第11話 見世物と算盤
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一日目 ―
首都ノワルマルシュの市場は、朝から喧騒に包まれていた。
石畳の広場には荷車がひしめき、香辛料や焼きたてのパンの匂いが入り混じる。
露店の呼び声が飛び交い、値切り交渉の声と笑い声が重なり合い、まるで街そのものが脈打っているかのようだった。
健二は地図を抱え、ライルと共に人混みを縫うように歩いた。
「護衛を雇うにしても、腕利きはもう押さえられてるな……」
ライルが舌打ちする。
彼の視線の先では、屈強な傭兵たちが既に契約済みの札を首から下げ、グランツ商会の使者に連れられていくところだった。
「なら、残り物を拾うしかない」
健二は冷静に答えた。
「ただし“残り物”でも、数字で組み合わせれば戦力になる」
彼は露店の掲示板に貼られた依頼書を一枚一枚確認し、条件を細かくメモしていく。
「おい兄ちゃん、護衛探してるのか?」
声をかけてきたのは、まだ若い冒険者風の男だった。
革鎧は擦り切れているが、目は真剣だ。
「夜間の見張り経験は?」
健二が問う。
「村の見張り台で二年ほど……ただ、魔物退治は数えるほどしか」
「十分だ。荷車の護衛と兼任で雇う。日当は銀貨三枚、食事付き」
男の目が見開かれる。
「そ、そんなに……! 銀貨三枚あれば、家族が一週間は暮らせる……!」
「その代わり、夜目の良さを活かしてもらう。数字で見れば、君の価値はそこにある」
ライルが横で苦笑する。
「お前……人材市場を漁ってるみてぇだな」
「市場だよ。人も物も、数字で価値を測れる」
健二はさらりと答えた。
さらに別の候補者――年配の傭兵が近づいてきた。
「俺は腕は鈍ったが、馬の扱いは得意だ。荷車を壊さず運ぶ自信がある」
「なら、日当は銀貨二枚。護衛よりも御者として雇う」
「……安いな」
「だが、三日分で銀貨六枚。庶民の半月分の暮らしにはなる」
傭兵はしばし考え、うなずいた。
次に訪れたのは荷車職人の店。
「この荷車、金貨一枚だ」
職人が胸を張る。
「高すぎるな」
健二は即答した。
「軸が甘い。長距離はもたない。三年落ちだろう」
「なっ……素人が何を言う!」
健二は木材の密度を指で叩き、重量を測るように持ち上げた。
「木目の詰まり具合からして、耐久はあと一年半。銀貨五枚が妥当だ」
職人は口を尖らせたが、結局は折れた。
「……わかったよ。銀貨五枚で持ってけ」
ライルが感心したように口笛を吹く。
「お前、商人ってより監査官だな」
「数字は嘘をつかない」
健二は短く答え、帳簿に記録をつけた。
その頃、ミナは市場の裏路地に足を踏み入れていた。
表の喧騒とは打って変わって、薄暗い路地には湿った石壁の匂いと、古い木箱の埃っぽさが漂っている。ミナは鼻をひくつかせた。
「……冷たい匂い。鉄と……油の匂い」
振り返ると、黒衣の影がすっと消える。
一瞬、壁際に光る金属の反射が見えた。
短剣の鞘か、それとも監視用の魔導具か。
「グランツ……」
ミナは小さく呟き、健二の袖をぎゅっと握った。
健二は一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに表情を整える。
「……気づかれているな。だが、こちらも数字で追い返す」
市場の喧騒の中、三人の周囲だけがわずかに冷え込んだように感じられた。
首都ノワルマルシュの巨大な市場は、ただの商いの場ではなく、すでに静かな戦場となりつつあった。
二日目 ―
翌朝、首都ノワルマルシュの中央広場は、祭りのような熱気に包まれていた。
石畳の広場を埋め尽くす人、人、人。
屋台の煙が立ちのぼり、香ばしい肉の匂いと甘い菓子の香りが入り混じる。
子どもたちは綿菓子を手に走り回り、商人たちは「今だけ値引き!」と声を張り上げる。
今日は年に一度の「勇者ランキング発表祭典」
冒険者ギルドと商人ギルドが合同で主催する一大イベントである。
壇上に立つ司会役のギルド職員が、やけに張り切った声を響かせた。
「さぁお待ちかね! 今年の勇者ランキング、いよいよ発表でございますーっ!」
広場中央に据えられた魔導具――「双面投影水晶」が光を放ち、各国の勇者たちの姿と紋章を映し出す。
「帝国所属Sランク勇者、グラディウス!」
「北方連邦所属Aランク勇者、イルマ!」
光の投影が切り替わるたびに群衆は「おおーっ!」と歓声を上げ、拍手と口笛が飛び交った。
「やっぱ帝国の勇者は肩幅からして違うな!」
「北方連邦のやつ、去年より髪が増えてるぞ!」
観客のツッコミ混じりの歓声に、司会役は「そこは戦績を見てください!」と必死にフォローする。
屋台の売り子も負けじと声を張り上げる。
「串焼き三本で銅貨二枚! 勇者より安いよー!」
観客の半分はそちらに流れ、肉の焼ける匂いに夢中になった。
やがて、司会役が大げさに巻物を広げ、わざとらしく咳払いをする。
「それではぁ〜、いよいよBランクの発表に参りましょう!」
――の前にっ!
