第3話 干し肉と保証書と小さな赤い印
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女性職員は淡々と指示する。
「これらを村で売りさばいてください。粗利と回収率を提出。達成度に応じて正式登録を検討します」
「……完全に飛び込み営業研修の教材じゃねぇか」
俺が頭を抱える隣で、ライルは指を一本立てた。
「悪貨は情報で良貨に変わる! 売れ残りこそ宝だ!」
「肉があるなら勝ちだ!」
ミナは尻尾をぶんぶん振る。
「お前が食ったら在庫消費だ!」
俺のツッコミに、職員の口元がわずかに動いた。
笑ったのか、いや違う。呼吸だ。
そのとき、女性職員は机の引き出しから一枚の厚紙を取り出した。
「なお、こちらが“実績スタンプ台紙”です。依頼を達成するごとに押印され、規定数に達すれば正式登録となります」
差し出されたのは、羊皮紙を厚紙に貼り付けた台紙。
マス目がびっしり並び、「粗利達成」「回収率」「顧客満足」「納期遵守」などの欄がある。
営業研修でしか見たことのないような項目が整然と印字されている。
マス目の横には、スタンプを押すための小さな円形の枠。
すでにいくつかの欄には、ギルドの紋章をかたどった赤い印が押されていた。
その印はやけに立派で、まるで「ハンコ文化が異世界にまで浸透している」ことを証明しているかのようだ。
「……完全に営業研修のチェックシートだ」
思わず口から漏れる。
さらに下部には「規定数達成で正式登録!」と大きく書かれ、余白には「※不正行為が発覚した場合は全スタンプ無効」と小さな注意書きまで添えられている。
……完全にスタンプラリー。いや、むしろ異世界版のKPI管理表だ。
「スタンプラリーかよ!」
思わず叫ぶ俺に、ライルは満足げに頷いた。
「わかりやすいだろ? 市場は数字で動くんだ」
「肉のスタンプはないのか?」
ミナが真顔で聞く。
「……そんなスタンプないって。あったらミナが独走だな」
さらに女性職員は俺をじろりと見て、冷たく言い放った。
「それと……その服装では不適切です」
俺は自分の姿を見下ろす。
――スーツにネクタイ、革靴。
異世界の石畳にまったく馴染んでいない。
「……いや、これしかないんだけど!?」
ライルが肩をすくめ、倉庫の隣にある売店に並ぶ衣服の棚を顎で示した。
「健二、まずは見た目からだ。営業は第一印象がすべてだぞ」
仕方なく売店に連れて行かれ、俺は麻のシャツと丈夫なズボン、革のベルトを買わされた。
革靴も布靴に履き替え、スーツは丸めて営業カバンに突っ込む。
「……なんか、就活帰りに居酒屋でスーツ脱いだ新卒みたいだな」
「似合ってるぞ!」
ライルが胡散臭い笑みを浮かべる。
「肉屋の店員に見える!」
ミナが尻尾を振る。
「褒めてねぇだろそれ!」
こうして俺は、スーツを脱ぎ捨て、異世界仕様の営業スタイルに着替えた。
だが手にした“実績スタンプ台紙”の重みが、妙に現実的で胃にのしかかってくる。
そのとき、倉庫の隣から歓声が聞こえてきた。
「さすが勇者様!」
「これで魔王軍も恐れるに足りません!」
覗いてみると、勇者パーティーが豪華な補給を受けていた。
新品の武具が並び、上質な食料が山積みされ、護衛付きの馬車まで用意されている。
職員たちは笑顔で列を作り、手際よく積み込みを進める。
町人たちは憧れの眼差しを向けていた。
女性職員は、俺たちのボロい荷車を一瞥し、事務的に補足した。
「勇者案件は、回転が早く、支払いが確実です。つまり、商業ギルドにとって最優先です」
一方の俺は、ボロい荷車に売れ残りの干し肉と割れた壺を積み込んでいる。
荷車の車輪は重さで悲鳴を上げ、俺の心も同じく悲観的になった。
「……同じ転移者なのに、格差がひどすぎないか?」
思わず漏れた俺のボヤきに、ライルが肩をすくめる。
「格差は市場だ。だからこそ、逆転の余地があるんだろ?」
ミナは干し肉を抱えて満面の笑み。
「肉を積めば勝ちだ!」
「だから食うなって!」
……いや、俺だけが真剣に格差を嘆いてる気がするんだけど!?
