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『伝説の剣も魔法もなし! 営業カバン片手に異世界営業、仲間は胡散臭い商人と肉食獣人少女!』  作者: じろう


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第17話 綻びる鞄と忍び寄る軍靴

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王都クレールヴァルの重苦しい空気を背に、俺たちは商人の街・首都ノワルマルシュへと戻ってきた。

石畳の大通りには、いつもの活気が溢れている。

色とりどりの天幕、呼び込みの声、スパイスと鉄と埃の混じった匂い。

獣人、ドワーフ、エルフ――多種多様な種族が行き交うこの街は、王都の整然とした冷たさとは対照的で、どこか肌に馴染む。

「ん〜っ! やっぱりこっちの匂いの方がいい! お腹が空く匂いがする!」

ミナが大きく息を吸い込み、尻尾をぶんぶん振る。

「王都はなんか、鼻がムズムズして落ち着かなかったもん」

「そりゃそうだ。あそこは『規則』で動く街だが、ここは『欲望』で動く街だからな」

ライルが羽根付き帽子を直しながら、ニヤリと笑う。

「おいらたちにとっちゃ、こっちがホームグラウンドだ」

勇者ロシュたちも、少し肩の力が抜けたようだ。

「……確かに。王都の空気は、戦場より疲れるな」

戦士ザルドが大剣を担ぎ直し、苦笑する。

「全くだ。魔物の方がよっぽどいいぜ」

「何言ってるのよ。あんなのは王都のほんの一部よ。軍部はもっと恐ろしいわよ」

魔法使いレティアは呆れた口調だったが、その瞳には警戒の色が残っていた。

そんな会話を交わしながら大通りの分岐点まで来たところで、勇者ロシュが足を止めた。

「さて、俺たちは一旦ここで別行動にしよう」

ロシュは背後の熊僧侶グラウに視線を向ける。

「まずはグラウの祈祷鈴をどうにかしないとな。あの戦いで砕け散ったものを、マリナさんが銀で繋ぎ止めてくれたが……あくまで応急処置だ。このままじゃ、肝心な時に結界が張れない」

グラウは腰から、継ぎ接ぎだらけの祈祷鈴を取り出し、愛おしげに撫でた。

「……ああ。《ヴァルグルム指揮官》の攻撃を受け止め、命を守ってくれた鈴だ。新品を買うという手もあるが、この『銀の継ぎ目』ごと直してくれる職人がいれば……」

それを聞いたライルが、顎で西の方角をしゃくった。

「なら、西区画の『鉄と銀の通り』に行きな。あそこにはドワーフの腕利き細工師が集まってる。砕けた魔導具を蘇らせるのが得意な偏屈ジジイもいるって噂だ。……ま、勇者様だからって足元見られて、法外な修理費をふっかけられないように気をつけなよ?」

「ははっ、その時はライルの名前を出して値切るさ」

ザルドが豪快に笑い、大剣を担ぎ直す。

ロシュは表情を引き締め、健二に向き直った。

「それと、俺たちは冒険者ギルドの方にも顔を出してくる。今回の遠征の第一報を入れて、生存報告をしておかないとな。詳細な報告書はお前たちとすり合わせてからにするが、顔を見せないと向こうもうるさい」

健二は営業カバンを抱え直し、うなずいた。

「わかりました。僕らも、まずは商人ギルドに顔を出して、遠征の完了報告をしておきます」

「ああ。用事が済んだら、商人ギルドで合流しよう。そこで詳細な報告と……今後の対策会議だ」

ロシュの言葉に、レティアが静かに付け加える。

「ええ。議会が動いている以上、悠長にはしていられないわ。夕方までには必ず合流しましょう」

「お肉も買ってきてね!」

ミナが手を振ると、勇者パーティーの面々は苦笑しながら手を振り返し、職人街の方へと歩き去っていった。

俺は営業カバンを抱え直し、ホッと息をついた。

(色々あったが、とりあえず戻ってこれた。まずはギルドに報告して、それから――)

