第24話 巨大船来航
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『帳簿記録:森の黒魔銀、サンプル確保。――この黒い石ころが、空飛ぶ巨船を支えているらしい。世の中、何が支柱になるか分からないものだ』
◇
1.空の上の憂鬱
雲海の上――高度三千メートル。
常識という枠を軽々と否定する巨大な影が、蒼穹を滑っていた。
『アルカ浮遊魔導学院』。
全長は数キロ。
白亜の流線型を描く艦体は、豪華客船を何十倍にも膨張させたような優雅さを保ちながら、甲板には尖塔やドームが見事な調和を成して並ぶ。
無数の魔導推進機が低い唸りを響かせ、青白い光跡を雲海へ引き散らすその姿は、知識の聖域であると同時に――揺るぎない権威の象徴だった。
その船内、第3魔導研究室。 神経質な指先が、羽ペンを机に叩きつける音が響いた。
「……またか! また、出力が安定しない!」
声を荒げたのは、実利派の筆頭教授、ガリウスだ。 彼の目の前では、書きかけの魔法陣が不快な異音を立てて明滅し、やがて焦げ臭い煙を上げて霧散した。
「インクの粘度が低すぎる! 魔力の定着率がこれでは、初等科の授業すらままならんぞ!」
ガリウスはインク壺を睨みつけた。 中に入っているのは、漆黒の液体――『神聖文字記述用インク』。 魔法陣や契約書、そして『神授の原本』のメンテナンスに不可欠な触媒だ。
助手が青ざめた顔で報告する。
「も、申し訳ありません。納入業者のグランツ商会からは、『最高級品』として納品されたのですが……」
「これが最高級品だと? 不純物が混じって魔力伝導が濁っているのが分からんのか!」
ガリウスはインク壺を振った。チャプ、と軽い音がする。 本来なら、蜂蜜のように重く、魔力を吸い込むような粘度があるはずなのだ。
「……最近、質の低下が著しい。原石の『黒魔銀』の採掘量が落ちているという報告だが……それにしても酷すぎる」
ガリウスは舷窓の外、遥か眼下に広がる雲海を睨みつけた。 その視線の先には、商人の都ノワルマルシュがある。
「学院長による『王都大神殿』のメンテナンス儀式は来月だ。その時にこんな粗悪品を使えば、儀式は失敗する。……いや、それどころか、学院の権威が地に落ちるぞ」
彼は決断し、艦内通信機を掴んだ。
「ブリッジへ繋げ! 予定を変更する。本艦はこれよりノワルマルシュ上空へ停泊、緊急視察を行う!」 「は? しかし教授、予定には……」
「黙れ! 供給網が腐っているなら、直接メスを入れるまでだ!」
空を行く象牙の船が、ゆっくりと舳先を下げる。 彼らはまだ知らない。 腐敗の原因が原石不足ではなく、自分たちが手を組んでいる商会の「中抜き」にあることを。
◇
2.策士の計算
一方、地上。ノワルマルシュ、グランツ商会支部。 静まり返った執務室で、一枚の報告書が暖炉の火にくべられた。
「……上空にて、学院の魔導反応を確認。やはり、降りてくるか」
揺らめく炎を見つめながら、通称『策士』と呼ばれる男、ヴェルナーが独りごちる。 手元のチェス盤には、黒と白の駒が複雑に配置されていた。
ゴッズの失態により『黒魔銀』の原石ルートは奪われた。 そして今、品質低下に業を煮やした最大の顧客(アルカ学院)が、直接乗り込んでこようとしている。 凡庸な商人ならパニックになる局面だ。
だが、ヴェルナーは盤上の黒いポーン(歩兵)を指で弾き飛ばした。 カツン、と乾いた音がして、駒が床に転がる。
「タイミングとしては悪くない。……あの小商人が持っている『純度100%の原石』が学院の目に触れれば、我々の不正(混ぜ物)は一発で露呈する」
彼の細い指が、次の一手を求めて空を彷徨う。 健二という小商人は、物流の「血管」を握った。 ならば、その血管に「毒」を流せばいい。