司会役が急に声を張り直す。
「その前に、今年のS・Aランク勇者の中から、特別功績者――MVPの発表です!」
群衆がざわめき、屋台の売り子も「えっ、まだ続くの?」と苦笑する。
「今年のMVPは……Aランク勇者、ジョゼア・フェン・セルジーヌ!」
双面投影水晶が再び光を放ち、渓谷の映像が浮かび上がる。
風が裂け、砂が渦を巻き、瘴気を纏った飛行魔物が急降下する。
その中で、ひとりの獣人女性が岩の縁に立っていた。
サバトラの毛並みが風に揺れ、銀鈴が低く鳴る。
彼女は静かに符を描き、爪結晶を弾く。
「――行くよ、私だけで」
魔剣が震え、瞳が琥珀から白金へと変わる。
瘴気の翼が振り下ろされる瞬間、彼女は姿を薄くし、渾身の一歩で距離を詰める。
刃が風を裂き、獣の側腹を深くえぐる。
映像が止まり、司会役が声を震わせる。
「渓谷の孤闘――仲間不在の中、上位魔物を単独で討伐。 魔素の代償を背負いながらも、任務を完遂したその姿は、まさに“誇りと代償の象徴”!」
観客の一部が静かに息を呑み、子どもたちが「猫の勇者だ!」と旗を振る。
屋台の売り子がぽつりと呟く。
「……魚、後で食べるって言ってたな。かっけぇな」
健二はその映像を見ながら、拳を握った。
(……数字で証明する。あの人も、誰も見てない場所で戦ってる)
そして、司会役が巻物をめくり直す。
「それではぁ〜、いよいよBランクの発表に参りましょう!」
群衆の熱気は一瞬だけ落ち着き、屋台の売り子が「はいはい、今のうちに買っとけー!」と声を張り上げる。
Sランクのときは押し合いへし合いだった観客も、Bランクになると串焼きを頬張りながら片手間に拍手を送る程度だった。
「Bランク第七位! リュミエール王国勇者パーティー!」
ぱらぱら……と乾いた拍手。
「……誰?」と首をかしげる観客の声。
「がんばってねー!」と無邪気に叫ぶ子どもの声。
その温度差が、壇上に立つ勇者たちの胸にじわりと刺さる。
戦士は「ちっ……」と舌打ちし、拳を握りしめた。
僧侶は「でも、誠実さは伝わってるはず」と自分に言い聞かせる。
魔法使いは冷静に「昨年より一つ順位が上がった。数字上は前進だ」と分析していた。
勇者本人は笑顔を作りながらも、心の奥で拳を握りしめていた。
「……俺たちは、ただの見世物じゃない」
広場の片隅では、酔っ払いの男が大声で叫んでいた。
「Bランク? ははっ、俺の女房のほうが強ぇぞ!」
周囲の観客が笑い、屋台の売り子が「はいはい、酔っ払いは黙って串焼き食ってろ!」と返す。
一方で、子どもたちは手作りの旗を振りながら「がんばれー!」と声を張り上げていた。
その声は小さくとも、勇者たちの胸に確かに届いていた。
群衆の熱気が少しずつ冷め、紙吹雪が石畳に降り積もる。
健二は人混みを抜け、広場の裏手にある石壁の影に身を寄せた。
そこは舞台裏に通じる搬入口。屋台の煙が届かず、空気がひんやりとしていた。
そのとき、足音が近づく。
振り返ると、勇者がひとり、マントの裾を揺らして歩いてきた。
互いに驚いたように目が合う。
「……あんたか」
勇者が立ち止まり、短く言った。
「偶然だな」
健二も応じる。
ふたりの間に、しばし沈黙が流れた。
遠くで音楽隊が陽気に演奏を始める。
が、この場所には届かない。
「……あの祭典、どう思った?」
勇者の声は低く、どこか乾いていた。
健二は少し考え、答えた。
「数字は、見せ物になる。でも、積み上げたものは消えない」
勇者は目を細めた。
「……あんた、数字で戦うんだったな」
「そうだ。数字で証明する。それが、俺にできる唯一の戦い方だ」
勇者はふっと笑った。
「俺たちは剣で戦う。でも、誰も見てないときは……ただの人間だ」
健二はうなずいた。
「だからこそ、支える。見えないところで、命を繋ぐ。それが商人の戦場だ」
ふたりの視線が交差する。
言葉は少ないが、そこには確かな共鳴があった。
「……期待してる」
勇者はそう言い残し、再び人混みの中へと消えていった。
健二はその背中を見送りながら、拳を握りしめた。