日本製の合皮は異境の埃と重みで縫い目が悲鳴を上げていたのかもしれない。

その時だった。

ブチッ。

乾いた音がして、手にかかる重みがふっと消えた。

「……え?」

見下ろすと、俺の相棒――会社支給の営業カバンが、石畳の上に無惨に転がっていた。

持ち手が千切れ、底の角には大きな穴が空き、中から筆記用具や電卓やミニメジャーがこぼれ出ている。

「ああっ!? 俺のカバンが……!!」

俺は慌てて拾い上げる。

ブラックホールに吸い込まれた時も、こっちの世界に来てからずっと一緒だった相棒。

日本の合成皮革は頑丈だったが、異世界の過酷な環境と、詰め込みすぎた魔導具や干し肉の重さに、ついに限界が来たらしい。

「……ごめんな。無理させたな」

俺は無惨な姿になったカバンを撫でた。

それは、俺が「ただの日本の営業マン」だった最後の証が、役目を終えた瞬間のようにも思えた。

ライルが覗き込み、肩をすくめる。

「まあ、寿命だろ。異世界の荒波に揉まれすぎたんだ。……これじゃギルドに持ってくのも恥ずかしいぜ」

「うう……でも、これがないと資料が……」

「なら、新しいのを買えばいい。ちょうどいい店を知ってる」

ライルが顎で路地裏を指した。

「表通りの高級店じゃねぇが、丈夫で使い勝手のいい袋物を売る雑貨屋がある。……ちょっと入り組んだ場所だがな」

俺たちは大通りを外れ、ライルの案内で路地裏へと足を踏み入れた。

表の喧騒が遠のき、建物の影が濃くなる。

石畳はひび割れ、湿った苔の匂いが漂うエリアだ。

普段なら商人の抜け道として使われる場所だが、今日はどこか空気が淀んでいた。

ミナがふと、足を止めた。

垂れた耳がぴくりと動き、鼻をひくひくと動かす。

「……変な匂い」

「変な匂い? 生ゴミか?」

俺が聞くと、ミナは首を横に振った。

「ううん。もっと……冷たくて、硬い匂い。鉄と、油と……ここの人たちとは違う匂いがする」

その言葉に、ライルが鋭い視線を周囲に走らせた。

路地の角、酒場の軒先、荷運び人として歩く男たち。

一見すると、ノワルマルシュの日常風景だ。

だが、ライルの目が細められる。

「……なるほどな」

ライルが小声で呟いた。

「健二、目線を動かすなよ。……あそこの荷運び人、見てみろ」

俺はさりげなく視線を向ける。

重そうな木箱を担いだ男が二人、すれ違っていくところだった。

「……ただの荷運び人に見えるけど?」

「歩き方だ。荷物が重いふりをしてるが、重心が安定しすぎてる。それに、靴底の減り方が商人のそれじゃねぇ。……ありゃあ、軍靴の足音を消す訓練を受けた歩き方だ」

俺は背筋が冷たくなるのを感じた。

「軍靴……?」

「ああ。ネズミが入り込んでやがる。それも、質の悪い軍隊ネズミだ」

ライルの声から、胡散臭い笑みが消えていた。

商人の街に、軍部の密偵。

その意味するところは一つしかない。

「……俺たちが持ってる『証拠』を狙ってるのか」

俺は壊れたカバンを強く抱きしめた。

雷紋の欠片、そしてSOS魔導符の記録。

それらは、ただの商売道具じゃない。

命を繋ぐための切り札だ。

「急ごう。新しいカバンを買ったら、すぐにギルドだ。……悠長に買い物してる場合じゃなくなった」

雑貨屋で丈夫な麻布と革でできた実用的なカバン――色気はないが頑丈そのものな「商人袋」を購入し、俺たちは足早に商人ギルドへと向かった。

商人ギルド、一階受付。

俺たちは受付カウンターに立つ、灰色の瞳に眼鏡をかけた女性――イレーネ・グレイアに詰め寄った。

