第24.5話 裏章:毒の流し方
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1.見えない水源
ノワルマルシュ、グランツ商会支部。 窓の外では、アルカ浮遊魔導学院の来訪に沸く街の歓声が、遠い潮騒のように響いていた。
だが、支部長室の空気は、深海の底のように静まり返っている。 策士ヴェルナーは、手元のチェス盤に視線を落としたまま、影のように控える男――商会の裏仕事を取り仕切る『情報屋』に淡々と指示を出した。
「噂を流せ。ただし、我々の口からではない」
ヴェルナーは、盤上の黒いポーンを指先で撫でる。
「まずは下町のスラム、賭博場のゴロツキに『金になるネタ』として漏らせ。奴らが酒場で得意げに喋り、それを聞いた給仕が市場で主婦に囁く……。水源は濁った泥水だが、川下に届く頃には『真実』という名の清流に変わっている」
「内容は?」
「『獣人の村から流れてきた黒い石は、呪われている』だ」
ヴェルナーは冷酷に笑った。
「あいつらは森の奥で、邪神の儀式に使った石を売っている。だからあんなに安く、あんなに純度が高いのだ、とな。……人は、理解できない高品質よりも、納得しやすい悪意の方を信じる生き物だ」
情報屋がニヤリと笑い、闇に消える。 数時間後には、市場の空気は一変しているだろう。 「安いから買う」という大衆の心理に、「怖いから避ける」という釘を打ち込む。 それは、商売の邪魔をする最も効率的な毒だった。
◇
2.粗悪な模造品
同時刻。商会直属の『闇工房』。 ここは地図にも載っていない、地下の粗悪品製造ラインだ。
薄暗い部屋で、職人たちが廃棄寸前のクズ鉱石に、怪しげな黒い塗料を塗りたくっている。 そこへ、ヴェルナーが足を踏み入れた。
「出来栄えは?」
「へい。……こんな感じです」
職工長が差し出したのは、小瓶に入った黒い粉末だ。 ラベルには、健二たちの商会名を模した文字が印字されている。 だが、インクが少し滲み、紙質もわざと粗悪なものが使われていた。
「少し雑すぎませんか? これじゃ偽物だとバレます」
「それでいい」
ヴェルナーは小瓶を受け取り、光にかざした。
「完璧な偽物を作る必要はない。むしろ、『本物と微妙に違う』という違和感こそが重要だ。客はこれを見て思うだろう。『やっぱり、獣人の作るものは粗雑だ』と」
彼はその小瓶を、職工長に投げ返した。
「これを、市内の『評判の悪い工房』や『経営の苦しい魔導具店』に格安で卸せ。奴らは飛びつく。そして、その粗悪な粉を使って機械を壊し、こう叫ぶのだ。『騙された! あのアカツキ商会の黒魔銀のせいで、大事な商売道具が壊れた!』とな」
被害者はサクラでいい。 だが、壊れた機械と、怒りの声は本物として記録される。 その既成事実さえあれば、あとは「正義」が勝手に動いてくれる。
◇
3.権威への着火
上空、アルカ浮遊魔導学院。 第3魔導研究室では、ガリウス教授が苛立ちを募らせていた。
「ええい、まだ原因は分からんのか! なぜインクが安定しない!」
そこへ、一人の学生(グランツ商会からの奨学生)が、おずおずと入ってくる。
「き、教授。実は……街の市場で『安くて高品質な黒魔銀』が手に入ると聞きまして、試してみたのですが……」
学生が差し出したのは、先ほど闇工房で作られた『偽造黒魔銀』だった。 ガリウスは藁にもすがる思いでそれをひったくる。
「純度が高いだと? 貸してみろ!」
ガリウスは検証もせず、その粉末を触媒炉に放り込んだ。 ――その瞬間。
ボォォォンッ!!
赤黒い炎が噴き上がり、実験器具が爆ぜた。 黒煙が研究室に充満し、ガリウスは咳き込みながら床に這いつくばる。
「な、なんだこれは……! 魔力が逆流したぞ!」
「も、申し訳ありません! まさか『呪い』が本当だったなんて……!」
学生がわざとらしく叫ぶ。 煤けた顔のガリウスの元に、タイミングを見計らったように一通の書簡が届く。 差出人は、グランツ商会支部長。
『――急啓。昨今、未認可の危険な鉱石が出回っており、それがインク品質低下(不純物混入)の原因となっている懸念がございます。学院の権威を守るため、くれぐれもご注意を……』
ガリウスの手の中で、書簡がくしゃりと握りつぶされた。 彼のプライドは傷つけられ、怒りの矛先は明確に定まった。
「おのれ……! どこの馬の骨とも知れぬ小商人が、粗悪品をばら撒いて私の研究を妨害しているのか! 許さん……徹底的に排除してやる!」
着火は完了した。 これで、学院という巨大な暴力装置が、健二たちを潰すために動き出す。
◇
4.最初の火種
ノワルマルシュの支部長室。 ヴェルナーは静かに羽ペンを置いた。
「市場は、毒を信じた者から壊れていく」
彼は窓の外を見下ろす。 街はまだ、学院の来訪に浮かれている。 だが、その喧騒の裏で、最初の悲鳴が上がろうとしていた。
――市場の片隅。 小遣いをはたいて、露店で『格安の黒魔銀(偽物)』を買った魔導具好きの少年がいた。 彼が家に帰り、宝物である自作の魔導ランプにその粉を入れた瞬間。
パリンッ。
小さな破裂音と共にランプが砕け、少年の手に破片が突き刺さる。 赤い血が滴り落ち、黒い粉の上に染みを作った。
「うわぁぁぁん! 壊れたぁ!」
少年の泣き声が響く。 駆けつけた母親が、その黒い粉を見て顔色を変える。 「やっぱり、あの噂は本当だったんだわ……!」
その小さな火種は、明日には業火となって、健二たちの店を焼き尽くすだろう。 彼らが気づいた頃には、もう手遅れだ。




