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夢を奪われた女子高校生の最期

眠れる殺意が、眼を覚ます

「死にたい……」


静かに放たれたその言葉が、僕の胸の奥を突き刺す。

声優の専門学校で出会ったばかりの頃、日菜は前向きで笑顔を絶やさない女子だった。


僕がそんな彼女の部屋に入ったとき、言葉を失った。

本棚には、かつて彼女が好きな漫画本やアニメのDVDが整然と並べられていたが、今は何も入っていない。

部屋自体はまずまずの広さのはずだったが、空っぽの本棚のせいで狭く感じる。


外は薄暗くなってきたのに、日菜は電気をつけずにベッドに腰かけた。

とりあえず僕も、彼女と隣り合わせでベッドに腰かけ、話題を逸らそうとした。


「お父さんとお母さんは?」


「遅くまで仕事なの」


それ以上、会話は続かなかった。

親しい間柄だと饒舌になるのに。


父母のいないタイミングを図ったようだった。

普段は日菜の父母がいて挨拶を交わすのに。


白いネグリジェを纏った日菜は、膝を抱え真顔で窓の外を眺めている。

西日がカーテン越しに射し込み、端正な横顔をオレンジ色に染め上げ、豊かな胸の輪郭を美しく描き出す。

3月なのにまだ冷たい風が入り込むと、長い黒髪がふんわりと揺れ、甘い香りがほのかに漂ってくる。


「声優になりたくて、小さい頃からずっと練習してたの。儲からないからって、親には反対されたことがあったけど、どうしても諦められなかったの……」


日菜は淡々と言った。


「何度オーディション受けても、落ちてばかりで。この間は、最後まで残ったのに。審査員に『個性がない』って言われちゃって、もうダメなんだって……」


オーディションを通過した僕の立場では、日菜にかける言葉は見つけられなかった。


「声優になることが全てだったの。私にはもう何もないの。お願い、殺してちょうだい」


僕は息ができないほど胸が苦しくなり、部屋を出て行こうとした。

しかし、日菜は僕の腕を掴んで懇願する。


「身勝手なことだとわかっているわ。でも、独りで死ぬのは怖いの。だから、最期は好きな人の手で逝きたいの」


日菜の目は本気である。

そんなことをしたら、僕のキャリアはどうなる?


だが、僕がここを去ったら日菜は独りで自殺するだろう。

同情心が生じ、僕は再びベッドに腰かける。

彼女は少し安堵の表情を見せる。


「ちょっと、待ってて」


日菜はベッドの下から真新しい木箱を取り出した。

蓋を開けると、木製の黒い棒が入っている。

彼女がその棒を引っ張ると、僕は思わず後退りした。


銀色の冷たい刃--。


日菜は匕首を両手で握っているが、その両手は小刻みに震えている。

僕は彼女の両手を上から握り締めた後、おそるおそる匕首を受け取る。


--だが、今度は僕の両手が震え出した。

日菜は僕の両手を掴んで、彼女のお腹に刃を向ける。


「刺して」


僕は被りを振る。


日菜との思い出が走馬灯のように頭を駆け巡る--。

そもそも、僕と彼女は初めから仲が良かった訳じゃない。


僕は人と関わるのが苦手で、教室の中でいつも一人漫画を読んでいた。

高校2年生の春、日菜の方から僕に声をかけてきた。


「それって、終末期治療の『終点までの歩き方』ですよね? 私も好きなんです!」


こんな内容の重いマイナー作をよく知っているなと、僕は驚いた。

僕たちは放課後集まり、好きな漫画に声を当てて練習した。

自然にお互いの家を往来するようになった。

自室なら存分に練習できるからだ。


「終点までの歩き方」 第7巻--

筋ジストロフィー症の夫は衰える筋力に苦しみ、遂に歩けなくなってしまう。

夫はできるときにセックスしたいと妻に懇願する。

妻は夫の願いを受け入れ、服を脱ぎ始めるのであった。


このシーンを読んだ日菜は服を脱いだ。


「脱いで」


僕も服を脱ぐと、日菜は僕に跨った。


「ねえ」


日菜の一声が、僕を一気に現実に引き戻す。


「お願い、刺して」


匕首を握った僕の両手を日菜は絶対に離そうとしない。


「あなたが犯人役で、私が被害者役よ。お稽古だと思って」


心の中で真っ黒な何かが徐々に吹き出す。


「終点までの歩き方」 第6巻--

俳優カップルのエピソードだ。

長い体調不良に悩まされた妻は、末期癌と診断される。

自暴自棄になる妻と必死に支えようとする夫。

二人の均衡は妻のある発言によって破られる。


「あなたが犯人役で、私が被害者役よ。お稽古だと思って」


夫は妻を殺害した。

介護に疲れた夫が妻を憎んだように、僕が日菜を憎んでいることに気づいた。


日菜の友達が次々とオーディションを通過する一方、日菜には良い知らせが回ってこなかった。

彼女は精神的安定を徐々に欠くようになった。

僕が真夜中まで慰めることもしばしばだった。


働きながら声優を目指せば良いじゃないか。


かつては通じたかもしれない言葉。

だが、そんな言葉は既に通じない。

もういい、そんなに死にたければ殺してやる。


真っ黒なマグマが--勢いよく吹き出す。

僕の目は殺人鬼のそれに変わった。日菜は後退りする。


「いや、来ないで……」


日菜の背中が部屋の壁に当たる。


「死ね」


匕首を両手に握り締めた僕は日菜のお腹に向かって突進する。

ブスリと鈍い音を立てて鋭利な刃が彼女のお腹に食い込む。


「うっ……!」


日菜が刺された瞬間、彼女の目がかっと開かれた。

彼女は呻き声を上げ、咄嗟にお腹を抑えた。

目は恐怖でギラつき、震える乾いた吐息が僕の顔に吹きかかる。


白いネグリジェが--徐々に赤く染まる。

傷口から血が床に滴り落ちる。


更に匕首を前に突き出すと、ズブリと刃が深く沈み込む。


「うぅっ……」


日菜は喉の奥底から呻き声を上げる。

くの字に曲がった彼女の上半身が僕にもたれかかり、豊かな胸が僕の胸を圧迫する。


日菜の身体は壁を伝い、崩れるように座りこんだ。

お腹を抑えていた手が太ももに落ちた。

彼女の目は恐怖に彩られたままだった。


赤いネグリジェと、

血の臭いが、

部屋に残された。

日菜の刺殺事件は大々的に報じられた。

警察が聞き込みに来たが、事件解決には至らなかったようだ。


次回、惨劇が再び起こる。

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