彼女は帳簿から顔を上げ、冷静にこちらを見た。

「健二さん。顔色が悪いですが……」

「イレーネさん、至急、閲覧室を使わせてください。外界から完全に遮断できる部屋です」

俺は声を潜め、手元の「貨物」――布で覆った樽を示した。

「こちらが、雷紋の欠片と共に運んだ『貨物』です。中には幼体が封入されています。これをギルド幹部に直接見せ、実務的証拠として押さえたいんです」

イレーネの瞳が鋭く光る。

彼女は一瞬だけ視線を俺たちの背後に走らせ、すぐに頷いた。

「……わかりました。北棟の特別閲覧室を手配します。あそこなら魔導印で封鎖可能です」

案内された閲覧室は、重い空気に満ちていた。

厚い木扉に刻まれた商人ギルドの紋章が、昼の光を遮っている。

机の上には魔導記録灯が小さく青く輝き、写刻版が整然と並んでいる。

外の市場の喧騒は、ここでは遠い別世界の雑音に過ぎなかった。

「荷車をここに据えろ」

ギルドマスターは淡々と言い放ち、職員たちが荷車をゆっくりと引き寄せた。

木箱ではなく大きな丸木の樽が一つ、厳重に縄で括られている。

樽の表面には、かすれた着色と古い物流印、そして部分的に塗り直された赤い線があった。

正面の執務机ではなく、この閲覧室に直接降りてきたギルドマスター。

まだ若いが、その眼光は冷徹で、感情を一切挟まない「現場主義」の男として知られている。

そしてその傍らには、杖をついた老人が立っていた。

先代ギルドマスターにして、現「議長」。

かつて審問室で、俺たちの数字を「命を救う」と認めてくれたあの老人だ。

「――報告は聞いた」

ギルドマスターが、樽を見つめながら言った。

「遠征の成功、そしてSOS魔導符の確認。……よくやったと言いたいところだが、状況が変わった」

彼の視線が、俺たちを射抜く。

「王都の記録庁アーカイブ・セントラルから連絡が入った。魔導灯のログ解析により、『人型ヴァルグルム』の存在が公になりかけている」

「公に……? それは、いいことなんじゃ……」

俺が口を開きかけると、議長が静かに首を振った。

「そう単純ではないのじゃよ、健二くん。 『魔物は討伐対象である』という前提が崩れれば、過去の戦争はどうなる? 軍部のメンツはどうなる? ……今、王都では有識者が集まる『勇者議会』が紛糾しておる」

ギルドマスターが冷たく引き継ぐ。

「勇者議会は『隠蔽』と『研究』で割れ、冒険者ギルドは『現場の判断を尊重しろ』と反発している。そして何より厄介なのが――軍部だ」

「軍部……」

路地裏で感じた視線を思い出し、俺は息を呑んだ。

「奴らは魔物を『脅威』として殲滅するか、あるいは『兵器』として利用価値を見出すか……どちらにせよ、君たちが持っている『感情を持つ魔物の証拠』は、彼らにとって不都合、あるいは喉から手が出るほど欲しい素材だ」

ギルドマスターは閲覧室の窓の外――ノワルマルシュの街を見た。

「既に密偵が入り込んでいるという報告もある。物理的な妨害に出るのも時間の問題だろう」

「そんな……私たちはただ、命を保護しただけなのに!」

ミナが声を上げる。

ギルドマスターは振り返り、冷徹な目で言った。

「だからこそ、守りたければ戦え。……商人らしく、な」

彼はそう言って、手で樽を示した。

「中身を見せろ。開封は公正に、魔力による干渉を避けて行う」

健二は一歩前に出て、声を抑えて言った。

「中身は――幼体です。狼型ヴァルグルム一体と、子供獣人型が一人。外傷はあるが、敵性波動は検出されません。現場での応急処置と保護措置を施しました。記録を取ってください」

