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恢復《かいふく》のディストピア  作者: すが ともひろ
 第2話 思い込みの階層社会
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【3】変えるために何をするべきか

 いつもより多めに食べて駅までの足取りも軽く通学の電車に乗った。駅の庇の陰でドアガラスに映るのは少しいい顔だった。


 あの貧しい学生たちが今日は校舎の外のベンチで集まっている。


「低レベルが低レベル同士で。何の向上心もなく、いまが楽しければいいって。そんな奴らを見返せる日がもうすぐ来るんだ」


 やはり彼らの手にはなろう小説があった。

 恢復は顔をそむけた。


「昨日のセミナーは驚いた」

「政府があそこまで酷い搾取をしているなんて」

「僕たちは政府の横暴に殺されてもおかしくないんだ」


 物騒な、あり得ないような会話が飛び交っている。

 それを纏めているのは慈だった。


「でもこんな状況でも解決策はあるの」

「何? それは何」


 詰めかけるように尋ねる男子女子。


 こいつらには近付いてはいけない。嘘捏造で固められたことであっても奴らは感情で物事を判断する。真実は介在しない。


 こいつらを黙らせるのは小説が本としてデビューしてからだ。そう思って恢復は足早にそこを立ち去ろうとした。


「あ、差別主義者だ」


 しかし遅かった。

 慈が気付くと、たちまち取り囲まれる。


「僕は差別なんかしてないって何回言えば。海部さん」


 慈は明らかにムッとした。


「苗字で呼ぶのはやめてって言ったよね」


 恢復に慈は言った。


「苗字はその人の人格や個性じゃなく家や出身地を現すものよ。人の才能や実力を無視して差別するための道具。だから苗字は不要なの」

「そんなわけ」


 反論しようとした恢復よりも慈の後ろの男子の方が早かった。


「慈さん。思うんだけど、ぼくは自分の苗字は僕は好きだし、苗字は家族の証だと思うんだけど」


 それは恢復の言いたい言葉だった。

 慈はその男子を否定するわけでなく諭しに掛かった。


「家族はそんな狭い世界の言葉じゃないよ。友達も近所の人も外国の人もみんな家族だよ。地球の人が全員家族なら争いもないし、みんな平等で平和な生活が送れるのよ」


「そうなんだ。そうだよね」


 男子は安心した。小さなことに拘っていた自分が恥ずかしくなった。世界が一つになることで、(理由は知らないが)自らの貧困が解消される気がして喜んだ。


「バカなことを」


 一人だけ声を上げたのは恢復だった。


「苗字はその人の歴史なんだ。人の評価は突然始まるものじゃない。親や先祖からの歴史が反映されるんだ。だから親や先祖のせいで才能や努力が否定されるのも仕方ないことなんだ」


 恢復には当然のことだったが、それは彼らの怒りを増長させた。


 貧困者を代弁したのは慈だった。


「やっぱり恢復くんは差別主義者だ」


 慈は思い出して言った。


「この前SNSで同じ意見を見た! 苗字のことを書いたのはあなたでしょ」


 恢復は否定しなかった。


「やっぱりお前はレイシストだ」

「出ていけ! 大学に来るな」


 生徒が石を投げてきた。


「暴力は嫌いじゃなかったのか」

「これは暴力じゃない。間違った考えを正すための制裁だ」

「そうだそうだ」


 次々と石が飛び、慈自身も次々と投げつけていた。

 またしても恢復は逃げ出していた。


 ――――――――


 なろう小説の流行は止まらなかった。


 人生に絶望した中年の逃げ場所でしかなかったなろう小説なのに、貧困な若者の増加が書籍の売り上げを加速させた。希望を失い現実に疲れ果てた末に現在の境遇をひっくり返してくれる夢想の物語に彼らは心酔した。



 いつものように外食で夕食を済ませ、ワンルームマンションに帰る。講義の宿題を出来るだけ早く済ませ、いつものように小説を書き込む。アルバイト漬けなのになぜか食べるものに困るような、正当な理由のない貧困を抱える奴らは別の世界の存在だ。


 スマホゲームに課金して現実から逃げ出す理由はない。

 金銭的に苦しみのない生活は恢復にとって当たり前の暮らしだった。


「あいつらがいるから。底辺に留まり続けるあいつらがいるから。なろう小説を礼賛するあいつらがいるから僕の小説は評価されないんだ」


 キーを打つ速度がどんどん速くなる。


「くそうくそうくそう」


 怒りに塗れた文章をアップロードする。

 しばらくして、いつものように感想欄に評価が入った。

 いつもの最低評価と、いつもの最高評価。


 しかしそれはいつものではなかった。

 謎の人物の書き込みが恢復の視線を釘付けにした。


「私のクローズドSNSに来ませんか? あなたとはいろいろ話したいのです」

「嬉しいです。でもちょっと……怖いです」


 素直ですね。


 謎の人物はそう書き込んだ。

 恢復にとってその人物が魅力的で贖えなかった。



 二人だけのクローズドSNSで、恢復は小説の意見を貰うようになっていた。その人物は恢復が大学生だと驚いていた。その年齢で国家の将来をこれだけ見据えていることに。


 その人物は政府省庁の役人だと語った。

 二十代だとも言っていた。


「今の社会は間違っている。本当に国家のことを憂う人を差別主義者と貶める。底辺が底辺のまま居たいがために、なろう小説のような世界に浸りきっている。このまま現実逃避が拡大すれば、この国は滅びてしまう」


 だから底辺を引きずり出して、本当の意味で救い出さなければいけない。


「でも僕の言葉は、まだまだ届かないんだ」


 だったら読ませるようにしましょう。聞かせるようにしましょう。


「どうやって」


 それを実際に会って確認したいのです。


「でも怖い。見ず知らずの人と会うのは」


 信用してほしいのです……社会を変革する最良の方法を君に見せたいのです。

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