裏切りの影
——夜。
神託学園、寮の屋上。
月明かりが照らす中、一人の少女が腰を下ろしていた。
「……まったく、騒がしい奴らばっかりだな」
呟いたのは、カグラ。
獣人族の血を引き、野生の直感と戦闘本能を併せ持つ格闘術士。
彼女は煙草の代わりに噛んでいたミントの葉を吐き出し、夜空を見上げる。
「……レン。あいつ、本当に無能じゃなかったな」
演習戦の光景が脳裏に蘇る。
Sランクのユナと互角以上に戦ったFランクの少年。
彼の中にある何かが、彼女の闘争心を刺激していた。
「……だが、それだけじゃない」
彼女は、右肩に残る古い傷跡を撫でた。
それは、過去に仲間だった、ある人物に背後から受けたもの。
かつて、彼女も軍に属していた。レンの空白とは違う、制御不能な獣化の能力を持つがゆえに——
裏切られ、捨てられた。
(力を信じるな。仲間を信じるな。信じれば——背中を刺される)
カグラが仲間に心を許さないのは、その過去があるからだ。
「……あいつも、そうなるかもしれねぇ。だから——」
そのとき。
風が鳴った。
屋上の隅に、黒い影が立つ。
「久しいな、カグラ」
その声を聞いた瞬間、彼女の瞳が鋭く光る。
「……てめぇ、なんでここに」
影の主はフードを脱いだ。
現れたのは、かつて軍で彼女と共に戦い、そして——裏切った男。
「ナダル……!」
ナダル=グレイ。
元軍所属、現在は行方不明とされていたが、その正体は——
学園に潜伏する敵組織の幹部の一人だった。
「お前がこの学園にいると知ってな。少し興味が湧いた。……それに、例の空白の少年もな」
「レンに、何の用だ」
「観察しているだけさ。あの力は、世界を壊す可能性を秘めている……そして、お前もな」
カグラの表情が凍る。
ナダルは一歩、近づく。
「まだ、俺と来る気はないか? 力を解放しろ。自由になれ。かつてのように、世界を敵に回してでも——」
「うるせぇよ」
カグラの拳が閃光のように走る。
だが、その一撃はナダルの結界によって寸前で止まる。
「……相変わらず容赦がないな」
「てめぇにだけは、負けたくねぇ。絶対にな」
「なら、楽しみにしているよ。獣がいつ牙を剥くか——俺たちは見ている」
ナダルは闇の中へと消えた。
静寂の中、カグラは拳を握りしめる。
(……あいつに、レンを近づけさせるわけにはいかねぇ)
(それが……仲間なんて、信じてない私の、矛盾だとしても)
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翌朝。
レンが寮を出ると、カグラが壁に寄りかかっていた。
「……おはよう。どうした、急に張り込みか?」
「チッ、寝坊助が。ちょっと付き合え、レン」
「どこに?」
カグラはニヤリと笑った。
「特訓だ。お前の体のキレ、まだまだ甘ぇ」
「……まさか、拳で語る感じ?」
「文句あるか?」
「いや……ちょうどいい。こっちも、戦いたかったところだ」
二人は、歩き出す。
まだ見ぬ敵に向けて、力を磨くために。
だが、レンはまだ知らなかった。
カグラの過去も、背後に迫るヴォイドの存在も。
そして、空白の力が、なぜ彼の中に宿ったのか——その真実も。