「学院の実利派はプライドが高い。『品質』よりも『権威』を重んじる生き物だ」
ヴェルナーは、盤上の白いナイト(騎士)をつまみ上げた。 不規則な動きで敵陣を掻き回す、厄介な駒。
「手配を。……市中に『粗悪な黒魔銀が出回っている』と噂を流せ。出所不明の素材はすべて『未認可の呪物』であるとな」
彼は口元に冷酷な笑みを浮かべ、ベルを鳴らす。
「質が良いだけでは商品は売れない。信用という包装紙が汚れていれば、中身が宝石でもゴミ扱いされる。……学院が到着する前に、彼らの商品を『産業廃棄物』に仕立て上げろ」
空からの来訪者を、断罪の剣として利用する。 それが、商戦のルールだ。
◇
3.舞い降りる巨影
翌日の昼。 俺たちがノワルマルシュに戻り、店先に「産地直送」の黒魔銀を並べようとしていた時のことだ。
ふと、周囲が暗くなった。 雲などない快晴のはずなのに、巨大な日傘をさされたように、街全体が影に覆われたのだ。
「……なんだ?」
俺が見上げると、そこには信じられない光景があった。 空に、とてつもなく巨大な船が停泊していた。
それは海を行く船ではない。 白亜の装甲に覆われた流線型の船体は、街ひとつを飲み込むほどの質量を持ち、甲板の上には尖塔やドーム状の学舎が美しく配置されている。 まるで、世界を旅する超豪華客船が、そのまま空へと舞い上がったかのような威容だ。
「うわぁ……! 健二、見て! 空におっきな船が浮いてる!」
ミナが尻尾をちぎれんばかりに振りながら、空を指差して飛び跳ねる。 街中の人々が足を止め、口を開けて空を見上げていた。 歓声が上がり、どこからともなく歓迎の鐘の音が響き渡る。
「『アルカ浮遊魔導学院』だ……。まさか、こんな時期に寄港するとはな」
隣でライルが帽子を押さえ、険しい顔で空を見上げていた。 その目には、ミナのような興奮はない。あるのは、商売人特有の警戒心だ。
「……空飛ぶ市場の到来か、あるいは徴税官か。どっちにしろ、ロクなことじゃねぇな」
俺は呆然と、その圧倒的な質量を見上げていた。 かつての世界で見た、横浜港に停泊する豪華客船や、米軍の航空母艦。 それらすら霞むほどの、空を圧する白亜の城塞。
(人間は、ここまで巨大なものを空に浮かせるのか……)
美しい。だが、同時に恐ろしい。
その圧倒的な威圧感は、俺の古傷を疼かせた。
大卒で入った大手企業の、高層階の会議室。 個人の想いや現場の悲鳴なんて届かない、冷徹な『組織の論理』に押し潰され、何度も無力感を噛み締めたあの日々。 俺はあの巨大な歯車の一部になるのが嫌で、そこを飛び出したんじゃなかったか。
ふと、俺は営業カバンの中の『黒魔銀』を強く抱きしめた。 あの船を飛ばしている燃料の一部は、きっとこの石だ。 獣人の村から搾取し、ゴッズが運び、グランツ商会が中抜きし、そしてこの空の上の楽園へと吸い上げられる。
(……これが、この世界の『食物連鎖』の頂点か)
村が根っこなら、商会は茎。そしてあの巨船は、養分を吸って咲き誇る大輪の花だ。 俺たちが相手にしようとしているのは、ただの悪徳商人じゃない。 この世界を回している、巨大な「構造」そのものなんだ。
だが、今の俺はもう、ただの新入社員じゃない。 物流の現場で泥にまみれ、数字と信頼を積み上げてきた「商人」だ。
底面から噴き出す魔力推進の青い光が、地上の埃を巻き上げる。 巨大な質量がゆっくりと高度を下げるその風圧で、屋台の天幕がバタバタと音を立てた。
あの優雅で巨大な船の中で、今まさに俺たちの商品の運命を左右する歯車が、軋みながら回り始めていることを、俺は肌で感じていた。
空からの来訪者。 それは、新たな商機の到来か、それとも破滅の使者か。 これは表と裏の、“巨大な市場の構造”を暴く戦いになる。
物流戦争の第二幕が、巨大な影と共に降りてきた。