議長が杖を床につけ、静かに視線を巡らせた。

「手順通りにやるのじゃ。開封は公正に、魔力による干渉を避けて行う。カリナ・アーベル、結界の準備を頼む」

カリナ・アーベル――北棟検査室の主である彼女は、肩越しに頷き、羽ペンを一度握る手を止めてから、机の隅の小さな紋章石に呪文をかける。

石の周囲に淡い紋章が浮かび上がり、閲覧室の空気が瞬間的に引き締まる。

幹部数名、冒険者ギルドの代表幹部、公証人、そして写刻係が正面に整列する。

公証人は羊皮紙を取り出し、印章を手にしていた。

窓の外の光が一瞬、薄く影を落とす。

栓は魔導符で封じられていた。

カリナは小型の魔導灯型器具を懐から取り出し、短い真言をつぶやきながら点火した。

青白い光が穏やかに広がり、周囲の魔力の共振がふっと鈍るのが視覚的にわかった。

反魔導灯アンチグリッドだ。これで符の能動性を一時的に落とす。持続は短いから、手順は素早く正確にな」

灯の光が符文を包み込むと、栓の輝きがやや沈み、紐を解く衝撃が抑えられた。

カリナが符の縁を指先でなぞると、符文が青白く光を帯びる。

紐を解く音がし、栓がゆっくり外れる。

湿った木の匂い、腐敗ではない生臭さ、そして――低い、怯えた呼吸が漏れた。

樽の中で目を細める狼型の幼体は、暗闇に慣れぬ瞳でこちらを見返す。

毛皮はまだ柔らかく、血の痕は少ないが、尾は細く擦り切れていた。

小さな獣人の子は、震えながら身体を丸めている。

ミナが膝をついて、そっと樽の縁に顔を寄せた。

垂れた耳がわずかに持ち上がる。

鼻を深く吸い込み、目を閉じる。

彼女の嗅覚は、場にいる誰よりも早く事実を取り出してきた。

「救難波形の匂い。保護薬の匂いも混じってる」

ミナの声は震えていなかった。

嗅ぎ分けた事実だけを淡々と告げる。

写刻版が微かな音を立て、魔力波形を走査する。

青い光が幼体の上を滑り、写刻版に模様を写し取ると、公証人が眉を寄せながら羊皮紙に記録を取った。

「波形は救難特有。敵性の反発波は観測されず、非敵対的フェロモンが検出される」

カリナ・アーベルがデータを読み上げると、幹部の一人が冷えた声で言った。

「要は、これらは討伐対象として処理されるべきものではないと示している、と」

健二は詰めかけた人々の顔を見回し、電卓代わりの魔導算盤を取り出して叩き始めた。

彼は既に現場で集めた数値(保護に必要な初期コスト、治療成功率、保護下での再社会化率の推定)を頭に入れていた。 資料は散らばっているが、その場で一次試算を示すことが出来る。

「初期治療費用は、応急処置と隔離措置、定期的な栄養投与を含めて平均で三十日分の運用で【銀貨×120】程度。治療成功率は現状の内科・結界併用で推定68%。長期保護を行えば、再社会化の期待値は45%前後に高まる」

その数値に、議長が静かに頷いた。

「初期コスト銀貨120……軍が主張する『殲滅コスト推定銀貨200』より遥かに安いな」

だがその時、写刻版の端が微かに震えた。

外部の遠隔索敵が短い波動で接触したのだ。

カリナ・アーベルの顔色が一瞬変わる。

「――干渉。外部からの小規模索定反応。軍部の遠隔索敵装置の痕跡です。近隣で観測された小型観測結晶の波形が残っている。方角は北西の屋根伝いだ。……この写刻版は特注品だからな、細かな痕跡まで拾えるのだよ。遠隔観察の痕跡だ」

カリナが写刻版を指し示し、少し誇らしげに言った。

公証人が狼狽するほどではないが、室内の空気は急に冷たくなる。

幾人かの幹部が視線を窓の外へやる。

これが、密偵が近くにいる証拠だ。

「やつらは観察しておる」

議長が低く言った。

「我らは記録を分散保存する。写刻版の半分はこれより直ちに密封し、別の写刻版に転写して外部に送る。ギルドの物流網を使い、複数のルートで議会へ届けるのだ」

ギルドマスターは健二を睨むように見て言った。

「これで十分だ。だが忘れるな、健二。君らがこれを『数字』として組み立て、議会に叩きつけるまでは誰も信じん。軍部は口先で正義を語うが、数字に弱いわけではない。明日の夕方までに完璧な報告書を持って来い。さすれば我らは表向きに君らを守ろう」

