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越後の飴玉

作者: 霜田大輔

無職。その時の俺はRPGでいうと職業欄にはそう表記されていただろう。ゲーム的には何のステータス補正が得られずパーティのお荷物となってしまう。そんな存在になってから早一か月。暑すぎる夏が終わり、朝と昼とで気温の温度差が激しくなっていたときのことだ。


当時の俺はただの無気力ボーイと化していた。いや、三十過ぎは流石にボーイじゃないな。となると無気力中年か。駄目だ字面がまったく良くない。というか関係のない話を書いてしまっていた。話を戻そう。


こんな俺でも親しくしてくれる友人はいる。小学校の頃からの腐れ縁で、お互いのことは両親兄弟以上に知っていると言っても過言ではないだろう。その日、俺は友人から酒飲みに誘われていた。誘い文句は「俺の奢りだから良い酒と飯を食おう」だった。無職になり金銭の有難みを一層理解した俺の口からは肯定の返答しか出なかった。


アイツから指定された場所は、「毘沙門亭」という料亭だった。都内の一等地にあり政治家などが接待に使っているらしい。友人よ、よくそんな金があるな。無職の俺とは大違いだ。何やら、とある歴史上の人物にあやかった名前らしいが、社会の授業が睡眠と同義で合った俺にとってその情報が何の価値もなかった。


『それとお前に紹介したい奴がいるんだ』


アイツは電話口でそう言っていたが無職に会いたい奴なんているのかね。そんなことを考えながら料亭の入口で呆けていた。流石に入るか。これではただの不審者だ。


入口の戸を開ける。内装は和の様子を感じさせつつモダンな雰囲気でとても上品。こんなところにパーカーとジーンズで着てよかったのか。場違いな雰囲気で少し緊張していた俺の心配を他所に、店員は誰もいなかった。物音はするから単純に忙しいのか。少し当たりを見渡すと、受付らしき机の上に呼び出し用のベルがあるのに気付く。


カーンと心地よい金属音が鳴る。さて、しばらく待っていれば誰か来るだろう。しかし、何回も鳴らしたくなるのは現代人の性分だろうか。


ふと視線が右にずれる。上品な竹細工の入れ物に入っている飴玉が小山を築いていた。手前にはメッセージカードが添えられており


『越後の飴玉』

オーナーの地元の名物であるお菓子です

伝統の手法で造られた素朴な味

ご自由にお取りください


と書かれていた。


ひとつ摘まんでよく見てみる。透明な包装に包まれた中には黄金色の飴玉が入っていた。飴玉には「(たま)」の字が刻印されている。飴玉だから「(たま)」の字なのか。何とも安直な。


視線を竹細工の入れ物に戻すと飴玉は二種類あるようで、もう一つは特に色はついていない透明な飴玉だった。引っくり返して確認すると、こちらには何も刻印されていない。対をなすなら、こっちには「飴」の字が書かれるべきじゃないか。いや、伝統の手法ということは昔に作られたものだろう。多分、「飴」の漢字が複雑だから省略されたんだな。


まぁ、貰えるものは貰っておこう。黄金色と透明な飴玉を一つずつポケットに入れると、パタパタと足音が聞こえてきた。顔を横に向けると慌てた様子の若い中居さんがこちらに近づいてくるのが見えた。


中居さんにアイツの名を告げると、何かのリストを確認した中居のお姉さんは、笑顔で向けこちらですと案内してくれた。中居さんの後ろをついていきながら建物をぐるりと眺める。うーん、やっぱり明らかに無職が居ていい場所じゃないな。場違い感が半端ない。


どうせこの後はいつも通りアイツの家で二次会するだろうから、俺の好きな日本酒とお猪口持って来たんだけど大丈夫だよな。中居さん、俺の鞄の中でカチャカチャ音がしますが気にしないでください。ここでは飲まないので。


中居さんはとある襖の前で止まり、こちらを振り返りながら声をかけてきた。


「こちらが本日のお部屋となる板尾(とちお)の間となります」


「あぁ、ありがとうございます」


板尾とはなんぞや。どっかの地名だろうか。中居さんが襖を開けようと手を近づけたところで、廊下の向こうでベテランの雰囲気を醸し出す別の中居さんがすごい剣幕で声を荒げた。