《佐藤! 笑顔で第一声だ!だが、相手の痛みを聞け。数字は後からついてくる》
耳の奥で声が聞こえる。
倉庫で売れ残りの干し肉や割れた壺を荷車に積み込んだ俺たちは、近隣の村へと向かった。
荷車の車輪はギシギシと悲鳴を上げ、俺の心も同じ音を立てていた。
「……これを売りさばけって、完全に飛び込み営業研修じゃねぇか」
俺はため息をつく。
その瞬間、頭の奥で声が響いた。
《佐藤! 営業はまず“笑顔での第一声”からだ! 飛び込みは玄関で勝負が決まる!》
……やめろ部長、異世界にまでついて来るな。
村に着くと、農民たちがこちらを警戒していた。
ライルが胡散臭い笑みで叫ぶ。
「さぁさぁお立ち会い! 奇跡の万能薬だよ!」
「……怪しい」
村人たちが一斉に眉をひそめる。
「肉はあるか!?」
ミナが屋台に突撃。
「お前は営業妨害だろ!」
俺は即ツッコミを入れつつ、仕方なく前に出た。
「えっと……困っていることはありませんか?」
農具の修理に困っている農民が手を挙げる。
「鍬が折れてしまってな……新しいのを買う金もない」
《佐藤! 顧客の“ニーズ”を引き出せ! 質問だ、質問!》
「なるほど、つまり修理後の安心が欲しい、で合っていますか?」
俺は条件反射で口にしていた。
農民は目を丸くする。
「お、おう……そうだな」
《よし佐藤! 次は“提案”だ! 提案は“相手の不安を消す形”で》
俺は営業カバンから紙を取り出し、即席で「保証書」を書き上げた。
「修理後一ヶ月、無償再調整保証。支払は収穫後の分割可。違約時は私が肩代わりします」
「この保証書があれば、修理後も安心です!」
農民の目が輝く。
「おお……信用できる!」
《最後は“クロージング”だ! 契約を迫れ!》
「では、この条件で契約成立ということでよろしいですか?」
俺は深々と頭を下げた。
「頼む!」
農民が力強くうなずく。
「ありがとうございます!」
思わず声が裏返る俺。
……これ完全に営業研修のロールプレイだな。
「よし、代金は倍だ!」
ライルが口を挟む。
「お前は“悪い例”の押し売り研修か!」
「肉をおまけにつけろ!」
ミナが叫ぶ。
「お前は“的外れ例”の研修か!」
村人は苦笑しつつも、保証書を大事そうに抱えた。
その笑いは、俺たちの荷車より少しだけ軽かった。
そのときだった。
「うまい! この干し肉、最高だ!」
ミナが勝手に干し肉をかじりながら、村の通りを歩き回っていた。
尻尾をぶんぶん振り、口いっぱいに肉を詰め込みながら叫ぶ。
「見ろよ! あの獣人が食べてるぞ!」
「獣人が平気で食べるなら、きっと安全だ!」
「いや、むしろ旨いに違いない!」
村人たちがざわめき、次々と財布を取り出す。
気づけば、売れ残りの干し肉は飛ぶように売れていった。
「お、おいミナ! それ営業妨害どころか、勝手に試食販売じゃねぇか!」
俺は頭を抱えた。
だが、村人たちの笑顔と、次々に積み上がる契約書が現実を物語っていた。
結果的に、干し肉在庫はほぼ完売。
お金を持っていない村人たちは笑顔で干し肉を抱え、代わりに卵や野菜を差し出してくれた。
「助かったよ!」
その言葉は確かに温かかった。
村で数件の修理契約を取り付けた俺たちは、荷車を引いて再びギルドに戻った。
……だが、女性職員は冷たく言い放った。
「物々交換は“粗利”に含まれません」
窓口の女性職員は、俺の差し出した契約書を一枚ずつ確認していた。
羽ペンの先が止まり、わずかに眉が動き、視線が俺に向けられる。
「……この保証書、あなたが作成したのですか?」
「えっ、あ、はい! 即席ですけど……」
思わず背筋が伸びる俺。
