第16話 アズリアの思い
結局、そこまで話した段階でアズリアが戻ってきたので、続きはまた持ち越しとなった。
というか、俺の変化の正体にイスカが納得した時点で、もう話の殆どは終わっている。
俺の、アルマ・クレセンドが抱え込んできた渇望。
それを真っ正面から受けたイスカには、俺の望みも殆ど伝わっているからな。
「坊ちゃま、イスカ様とはどのようなお話をされたんですか」
「ん……まあ、色々と。姉様の仕事の話とかかな」
アズリアにはあまり余計な心配は掛けたくない。
この数年、殆ど一人で俺を支え続けてくれた恩も負い目もある。
イスカとの話については……そうだな。
どこかタイミングを待って――
「坊ちゃまは、今の暮らしに満足されていますか?」
「……え?」
しかし彼女は、そんな俺の思惑に反し、おずおずとしつつも自分から一歩踏み込んできた。
「坊ちゃまが中庭で倒れられていたなんて、この家に……いえ、貴方に仕えて初めてでした。旦那様や他の皆さんは、ただ散歩していただけだと言われていましたが、私にはそれだけには思えません」
「それは……」
「坊ちゃまは、外の世界へ憧れを向けられているのではないですか? だから外の世界で生きるイスカ様に会いにいかれたのではないですか」
……当たっている。
抽象的ながらはっきりとした語り口は、彼女なりの確信があってのことなんだろう。
しかし、俺の外への憧れは、見方を変えれば彼女の否定でもある。
なぜなら、俺のこれまでの人生は彼女によって支えられてきたのだから。
彼女は常に俺を見張り、容体が悪化すれば急いで医者を呼びつけ、何かあれば俺の代わりに彼女が怒られていた。
正しく人生の殆どを懸けて俺に尽くしてくれていた彼女の行為を、他ならぬ俺が否定してしまうのは……残酷だ。
(だからこそ、時間が必要だったんだが……)
俺がそう願っても、時間は止まってくれない。
アズリアは自ら考え、踏み出してきた。
それならば俺も……相応の犠牲を覚悟しなければならない。
(仕方ない、か)
なるようになれ、と流れに身を任せるのは、案外嫌いじゃない。
それに、分が悪い賭けというほどでもないだろう。
相手はアズリアだ。俺にとって最も信頼できる相手となれば、彼女以外にはいない。
仮に彼女から罵詈雑言でも飛んでくれば……いや、まぁ、確実にショックは受けるだろうけれど、間違ったって彼女を責めたりなんかしないさ。
「アズリア、これからする話は、どうかお前の胸の内だけに留めておいてくれないか」
「坊ちゃま、それは……」
「クレセンド家のメイドとしてではなく、俺の……その、友人として聞いて欲しい」
友人、でいいよな?
他に上手い言葉が見つからなかったというのもあるけれど、使用人という立場を取り除いたら、きっとこれが一番正しい関係の筈だ。
「……! はいっ!」
アズリアは少し呆けたような顔を見せたが、すぐに姿勢を正し、俺の方へと向き直した。
「ついこの間の話なんだけど、前世の記憶を思い出した」
「前世の記憶……?」
つい先ほど、イスカに話した内容をアズリアにも伝える。
しばらくはイスカだけにと思っていたが……いや、これで良かったんだ。
受け入れてもらえるとは限らない。
けれど、俺はずっと、何かあれば彼女に頼ってきたんだ。
そんな体に染み付いた当たり前が、収まるべきところに収まったと言うべきか、語る口を不思議と軽くしてくれた。
◇
「…………」
話すべきことを全て語り終えた後、部屋の中には重たい沈黙が流れた。
アズリアは開いた口が塞がらないといった様子で固まっていて、ただただ気まずい。
遅かれ早かれだった、と内心自分を納得させるが、それにしたってもっとやり方があったのではないかと思ってしまう。
「まあ、その、なんだ。もしもこれで、アズリアが俺から離れたくなったなら、遠慮なく言ってほしい。イスカ姉様を通して上手いこと——」
「坊ちゃまにとって、私はその程度の存在ですか?」
「へ?」
「側にいたくないと、私がそう言えば簡単に手放してしまえる程度の存在なのですか?」
アズリアは前のめりに、いや、俺に覆い被さる勢いで迫ってくる。
「私の気持ちは変わりません。たとえ坊ちゃまに前世の記憶が蘇ったとしても、貴方が貴方である以上、支えるのが我が身命です」
「あ、アズリア……?」
「坊ちゃまにとって私は、この部屋に閉じ込めてきた敵のようなものかもしれません。ですが、私は常に坊ちゃまの幸せを願っています。貴方のためなら、なんだって行う所存です」
彼女は力強く、有無を言わさぬ態度で俺に迫ってくる。
息継ぎの暇さえ与えない、早口で高圧的で、まるで脅しつけるような……完全に立場が逆転している。
「今までの私は、坊ちゃまが少しでも安らかに、少しでも長く生きながらえてくださるようにと思い、奉仕して参りました。ですが、もし坊ちゃまがたとえそれが苦難の道と理解した上で進む道を決められたのであれば……私の進むべき道も同じです」
まるで騎士が姫に剣を捧げるみたいな、そんな誓いの言葉を、アズリアは馬鹿真面目な眼差しを向けつつ口にした。
冗談みたいだが、冗談じゃなさそうだ。
おそらく、「傍を離れない」という第一目的をとにかく果たそうと、力尽くで押し切ろうとして気負っているんだろう。
そういう真っ直ぐなのは嫌いじゃない。
いや、そもそもアズリアには最初から感謝と好感しかないのだけど……ここまで情熱的なのは、逆に彼女らしくなくて笑ってしまいそうだ。
「てっきり俺の方が拒絶されると思ったんだけどな」
前世の記憶……アルマとは別人の記憶が蘇るなんて、普通相手が別人になったように感じないか?
イスカもそうだったけれど、俺がズレているんだろうか?
「坊ちゃまは坊ちゃまですから。いくら過去を思い出そうとも、ここにいる貴方は、私が長年仕え、そしてこれからもお側にいたいと思う唯一のお方です」
我ながらよく慕われたものだ。何もしていない筈なんだけどな。
正直、一緒に居すぎて、彼女が俺に入れ込む理由も分からないけれど。
「ありがとう、アズリア。迷惑を掛けるが、これからも支えてくれるか?」
「当然です、坊ちゃま……いえ、アルマ様」
彼女はホッと安堵し、年相応な笑顔を浮かべた。