「あぁ、ちょっとこっち手伝ってちょうだい!団体のお客さんが喧嘩しだしちゃって!!」


それを聞いた若い中居さんは俺と廊下先の中居さんを交互に見た。俺の案内を放っていくのを悩んでいるのだろう。俺はお姉さんに声をかけた。


「いいですよ、行ってください」


「大変申し訳ございません。失礼いたします」


どうせアイツはいつも通りに遅刻する。定刻通りに来るという概念を母親の中に忘れてきた男だ。どうせ、アイツが来るまで料理も何も運ばれないだろうし、しばらく待ちぼうけだ。


中居さんを見届け襖の引手に手を近づける。引手に手を添えて襖を少しだけずらす。少しだけ空いた隙間から出てくる冷たい空気が手に纏わりついた。気にせず右手に力を入れるとスパンと心地よい音が鳴った。


視線の先には古風な和室が広がっていた。広さは十畳くらいだろう。中央には焦げ茶色の木製の机と将棋盤が鎮座していた。左手には大きな窓があり暗闇がちらりと見えている。ただし、窓ガラスはなく簾が垂れ下がっている。


先ほどの廊下とこの部屋の様子が随分違う。ちょっとした違和感。こういう部屋は嫌いではない。好きだった祖父母の部屋と通じるものがあり、むしろ好ましく感じるくらいだ。


考え過ぎだな。この部屋はそういうコンセプトなんだろう。初対面の人物と話すのが久しぶり過ぎて余計な思考を回してしまっている。


さて、それより問題は。


「何奴だ」


将棋盤の前で正座をしながら、こちらを睨みつけている侍だ。誰だコイツは。間違えて時代劇の中から飛び出してきたんじゃないだろうな。


歳はいくつだ。かなり若くおそらく成人はしていない。十五、十六くらいだろう。ちょんまげさえなければ女性かと見前違えるほど顔が整っている。少し目線を下げると喉仏が見えるため正真正銘の男性だろう。


「今宵、客が来るとは聞いておらぬが」


鋭い目線で訝しげに俺の様子を見る侍は、ゆっくり中腰になり右手が腰に伸びる。そこには長い棒状の物があり…ってそれ日本刀じゃありませんこと?!俺はとっさに両手を上げ降参のポーズを取り答える。


「今日、友人と酒を呑む約束をしているものです」


「酒を?珍妙な格好をしおって…貴様、名は?」


侍の手が柄に伸び、強く握られたそれの先からは鈍く銀色に輝くそれがちらりと見え始めていた。俺の生物学的本能が警告音を鳴らしまくっている。こいつは本気で俺を斬る気だと。仮にあれが模造刀だったとしても無事ではいられない。


「ほ、本当だ!あ、あ、あ…あと俺は無職だ!!!


ちがーう!!何を言ってるんだ俺は。名前聞かれたのに無職って答えてどうするんじゃい!!そんなのは今どうでもいいだろ。ど阿呆か!!!


「ふっ。無色?子に”色が無い”と名づけるとは貴様の両親は変わっているな」


あ、笑った。何だ?何がツボったのか分からんが、怒りんぼ若侍の様子が少しだけ穏やかになった。あと、申し訳ないが”ムショク”違いです。だが待てよ、今が話の流れを変えるチャンスじゃないか?


「あ、はい、うちの家系は変わり者で通っているん…です」


お父さんお母さんごめんなさい。俺の名は今日から無色です。


「して、その変わり者の末裔よ。酒を呑みに来たと言ったな。酒はどこにある?見たところ酒器などを持ち合わせていないようだが。…やはり、虚言か」


すまん友人よ。二次会で飲むはずだった酒を使うぞ。あと、お店の人ごめんなさい。飲食店の持ち込みからの飲酒はご法度だろうけど、流石に命の危機には代えられません!!コイツはマジでヤバ過ぎる!!


俺は手提げカバンから四合瓶の日本酒、二つのお猪口を取り出して勢いのまま答える。


「これです!!」


侍の表情が変わる。先ほどまでは怒気を孕んでおり修羅のような感じだったが、眉が中央に寄り困惑しているような様子だ。それは見慣れるものを見ているようで


「…なんだそれは」


やっぱり分かってない。あ、若いから酒瓶見たことないのか。でもコンビニとかでも売ってるよな。小さい子供でも普通に生活していたら見たことはあるだろう。俺は彼の疑問に答えた。