「……この保証書、署名欄の下に“再調整保証”とありますね」
「あ、はい! 農民さんが不安そうだったので……つい」
俺は慌てて頭を下げる。
女性職員はしばし黙り込み、やがて小さく息を吐いた。
「……珍しい。転移者の多くは力や勢いで契約を取りますが、あなたは“信用”を売っている。顧客の不安を先に潰し、支払い条件を現実に即して調整している。……商人としては、悪くありません」
女性職員は契約書の余白を指でなぞり、淡々と告げた。
その声音は冷たいままだった。
だが、次の瞬間――ほんの一瞬だけ、彼女の口元がわずかに緩んだ。
笑ったのか、それとも気のせいか。
気づいたときには、もういつもの無表情に戻っていた。
「おおっ……!」
思わず声が裏返る俺。
ライルが横でにやりと笑う。
「ほらな健二、やっぱりお前は商人向きだ」
「肉の保証はないのか?」
ミナが干し肉をかじりながら首をかしげる。
「……そんな保証書あるか!」
俺は即ツッコミを入れたが、胸の奥が少しだけ熱くなっていた。
冷たい視線しか見せなかった女性職員の口から出た、ほんの一言の評価。 そして、確かに見えた“柔らかさ”。 それは勇者案件の金色スタンプには遠く及ばない。
けれど、俺にとっては――確かに「認められた」証だった。
女性職員は再び契約書を見直し、淡々と書類を重ね直す。
「粗利、回収率、顧客満足……条件を満たしています。では、押印します」
カシャン、と金属製のスタンプ台が机に置かれる。
女性職員が淡々と台紙に印を押すと、小さな赤い紋章が一つだけ増えた。
女性職員が無駄のない動作で台紙に印を押し終え、机に戻した瞬間、後ろで小さな物音がした。
振り返ると、隣の窓口にいる年配の職員が苦笑を浮かべ、手に小さな封筒を持ってこちらを見ていた。
「新人は努力が見えると嬉しいもんだ。急場の経費にでも使え」
彼がぽつりと言うと、女性職員の表情が一瞬だけ和らいだ。
言葉は交わさず、彼女はそっと封筒を受け取り、無言でこちらに差し出した。
封筒の中には銀貨が二枚と、小さく折りたたまれたメモが一枚入っていた。
メモにはただ一行――「数字は大事だが、人の顔を見るのを忘れるな」と書かれている。
俺は言葉を失い、胸の奥がじんわり暖かくなった。
ミナの尻尾がぴくりと震えた。
ライルはにやりと笑い、軽く肩を叩く。
年配の職員は軽く会釈して自分の窓口へ戻っていった。
女性職員は何も言わず書類を整え直す。
だが、その手つきは先ほどよりわずかに安定して見えた。
封筒を握りしめた掌に、じんわりとした温かさが広がる。
小さな赤い印一つ。
だが、その隣に置かれた銀貨二枚と短い言葉が、これから積み上がるものの質を示しているように思えた。
「おお……!」
思わず声が漏れる俺。
「やったな健二! これで一歩前進だ!」
ライルが肩を叩く。
それは、勇者案件での依頼で得る金色の大判スタンプに比べれば、あまりにも小さく、地味で、頼りない。
だが、俺にとっては――異世界で初めて積み上げた「数字」だった。
「……これが、俺の実績……」
思わず呟いた声は、自分でも驚くほど震えていた。
ライルは軽く笑い、もう一度肩を叩く。
「一歩目だ、健二。数字は積み上げれば信用になる」
ミナは首をかしげながら、台紙を覗き込む。
「肉のスタンプはないのか?」
「……そんなのあるわけないだろ。でも、あったらミナが一番集めるだろうな」
俺は苦笑しながら返した。
視線は自然と台紙に戻る。 小さな赤い印が、やけに重く見えた。
――勇者案件の金色スタンプには遠く及ばない。
けれど、この小さな一歩を積み重ねるしか、俺には道がない。




