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『伝説の剣も魔法もなし! 営業カバン片手に異世界営業、仲間は胡散臭い商人と肉食獣人少女!』  作者: じろう


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第5話 帳簿に刻まれた影

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夜が明けきらぬうちに、俺たちは荷車を押して村の通りへと出た。

朝露に濡れた石畳は靴底を滑らせ、車輪の鉄輪が軋むたびに低い呻きが響く。

村の家々はまだ戸を閉ざしていたが、窓の隙間から覗く視線は冷たく、疑念を孕んでいた。

「……行くぞ。まずは北の通りからだ」

俺が声をかけると、ライルは肩を回し、ミナは干し肉の包みを抱きしめるようにしてうなずいた。

最初の家の戸を叩くと、年老いた女が顔を出した。

皺だらけの手には干し肉の束が握られている。

「これを……持っていくのかい?」

声は震えていた。

「はい。代わりに卵を二つお渡しします。受領書に印をいただけますか」

俺は深く頭を下げ、紙と朱肉を差し出した。

女はしばらく黙って俺を見つめ、やがて小さくうなずいて印を押した。

「……頼むよ。孫が熱を出してるんだ」

その言葉に、ミナの耳がぴくりと動いた。

彼女は干し肉を抱きしめたまま、子どもの泣き声が奥から聞こえる方へ視線を向ける。

「……健二、早く回収しよう」

ライルが低く言い、俺はうなずいた。

家々を回るごとに、住民の表情は複雑だった。

怒りをあらわにする者、疑念を隠さず睨む者、そして食料との交換に安堵する者。

受領書に並ぶ署名は、数字としては小さな進捗だが、確かな「証拠」として積み重なっていく。

「回収率……少しずつ上がってるな」

俺は受領書の束に小さな印を重ねながら呟いた。

紙に沈む朱の跡が、冷たい現実の中で唯一の温度を持っていた。

夜はすでに深まり、街外れの石畳は冷えた霧に包まれていた。

俺たちは人気の絶えた路地を抜け、灯りの乏しい小さな店の前に立つ。

「……ここか?」

俺が呟くと、ライルが羽根付き帽子を押さえながらにやりと笑った。

「そうだ。腕は確かだぜ」

「肉の匂いはしないな……」

ミナが鼻をひくひくさせ、つまらなそうに尻尾を揺らす。

木製の扉は長年の風雨に晒され、表面はひび割れ、鉄の取っ手は鈍く黒ずんでいた。

俺は息を整え、意を決して扉を押し開ける。

――瞬間、乾いた薬草の強い香りが鼻を刺した。

同時に金属器具が放つ冷たい光が視界を満たす。

「うっ……なんだこの匂い。薬局と理科室を足して二で割ったみたいだな」

「ははっ、慣れろ。商売の裏側は大体こんなもんだ」

ライルは肩をすくめる。

店内は狭く、壁一面を覆う棚には無数の瓶や壺が並んでいた。

中には粉末、濃縮液、乾燥した動植物の欠片が詰められ、それぞれが怪しげな色彩を放ち、淡く揺らめく光に照らされて不気味に輝いている。

「……食えそうなのはどれだ?」

ミナが真顔で瓶を指差す。

「いや、食うな! 絶対食うな!」

俺は慌てて制止した。

そのとき、奥から現れたのは50代前半くらいの魔術師だった。

煤けた外套をまとい、指先には薬品で染まった痕が残っている。

「ほう……珍しい客だな」

低い声が響く。

彼は俺たちの持ち込んだ干し肉を興味深げに眺め、口元に薄い笑みを浮かべた。

「これは……ただの腐敗か、それとも――」

魔術師の目が細く光る。

「……魔力の影が潜んでいるかもしれん」

「ま、魔力!? ただの食中毒じゃないのかよ!」

俺は思わず声を上げた。

ライルは苦笑しながら肩をすくめる。

「ほらな、思った通りだ」