「酒だが…あの…米で作られてる…やつ」


「領内の酒蔵でも見たことがない。毒か」


「んなわけあるかい。ど阿呆」


終わった。思わず素で突っ込んでしまった。銃刀法違反を何とも思っていない凶器を持った人物にそんな口をきいてしまった。なるほど、どうやら俺の命日は今日らしい。あ…もういいや、一周回ってどうでもよくなってきた。最後に好きな酒を呑んで死のう。そうしよう。


俺は侍を無視して日本酒の瓶をきゅぽんと開け、二つある内の一つのお猪口に酒を注ぐ。こぽぽと心地よい音が手元から響き、お猪口に透明な液体が並々と注がれる。俺はお猪口という小さい水面の揺れを充分に見た後、ぐいと酒をあおる。


「ぷっはー、やっぱ美味いわー!」


ちょっと奮発して純米大吟醸買ってみたが、阿呆みたいに美味いなこれ。頭を天井に向けこれまでの人生を振り返る。最終的には無職になりはしたが、良き家族、友人に恵まれたいい人生だった。嫁さんがいないのがマイナスポイントだが些細なものだ。


「…っ」


唾をごくりと飲み込む音が聞こえるんじゃないかと思った。日本刀を構えた侍はこちらを羨望の眼差しを向けていた。これはあれだ、餌を目の間にして待てと言われた犬だ。


「の、飲む?」


俺がそう言うと侍は暫し悩んだ後、刀を収め日本酒に視線を向けながら頷いた。


焦げ茶色の机に座りお猪口の片方を侍に渡す。そこにコポポと心地よい音を鳴らせながら酒を注ぎ、ふと思った疑問を口にする。


「あんた、酒飲んで大丈夫なのか」


「もう元服を済ませている。何も問題はない」


げ、元服…ってなんだっけ。昔の人の成人式的ななにかだったような気がする。要はこいつはもう成人してるから問題ないってことを言いたいのか。ちなみに敬語はやめた。もうどうにでもなれ精神である。


しかし、大丈夫なのか。明らかに二十は超えていない容姿をしているが。いや待てよ。ここは政治家が使う料亭。行ってしまえば超超超上流階級が通う場所だ。それくらいの法律は握りつぶせるのだろう。そう考えよう。踏み込み過ぎた藪の中から蛇じゃなくて龍が出てきそうだ。




十分後。




「良い、こんな酒は呑んだことがない」


酔っ払い一人完成でございます。景虎と名乗った若侍は顔を真っ赤にしながら満足そうな表情で天を仰いでいる。嘘だろコイツ。四合瓶をほとんど飲み尽くしやがった。結局俺は最初の一口、そのあと注いだ分の計二口分しか飲んでないぞ。


「無色の。名を覚えておいてやろう」


「そりゃどうも」


あーあー俺たちの純米大吟醸が。まぁ、これで命が助かったと思えば安いものか。とりあえず死亡フラグは回避したみたいだしな。


「これほどの酒を手に入れられるとは…貴様は優れた商人なのであろうな」


「あー商人…みたいなもんか?」


今はもう辞めちまったが総合商社に勤めていたから、商人といっていいのかね。こいつの中の商人の定義が分からんがとりあえず適当に頷いておく。


「無色の」


「なんだトラちゃん」


「虎ちゃ、ん…まぁ良い。今日は無礼講だ」


吞兵衛の気配が薄れ、俯いた顔から目線だけをこちらに向け話し始めた。


「良い酒を呑ましてくれた礼だ。一つ情報をやろう。この地は、そう遠くない…早ければ年が明ける頃、この城で戦が起きる」


戦とはまた古風な言い方ですこと。しばらく話して分かったがこちらの話す単語が何度か伝わらないことがあった。主にカタカナを使った単語だ。もう慣れたものだが。口に出すときは少しだけ考えてから話すようにしている。


「戦ねぇ」


少し気になることがある。話し方に確信めいたものを感じる。


「やけに自信があるね。誰が攻めてくるのかは分かってるのか」


「豪族達だ。影から不審な兆候があったと聞いている」


「ほートラちゃんが何かやらかしたのか」


適当に話を合わせる。酔っ払いの言葉だしな。話半分、半分は行き過ぎか。話一割で彼の言葉に耳を傾ける。俺の様子とは裏腹にトラちゃんは話し続ける。その声は先ほどより暗く低いものだった。