(……次は、ここで証明する)
ライルが後ろから肩をすくめながら歩いてきた。
「勇者様も大変だな。串焼きに負けるなんてよ」
ミナは尻尾を揺らしながら、真剣な顔で言った。
「でも……あの人たち、悔しそう。匂いでわかる」
健二は頷いた。
「だからこそ、俺たちが支える。数字で積み上げて、証明するんだ」
祭典はその後も続き、紙吹雪が舞い、音楽隊が陽気に演奏を始めた。
だが、勇者たちの胸には重い影が落ちていた。
華やかな舞台の裏で、彼らは「Bランク」という烙印を背負い、群衆の無関心に耐えなければならなかった。
そして健二は、その光景を胸に刻んだ。
「数字で証明する」――その誓いは、勇者たちの悔しさと重なり、より強い決意へと変わっていった。
三日目 ―
石畳の路地に、夕暮れの影が長く伸びていた。
倉庫の扉はまだ開いており、健二は荷車の軸を確認しながら、帳簿に目を落としていた。
そのとき、革靴の音が静かに近づいてくる。
ふたつの影が倉庫の入口に立った。
ひとりは灰色の瞳に眼鏡をかけた女性――イレーネ・グレイア。
もうひとりは、書類束を抱えた若い補助職員――ユリス・ノート。
イレーネは無言のまま、帳簿の端に視線を落とした。
胸ポケットにある羽ペンに手が伸びる、灰色の目で数字を追っている。
その視線は、まるで帳簿の中に“嘘”を探しているかのようだった。
健二が一歩下がり、彼女に帳簿を差し出す。
イレーネは受け取らず、ただ指先でページの端を押さえた。
「……この欄、仕入れ日が空白です。監査官に突かれる可能性があります」
健二はすぐにペンを走らせ、空白を埋める。
「昨日の午後。市場の第三区画。証明書はここに」
イレーネはうなずき、次のページをめくる。
「積載重量の記載が、護衛の人数と合っていません。護衛が五人なら、荷車の補強記録が必要です」
健二は一瞬だけ眉を動かし、別の書類束を差し出した。
「補強済み。銀貨五枚で修理済み。職人の署名入り」
イレーネはそれを確認し、ようやく羽ペンを胸元にしまった。
「……監査官の報告書、形式が不自然です」
声は冷たいが、帳簿の数字にだけ向けられていた。
ユリスが一歩前に出て、小声で続ける。
「昨日、グランツ支部に出入りしてました。記録には残ってませんが……魔導灯の記録が、消されてました」
健二は目を細めた。
魔導灯――首都ノワルマルシュの倉庫街や公的施設に設置された、魔力で灯る街灯。
ただの照明ではなく、通過した人物の魔力反応を感知し、時間帯や人数、通過方向まで記録する“監視の目”でもある。
その記録は、ギルドや警備隊が監査や調査に使う補助証拠として扱われていた。
「……消された?」
健二が短く問う。
ユリスはうなずいた。
「本来、記録は自動で残るはずです。でも、魔導技術に詳しい者か、ギルド内部の権限者なら……消去できます」
イレーネもうなずき、簡潔に言った。
「記録が消されたということは、監査官の訪問を“隠す理由”があるということです」
健二は帳簿を閉じ、ふたりを見た。
「ありがとう。数字で証明する。あなたたちの言葉も、数字に変えてみせる」
ユリスが視線をイレーネに移し、静かに言った。
「……レネ、もう帰るよ」
健二はその呼び方に一瞬だけ眉を動かした。
だが、何も言わずに荷車の積み方に視線を戻した。
イレーネはうなずき、最後に帳簿の端を指で軽く叩いた。
「この帳簿、形式は整っています。……あとは、数字が崩れないように」
その言葉は、まるで“戦場に送り出す武器の最終確認”のようだった。
ふたりは倉庫の影を抜け、夕暮れの路地へと消えていった。
その背中に、健二は静かに呟いた。
「……数字は冷たい。でも、誰かが支えてくれるなら、熱になる」
倉庫の中では、ライルが荷の重さを測り、ミナが鼻をひくつかせていた。
空の色はすでに群青に染まり、街灯の魔導灯がぽつぽつと灯り始めている。
夜の監査に向けて、空気は少しずつ張り詰めていく。
こうして、倉庫街は静かに夜を迎えた。
首都ノワルマルシュの喧騒は遠のき、石畳の路地には冷たい夜風が吹き抜ける。