健二は新しい商人袋を握り締め、眼差しを固くした。

樽の小さな胸の鼓動が、まるで時間を刻むかのように聞こえた。

「……やります。数字で積み上げて、証明してみせます」

そして、写刻版のひとつが密封され、ギルドの情報屋たちが夜の内に複数のルートへと飛び出していった。

閲覧室の静寂の中で、ミナはそっと樽に手を伸ばし、震える幼体の頭を優しく撫でた。

感情は記録されないが、その指先のぬくもりは確かに存在した。

閲覧室での緊張が解け、幼体たちが安全な場所へと移送された後、俺たちはギルド内の小会議室へと場所を移した。

ほどなくして、重厚な扉がノックされ、勇者ロシュたちが姿を現した。

「待たせたな。……なんだか、随分と空気が重いじゃないか」

ロシュが部屋の張り詰めた空気を感じ取り、眉をひそめる。

「ロシュさん! よかった、無事に戻ってこれて」

俺が駆け寄ると、後ろにいた熊僧侶グラウが、腰の祈祷鈴を軽く鳴らして見せた。

「おかげさまでな。西区画のドワーフは噂通りの偏屈者だったが……マリナ殿の銀の継ぎ目を見て『いい仕事だ』と唸っておったよ。補強を兼ねて、綺麗に打ち直してくれた」

鈴の音は、以前よりも澄んで、力強く響いた。

「冒険者ギルドの方も、話は通してきたわ」

魔法使いレティアが椅子を引きながら、報告を始める。

「ギルド長は激怒していたわよ。『現場の命懸けの判断を、安全な会議室で裁く気か』ってね。王都の議会に対して、正式に抗議文を出す準備をしてくれているわ」

戦士ザルドが大剣をドカッと壁に立てかけ、腕を組む。

「だが、軍部の動きも掴んでた。冒険者ギルドの周りにも、妙な視線があったからな。……で、こっちはどうだったんだ? 商人ギルドの狸親父……いや、議長たちは」

俺は深く息を吸い、ギルドマスターから突きつけられた「条件」を伝えた。

軍部の介入、密偵の存在、そして――明日の夕方までに「完璧な報告書」を出さなければ、全てが揉み消されるという事実を。

「……なるほどな。数字で殴り返す、か」

ロシュが厳しい顔で頷く。

「剣で戦うなら俺たちの出番だが、議会と軍部を相手にするなら、お前の『武器』が一番有効だ」

「でも、専門的な魔導用語や、軍部を納得させる理論武装は一人じゃきついわよ」

レティアが俺の方を見て、不敵に微笑んだ。

「魔力波形の解析データや、生態学的な観点からの記述……私が手伝うわ。魔導学院アカデミーの論文形式で、ぐうの音も出ないような書類に仕上げてあげる」

「レティアさん……! 助かります、それなら百人力だ!」

俺が身を乗り出すと、ライルもニヤリと笑った。

「なら、おいらは外の見張りだな。路地裏のネズミどもがこれ以上近づかないように、商人ギルドの連中と連携して警戒網を張るさ」

「あたしは、健二とレティアにお夜食を運ぶ係!」

ミナが手を挙げると、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。

ロシュが俺の肩に手を置いた。

「健二。戦場ではお前が俺たちを支えてくれた。今度は俺たちが支える番だ。……ここが正念場だな」

「はい。……絶対に、通してみせます」

俺たちは互いに頷き合い、それぞれの役割を確認した。

敵は軍部と議会。

武器はペンと数字。

場所をノワルマルシュの商人ギルド近くにある安宿〈麦束亭〉に移し、決戦前夜の作業が始まる。

その夜。

俺たちが泊まる麦束亭の部屋は、臨時の「レポート課題部屋」になっていた。

机の上には、今回の遠征で得た全てのデータ、ミナの証言メモ、ジョゼアの戦闘記録が散乱している。

「ここ、匂いの表現じゃ軍部には通じないわね」

魔法使いレティアが、羽ペンを走らせながら眉をひそめる。

彼女の知性は、この書類作成において強力な武器だった。

「『泣いてる匂い』じゃなくて……『対象個体からの非敵対的フェロモン及び、救難信号特有の魔力波形を観測』……これならどう?」

「採用。さすがレティアさん、翻訳が完璧だ」

俺は電卓(代わりの魔導算盤)を弾きながら、構成を練り直す。

定性的な「感情」を、定量的な「データ」へ。

現場の「空気」を、議会に通じる「論理」へ。

それは、かつて日本の営業職で培ったスキルそのものだった。

「保護運用コストは、初期で銀貨120前後。軍部の殲滅コスト200と比較して、約4割の削減効果。 さらに再社会化の成功率を45%と置けば、長期的には労働力としてのプラス転換も見込める」

健二が算出した数字が、羊皮紙に次々と刻まれていく。

感情論で訴えるのではない。「助けたほうが得だ」という、冷徹なまでの経済合理性。

それこそが、軍部という巨大な組織に対抗できる唯一の剣だった。

「おいおい、根詰めすぎて倒れるなよ」

ライルが窓際から外を覗き、カーテンの隙間を指で閉じた。

その声は低い。

「……外、増えてるぜ」

「え?」

「路地裏のネズミどもだ。宿を取り囲むように配置についてやがる。……こりゃあ、報告書が完成するのを待って奪う気か、それとも完成する前に潰す気か」

ミナがガバッと顔を上げた。垂れ耳が少し持ち上がり、鼻がひくつく。

「……来る」

「え?」

「鉄と血の匂い……さっきより、すごく濃い! ……階段を、上がってきてる!」

その瞬間、宿屋の廊下で、ギシッ……と床板が鳴る音がした。

商人の足音ではない。

殺気を殺しきれない、軍靴の重い響き。

俺は書きかけの報告書を新しいカバンに放り込み、叫んだ。

「来るぞ!!」

ドンッ!! ドアノブが回されるより早く、扉が蹴破られた。

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