「以前、初陣を果たした。自分で言うのも可笑しいが、我ながら良く出来た戦だったと思う」


静かに、だが彼の唇は動くことを止めない


「郡司として城に勤めているが、あ奴らは若坊主が図に乗りおってと。まだ幼いからと侮っておる」


「んで、気に入らないからここに攻めてくると」


トラちゃんはこちらを見ながら頷いた。


「蹴散らせばいい、トラちゃんならそれができる」


「はっ…何を根拠に言っておる」


「勘なんだけどひとつ当てていい?トラちゃん…随分前から攻めてくるって分かってたんじゃない?そして、現時点でその戦とやらに関することは調べ終わっている」


会話をしてなんとなく分かったことがる。トラちゃんは頭が切れる。それも尋常じゃないほどに。酒に酔いながらもこちらの機微を感じ取り、話題を先出しするようなそぶりを見せる。これが年下か。落ち込むよ…本当に。それゆえに解せない。


「戦場になりうる近辺の詳細な地形、敵の思惑と兵力、そして此方の兵力。凡そが頭に入っている。あ奴らがどのように攻めてくるのかは既に予想ができている…」


「手。震えてんぞ」


「初陣のときだ。刃が頬をかすめた。今でも思う、あの刃が少しでもずれていれば某はここにいない。死とはこんなにも身近にあったのだと」


「怖いのか」


確信を突く。


「恥ずかしいことにな。初陣とは異なり、おそらく此度の戦は某が指揮をとることになる」


初陣で感じた死の恐怖。今度はそれに加え大勢の部下を従える重圧を感じているのだろう。彼は胸中で燻る不安と怖れを忘れるようにお猪口に残った酒をぐいと飲み干す。お猪口を見つめるその顔は苦々しいものだった。


トラちゃん。死について考えるなんて早すぎるよ。俺の口からは言葉が零れ始めた。


「俺はさ…今までずっと所属していた組織を辞めたんだ。学んで仕事して、惰性で続けてきた割にそれなりに組織から重宝される立場になっていたと思う」


「…」


「そんでな、家に帰る途中ふと立ち止まったときに思ったんだ。このまま年寄りになって膝と腰が動かなくなる。その時までこれが続くんじゃないかって。気付いたら辞職願…あーそこの組織を抜けるよう嘆願していた。今ではただの穀潰しだ」


トラちゃんは持っていたお猪口を机に叩きつけ立ち上がる。ガシャンと陶器が割れる音が部屋中に響きわたり、残っていた酒が飛び散る。


「そんなこと…今の某に比べたらっ!!」


そうだよな。無職になって今はただの気楽な立場になっただと言われたら怒るよな。でも大丈夫だ。俺が言いたいのは


「満足した思いを抱えて死にたかったんだ」


「…まんぞく?」


「あぁ、やりたい事をやり尽くして、この人生は楽しかったと思いながら逝きたかった。そのために前の組織は邪魔だった、だから辞めた」


「…やりたいこと」


「トラちゃんは頭が良い。俺が、いやこの無色が保証するよ。だから、その戦も蹴散らせる。多分その戦はトラちゃんにとってただの通過点だ。トラちゃんが考えるのは戦の更にその奥、その先にある未来を考えたら、胸の中で燻っている恐怖も案外何かに変わるかもな」


二口しか飲んでないのに俺も大分酔ってるな。酔っぱらった、しかも未成年の戯言に何をくそ真面目に返しているんだ。俺がおそるおそる真正面を見るとトラちゃんは暫く下を向き黙っていた。


「無色の。ひとつ聞きたい」


「なんだ」


トラちゃんは俯いていて顔を上げこちらを見た。その顔は酔っ払いではない、真剣な男の顔だった。机の横に鎮座していた将棋盤の前に引っ張り出し、それを指しながら問いかけてくる。


「この盤上が本物の戦場だとする。玉の駒は某だ。この駒が取られた終わりだ」


「はぁ?」


ごめんトラちゃん。いきなり将棋の話は意味わかんない。俺の口から理解できないと相手に伝える言葉がとっさに出たのはしょうがないことだった。


「だが、自陣には玉の他には歩しかいない。金も銀も、飛車、角、桂馬、香車すらいない」


こちらの疑問には一切答えず話しながら、自軍にあるいくつかの駒を盤上から抜き始めた。


「以前、家臣たちに問うたことがある。某に足りないのは何だと」


それは今まで溜まってきた鬱憤、いや積もり積もった悩みを打ち明けるように


「ある者は言った、貴方を阻む邪魔者を食い破る騎馬だと。またある者は言った、御身に迫る凶刃から守る護衛だと。別の者は言った、貴方の窮地を救う知略に富んだ者だと」


「無色よ。貴様ならどう答える。今の某には何が足りていない」


彼はそうやって金、銀、飛車、角、桂馬、香車が乗った駒台をこちらに寄せてきた。


「んなこと聞いてどうする」


「…」


だんまりですか。頑固な坊ちゃんだこと。最初は適当にはぐらかそうと思った。所詮会って数十分の酔っ払いの悩みだ。あれだけの酒を呑んだのだ。どうせまともには覚えていない。適当に返しても問題ない。