油の匂いと木材の香りが混じる中、健二たちは黙々と荷を荷車に積み上げていた。
食料の樽、薬草の束、修繕用の鉄材。護衛は五人、荷車二台。最低限だが、形は整った。
「……これで、なんとか形にはなったな」
ライルが額の汗を拭い、羽根付き帽子を押さえた。
「護衛の日当は銀貨三枚ずつ。三日で九枚。五人で四十五枚……」
健二は帳簿をめくり、数字を確認する。
「荷車の修理費が銀貨五枚。馬の飼料が銀貨二枚。合計で――」
「おいおい、今は算数の時間かよ」
ライルが苦笑する。
「算数じゃない。命を繋ぐ数字だ」
健二は真顔で答えた。
その時、革靴の音が石畳を叩き、倉庫の扉が開いた。
痩せぎすの男が現れる。
鼻眼鏡をかけ、口元には皮肉な笑み。
「遠征前の積み込み監査だ。……まあ、君たち程度の小商人に任せるのは、ギルドとしても随分と冒険だがね」
「感じ悪ぃな」
ライルが小声で呟く。
監査官は聞こえたのか聞こえなかったのか、わざとらしく咳払いをして荷車を覗き込んだ。
「ふむ……数が合わないな。帳簿と違う」
彼はわざとらしく眉をひそめ、書類を指で叩く。
「これでは“補給の信頼性”に疑義が生じる。契約破棄も――」
「おい、そんなはずは――」
ライルが声を荒げかけたが、健二が手で制した。
健二は即座に帳簿を開き、在庫表と照らし合わせる。
「違うのはそちらです。昨日の仕入れ分が未記入になっている。ここに証明書がある」
彼は冷静に数字を突きつけ、不正を跳ね返した。
監査官は鼻を鳴らし、わざとらしく肩をすくめる。
「……ふん、どうやら私の“見間違い”だったようだ。いやはや、年を取ると目が曇っていけない」
その声音には、明らかに「わざとだ」と言わんばかりの皮肉が滲んでいた。
さらに監査官は、荷の一つをわざと落とした。
「おっと、手が滑った。……やれやれ、こんなに脆い積み方では、道中で崩れるのでは?」
「わざとだろ!」
ライルが声を荒げる。
だが健二は落ちた荷を拾い上げ、静かに積み直した。
「崩れない。数字で計算してある。重心は中央、荷重は均等。あなたが落とさなければ、崩れることはない」
監査官は鼻で笑い、印を押す手もわざとゆっくり。
赤い印が書類に落ちた瞬間、倉庫の空気がわずかに緩む。
ライルが肩をすくめて吐き捨てる。
「完全にグランツ商会の差し金だな。あの野郎、監査官まで買ってやがる」
健二は荷の上に手を置き、静かに答えた。
「数字で積み上げれば、必ず突破できる。……皮肉は数字には勝てない」
その時、ミナが鼻をひくつかせた。
「……また、冷たい匂い。遠くから、誰かが見てる」
倉庫の外、路地の影に黒衣の人影がちらりと揺れた。
「グランツの監視か」
ライルが舌打ちする。
「構うな」
健二は短く言った。
「数字で証明すれば、どんな妨害も無駄になる」
その瞬間、倉庫の外で鐘楼が鳴り響いた。
――鐘楼の音が三度、夜空に溶けていった。
その響きは、まるで「旅立ちの合図」のように倉庫の中に染み渡る。
健二は拳を握りしめ、仲間を見渡した。
「明日の朝、出発だ。三日間で積み上げた数字を、証明する」
ライルはにやりと笑い、剣の柄を軽く叩いた。
「よし、やっと本番か。グランツの連中に鼻を明かしてやろうぜ」
ミナは垂れた耳をわずかに揺らし、夜風に鼻をひくつかせた。
「……冷たい匂いはまだ残ってる。でも、怖くない。健二がいるから」
倉庫の扉を押し開けると、冷たい夜風が吹き込んだ。
街灯の明かりに照らされた石畳の路地には、黒衣の影がちらりと揺れたが、すぐに闇に溶けていった。
健二は一歩、外へ踏み出す。
その背筋は真っ直ぐで、迷いはなかった。
数字で積み上げた三日間――それはただの準備ではなく、彼らの覚悟そのものだった。
こうして、首都ノワルマルシュでの三日間の準備は終わりを告げた。
次に待つのは、遠征の出発と、グランツ商会が仕掛ける最初の妨害。
だが健二たちはもう怯まない。
「数字で証明する」――その言葉を胸に、彼らは夜明けを迎えるのだった。




