
にもかかわらず。
にもかかわらず、です。
レヴィーナ王女は、目を輝かせてまっすぐに殿下を見上げながら、
あまりにも自然に、それを初対面の第一声として放たれたのでした。
広間が、水を打ったように静まり返りました。
わたくしの思考も完全に止まり、
横で殿下がわずかに目を細めたことだけが、現実に戻るきっかけになりました。
(……はい?)
意識の中で、そんな言葉しか浮かんできません。
レヴィーナ王女は無邪気そのもので、悪意の欠片も見えません。
ただ、己の思ったことをそのまま口にしただけという純粋さすら感じます。
殿下は丁寧な笑みを保ちながらも、一拍だけ沈黙を置きました。
その間に、すぐ背後でテオドール卿の空気が硬くなるのを感じます。
「王女殿下。お言葉は僥倖ですが、私はセシリアと婚約しておりますので」
殿下は少しも揺らぎません。
ただ事実を静かな声で述べられました。
しかし、レヴィーナ王女は気にした様子もなく。
「まあ! 婚約なさっているのですね。素敵だわ!」
ぱあっと笑顔を向けて、次の瞬間にはわたくしの前にいらっしゃいました。
「あなたが婚約者様? 本当に銀色の髪なのね。珍しいわ!
でも国のためなら、婚約を見直すこともあると聞きましたのよ?」
わたくしは微笑みを保ちつつ、言葉を選びました。
「お初にお目にかかります。セシリア・フォン・リヒトヴェルトと申します。
お褒めの言葉を賜り、恐れ入ります。
そして、わたくしどもは既に婚姻の準備を進めておりますの。
見直しなんてあり得ませんので、ご心配には及びませんわ」
レヴィーナ王女は、小首をかしげ、
まるで難しい問題を考える子供のように眉を顰めました。
「そうなのね。でも……国益のためなら、仕方のないこともありますわよね?」
殿下の表情から色という色が抜け落ちています。
わたくし、寒気が。風邪の引き始めかしら。
今日は気温が少し低いのかもしれませんわね。
ちらりとランスヴェルト卿を見ると、彼も表情がありませんでした。
ど、どうしましょう。空気が冷え冷えですわ。
◇
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