こちらを見つめる真っ直ぐな眼。俺は溜息をつき、駒台に乗った八つの駒を見つめる。駒台を俺に寄せてきたということは、この中から適切なものを選べという意味だろう。


悩める少年にあれだけ偉そうなことを言ったのだ。ある程度の責任はとらなきゃならんか。俺は暫し考えた。


「俺なら…これだな」


そして一つを選び出した。選んだそれをポケットの中から取り出し、包装を破いてから、盤上のとある場所にコロンと置いた。


「なんだこれは」


「俺だ」


「貴様?いや、違う。この駒ですらない物は何だ」


「飴だよ…ただのな」


俺が置いたのは飴玉だった。料亭の受付にありポケットの中に入れていた二つの飴玉の片割れ。無色透明な飴玉は玉将の後ろで、盤上に置いた慣性によりふらふらと揺れていた。


「飴…だと?これが?…見たこともない」


「正直に言うよ。会って数十分のトラちゃんに何が足りていないのか、俺には皆目見当もつかなかった。だから、発想を変えた。この区切られた戦場の中で俺がお前に対して何ができるかを考えた。考えた結果、俺はこの戦場に何も貢献できないことが分かった」


無色の中年男性に剣と鎧を持たせて本物の戦場に立たせてみろ。どうなるかなぞ小学生でも分かる。


「敵を食い破る騎馬になれず、玉を守る盾になれず、窮地を救う軍師にもなれない。俺ができるのはただこうやって、酒でも飲みながら話を聞くことぐらいしか思いつかなかった」


まさに今の状態だ。トラちゃんに足りないのは、武力でも知略でもない、ただ頭を空っぽにして馬鹿話ができる友人じゃないかと思った。いや、今の俺がそれしかできないから、友人云々はただの後付けなんだが。


「だから、玉の後ろに陣取る飴か」


「あぁ」


「玉に守られる駒とは…なんと情けない」


「お前がやられると俺もやられる。だから踏ん張ってくれ」


俺は自信満々に答える。トラちゃんは先ほどの暗く真剣な表情から打って変わって笑みを浮かべながら、俺の頭を軽く叩いた。


「阿呆、それが玉を支える駒の考えか」


「そう言うな。それだけが不満なら一つ特典を付けるよ」


「ほぅ、なんだそれは」


前傾姿勢になった彼に特典の内容を口にする。


「お前が死んだら俺も一緒に死んでやる。地獄への片道道中に付き合ってやろう」


トラちゃんは少しだけ目を見開いて、驚いた表情を隠しもせずこちらを見つめ答えた。


「やりたい事をやって、満足して死ぬのではなかったのか」


「あぁ、俺のやりたいことはトラちゃんとは別にある。ただ、トラちゃんと共に働き語り呑み…そして逝くのも悪くないと思った」


芯がブレブレとか言わないでほしい。俺のやりたいことが霞む程に、この男の行く末を見てみたいと思ったんだ。才はあるが、まだ精神が未熟なトラちゃんの後ろで。


トラちゃんは俺に向いていた視線を盤上に移した。そのまま、しばらく眺めた後に飴玉を口の中に放り込んだ。そうして口の中で飴玉を転がしながら、にやりと笑う。


「ふむ、貴様は甘いな。甘過ぎる」


「飴だからな」


何を当たり前のことを言ってるんだ。この阿呆は。


…っと。膀胱が主張を始めてきた。俺はよっこいせと声を出しながら立ち上がり、入ってきた襖のほうへ向く。


「何処へ行く」


「あれだ…トラちゃん風に言うと厠」


「それなら貴様が入ってきた襖を出て右だ」


「おう、あんがとよ」


いつの間にか閉まっていた襖に手をかける。部屋から出ようとする直前、我らが玉が声をかけてきた。


「無色の」


「なにさ」


「帰ってきたら、貴様の本当にやりたかったこととやらを教えろ」


「はいはい」


右手で襖を開けながら適当に返事をする。


部屋を出て、襖を閉めた後に言われた通り右に向かう。しばらく歩くと突き当りに差し掛かった。そのまま右を見ると扉が二つあり、それぞれに男性と女性を表すマークが張り出されていた。