「肉に魔力があるなら……もっと食べたい!」

「いやいや……! ミナが倒れたら困るんだよ。だから今は食べないでくれ」

「腐敗だけなら簡単だが……もし微量の魔力反応があるなら、追加の試薬が必要になるな」

声は冷静で、しかし好奇を含んでいた。

「前金は銀貨三枚。残りは後払いでいい。ただし、結果が出れば商人ギルドも無視はできまい」

ライルが舌打ちする。

「三枚だと? 今の手持ちじゃ……」

俺は彼を制し、銀貨を差し出した。

「残りは必ず払う。だから、今すぐ検査を頼む」

魔術師は銀貨を指先で弄び、やがてうなずいた。

「いいだろう。では始める」

彼は肉片を皿に乗せ、ルーペをかざし、低く呪文を紡いだ。

空気がわずかに震え、青白い光が肉片の表面を走る。

俺たちは息を呑み、結果を待った。

やがて魔術師の眉がひそめられる。

「主因は腐敗だ。ただし……表面に微量の魔力反応がある」

「魔力……?」

ミナが小さく声を上げる。

「偶発か、混入か、あるいは保管中に付着したか。断定には追加の精密検査が必要だな」

その言葉に、俺たちは互いに顔を見合わせた。

腐敗だけなら説明できた。

だが「魔力反応」という一行が、事態を複雑にし、物語をさらに深い闇へと引き込んでいく。

夜更け、宿屋の一室。

古びた梁が時折きしみ、窓を叩く風が細い口笛のように鳴っていた。

外から忍び込む冷気が薄い布のカーテンを揺らし、布が壁に擦れるたびに乾いた音が響く。

卓上のランプは油の匂いを漂わせながら炎を揺らし、光と影を不規則に踊らせていた。

三人の影は壁に重なり合い、伸び縮みを繰り返す。

その揺らぎは、胸の奥に沈む不安をそのまま映し出しているようだった。

――その夜の宿屋は、ただの休息の場ではなく、数字と信用と未来を天秤にかける小さな会議室になっていた。

ライルは椅子に深く腰を下ろし、報告書を指で弾いた。

「……“魔力反応あり”。この一行が厄介だな。腐敗だけなら『保管が悪かった』で済むが、魔力が絡むと話は別だ」

俺はベッドの端に腰を下ろし、額を押さえた。

「つまり……誰かが意図的に仕込んだ可能性があるってことか?」

「そういうことだ」

ライルの声は低く、いつもの胡散臭い笑みは消えていた。

「魔力汚染食品なんてレッテルを貼られたら、商人としては致命傷だ。商人ギルドは俺たちを切り捨てるだろう」

「……肉が悪者にされるのは嫌だ」

ミナがぽつりと呟いた。

干し肉の包みを抱きしめ、耳をぴんと立てている。

「だって、肉は食べられるためにあるんだろ? それを“呪われてる”なんて言われたら……」

俺は苦笑しながらも、彼女の言葉に少し救われた気がした。

「……そうだな。肉そのものに罪はない。問題は、誰が、なんのために魔力を混ぜたかだ」

ライルは指先で机をトントンと叩き、目を細める。

「大商会の妨害か、あるいは……勇者パーティーに供給してる連中の仕業かもしれん。市場を独占するには、おいらたちみたいな小商人を潰すのが一番手っ取り早い」

「勇者……」

俺は思わず息を呑んだ。

「もし勇者案件に絡んでるなら、俺たちが逆らえる相手じゃないぞ」

「逆らうんじゃない。証拠を掴むんだ」

ライルの瞳がランプの光を反射して鋭く光る。

「健二、お前の“保証書”みたいに、信用を積み上げるしかない。数字と証拠で、俺たちが潔白だと示すんだ」

「……数字と証拠、か」

俺は営業カバンを撫で、深く息を吐いた。

頭の奥で、上司の声が蘇る。

《佐藤! 数字は冷たいが、積み上げれば信用になる!》

「よし!」

突然、ミナが立ち上がった。

「なら、私が嗅ぎ分ける! 普通の肉と、魔力の肉! 絶対に見つけてやる!」

「お前……本気か?」

俺が目を丸くすると、ミナは胸を張って尻尾をぶんぶん振った。

「肉のことなら任せろ! 肉は裏切らない!」

ライルが吹き出し、肩を揺らした。

「ははっ、いいじゃないか。肉フィルターの獣人少女と、保証書を振りかざす営業マン。悪くないチームだ」

俺はため息をつきながらも、心の奥に小さな火が灯るのを感じていた。

――魔力反応の真相を暴かない限り、俺たちの営業は終わる。

だが、この二人となら……まだ戦えるかもしれない。

ランプの炎が揺れ、三人の影が壁に重なった。

その影は不安定で頼りなかったが、確かに一つの形を結び始めていた。

翌朝、俺たちは魔術師から受け取った簡易検査の報告書を携え、商人ギルドの建物へと足を運んだ。

朝の光はまだ斜めに差し込み、石壁の隙間に影を濃く落としている。

扉を押し開けると、広間には既に多くの商人が列をなし、紙と金属の擦れる音、低い声のやり取りが重なり合っていた。

俺は革の鞄を抱え、窓口へと進む。

窓口の女性職員は、いつも通り冷たい表情で座っていた。

灰色の瞳は感情を映さず、ただ秤のようにこちらを測る。

ペン先が紙を滑る音が、ざわめきの中で妙に鮮明に響く。

「簡易検査結果の報告です」

俺は報告書を差し出した。

紙はまだ昨夜の湿気を帯びており、インクの濃淡が生々しい。

彼女は無言で受け取り、視線を走らせる。

眉は動かない。

だが、読み進めるにつれてペン先の動きがわずかに速くなった。

「主因は腐敗。ただし、表面に微量の魔力反応あり」

彼女が淡々と読み上げると、背後でライルが小さく舌打ちした。

「……余計な一文だな」

ミナは不安げに干し肉の包みを抱きしめ、耳を伏せる。

「魔力って……やっぱり危ないの?」

俺は答えず、ただ窓口の女性の反応を待った。

やがて彼女は報告書を上層へと回した。

革靴の音が石床に響き、書類が奥へと運ばれていく。

広間のざわめきが一瞬だけ遠のき、俺たちの周囲に冷たい沈黙が落ちた。

長い時間の後、返ってきた答えは冷徹だった。

「仮登録の扱いは引き続き保留とする。差押えは申請に基づき暫定的に停止。ただし、追加検査に要する費用は後日必ず徴収し、未払い分については即時の清算を求める」

その声音は冷ややかで、情の入り込む余地はなかった。

「人の命より帳簿の数字が大事だってのかよ!」

ライルが拳を握りしめ、低く唸る。

俺は唇を噛み、報告書を握りしめた。

数字と規則の論理が、俺たちの努力を冷たく押し返してくる。

その時だった。

窓口の女性が視線を一瞬だけ上げた。

灰色の瞳は相変わらず冷たいが、机の端に置かれた封筒を指先で軽く叩く。

「……補足資料がある場合は、こちらに添付して提出してください」

声は淡々としていたが、その仕草は「抜け道がある」と告げていた。

さらに、彼女は印章を持ち上げ、朱肉に軽く触れさせたまま押さずに止める。

「再調査扱いとすれば、形式上は別枠で処理できます」

朱肉に残った赤がわずかに揺れ、彼女の意図を示していた。

その瞬間、奥から書類を運んできた若い職員がすれ違いざまに小声で囁いた。

「……北棟の検査室なら、費用の一部を研究費で処理できる。申請名目を変えろ」

顔は真っ直ぐ前を向いたまま、声だけが耳に残った。

ライルが驚いたように息を呑み、ミナは小さく頷いた。

俺は深く頭を下げた。

冷たい石造りの広間の中で、仕草と印章と囁きが織りなすわずかな余白が、俺たちにとって唯一の温もりだった。

広間を出た瞬間、外気の冷たさが頬を打った。

だが胸の奥には、ほんのわずかな熱が残っていた。

それは銀貨でも契約でもない、誰かが差し伸べた小さな手のひらの温度。

冷たい石壁に囲まれたギルドの中で、確かに感じた「人の意思」が、俺たちをまだ前へ押し出していた。

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