あー極楽極楽と陶器の小便器で用を足す。小便を垂れ流していると、ふと思いついた。もしかしてトラちゃんが、俺の友人が紹介したかった人なのかと。


最初は部屋でも間違えたのかと思ったが、中居のお姉さんはリストを確認し、何も迷わず栃尾の間とやらに案内した。であるならあれは友人より先に到着していた先客と考えるべきだろう。


それなら面白い。アイツの黒歴史をトラちゃんにバラシて、アイツが来た瞬間からかいまくってやろう。妙案を思いつい俺はさっさと用を足し手を洗う。上機嫌なのが自分でも分かる。阿呆め、遅刻してくるのが悪いんだ。


「ほーい、ただいまー」


先ほど開けた部屋の前まで戻ってくる。襖を開けながら中にいるであろうトラちゃんに声をかける。


「おう、遅かったな。お前が俺より後に来るなんて珍しい」


予想した返答ではなかった。いや、そもそも返事をした人物が違った。そこにいたのは時代劇の中から飛び出してきた侍ではなく、高級そうなスーツを身にまとった腐れ縁の友人だった。


「あ、あれ?トラちゃんは」


「あん?誰だそれ?」


口から疑問を問う言葉が出るのは必然だったろう。そして、自身の胸中からはまだ零れてきた。


「お前が紹介してくれるって人だよ」


「あーそれか。いや、すまん。ちゃんとアポ取ってたんだが、土壇場になってキャンセルされちまった。お前の仕事口につながると思ったんだが…悪い」


そう言って頭を下げてきた。俺は申し訳なさそうな友人を見ていると、ふと気づく。部屋の様子がおかしい。


廊下の雰囲気と合わさった上品なモダンな和風の部屋になっている。将棋盤が無くなっている。簾ではなく窓ガラスになっている。焦げ茶色の机は、真新しい木材で出来た机になっている。


一番異なっている部屋の奥、上座の後ろに大きな掛け軸があることだ。上座に座りこちらを呆然と眺める友人を尻目に俺は掛け軸の前に立つ。一人の武将が勇ましく戦場を駆ける様子が描かれていた。掛け軸の下にはプラスチックの白プレートが置いてあり、このようなことがと書いてあった。


『長尾景虎』

当時の越後守護代だった晴景を侮った国人衆から攻められた際、景虎の策により少数の兵でこれを鎮圧した。越後の龍と呼ばれた上杉謙信の片鱗はこの時から既に見え始めていたのかもしれない


部屋の変わりよう、トラちゃんの姿格好、それでいてあの自然体な立ち振る舞い。理性があり得ないと頭の片隅で否定しつつも、俺の頭ではひとつの結論をはじき出していた。


掛け軸の前で思考していた自分を見て不審に思ったのだろう、友人は恐る恐る声をかけてきた。


「…なんかあったか?」


「いや、事実は小説より奇なりだと思ってさ」


「はぁ?」


溜息をつき背筋を曲げ脱力しながらポケットの中に両手を入れる。右のポケットからガサっと音が鳴った。異物を掴みそれを取り出す。


開いた手の中から包装に包まれた黄金色の飴玉が出てきた。そこには威風堂々とした書体で「(ぎょく)」の字が刻印されていた。


しばらくそれ眺め、包装を破り、黄金色の飴玉を口の中に放り込み、味わう。


あーなるほど?


トラちゃん、多分伝わらないと思うけど一個いい?


しょっぱい飴はどうかと思うよ。


お読みいただきありがとうございました。歴史…というには首を傾げしまう内容ですが(酒飲んで会話してるだけですし)少しでも楽しんでいただけたら幸いです。


件の侍について

史実からも分かる通り、彼はとても賢かったのだと思います。そして賢いが故、死への恐怖を理解した初陣後の彼は、次の戦による重圧も合わさり、心が押し潰されそうになっていたのではないか…というのがこのお話の発端となります。

そんな彼の隣に一時でも気楽に話し合える人物がいればと思い、生まれたのが無色です。


改めて最後まで読んでいただきありがとうございました。

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