【1】貧困学園
高層の校舎と植樹が調和する私立大学は大勢の学生で賑わっていた。
気の合う仲間で集まり雑談で絆を確かめ合う。
狭いけれど確実な輪が三々五々。
しかしその輪に入らない彼もいる。
那賀 恢復
それが男子の名前だった。
講義も友人で固まっている。恢復のようなぼっちはマイノリティだった。
――――――――
講義が終わると女子が数人の学生に頼られていた。
「僕、アルバイト先が倒産して……新しいアルバイトも決まらなくてお金がないんです。海部さんが貧しい人を助ける活動をしているって聞いて」
お願いします。切実な男子が女子の前で頭を床にこすり付けた。
海部という女子は土下座する男子にそっと手を差し出した。
「心配しないで。ね」
そして彼女は弁当を広げた。
男子一人だけではない、窮状を訴えるほかの男子や女子の分もある。おにぎりは手作りだが、おかずは出来合いの惣菜もあった。食べるものに困った学生にとって、それは至宝の輝きだった。
「ありがとう。ありがとう」
「家賃や電気代が払えないなら、政府や自治体の窓口を紹介するから」
飢えていたのだろう。次々と弁当を頬張る。
「慌てなくていいから。席に座って。たくさんあるから」
彼らはそうやって海部の弁当を頬張りながら、さっきの真摯な態度を忘れたようにスマホを覗き込んでいた。画面は文字の羅列。小説の投稿サイトだった。
自作の小説を自由に投稿出来、読むのも無料。サイトで人気が出て書籍化された小説は数知れず。その小説の登場人物になり切って、弁当と同じように貪り読んでいる。
「その小説面白いんだよね」
リア充っぽい海部さんがこんな陰気な趣味を知っているなんて。意外だと顔をする男子に彼女は微笑んだ。
「現実ではダメな人でも、異世界ではヒーローになれる小説なんだよね」
「そうだよ。なろう小説を読むことが僕のいちばんの楽しみだ」
「みんなだって本当はもっと豊かに幸せに楽しくなれる権利がある。その夢を実現したのがなろう小説。夢中になって当然よ」
海部の励ましに男子は嬉しくなって画面を次々とスクロールさせた。
そんな中、一人の女子が言った。
「でも海部さん。本当に政府が学生にお金をくれるの? そんないい話があるの」
「正確に言えば貸付かな」
「貸付って。それって借金なんじゃあ」
暗い顔をするのは彼女だけではなかった。誰もがせっかくの箸を置きスマホに目を落として深刻になった。
「お金を借りられるのはありがたいけれど」
「就職出来るかも解らないのに」
「就職しても少ない給料じゃあ返せないよ」
そんな心配を海部は杞憂だと笑い飛ばした。
「大丈夫よ。国とか自治体からの借金なんて返す必要ないから」
驚く彼ら彼女らに彼女はきっぱり言った。
「国は大企業が有利になる政策を決めて、かわりに大企業からたくさんの税金を集めているの。中小企業やパートや派遣社員は大企業の奴隷、犠牲なのよ。集めた税金のほんの一部が貸付金の予算ってわけ。だから貸付金は本来あなたたちのご両親や、あなたたち自身が稼ぐはずのお金なの。奴隷になった上に返さなければいけないなんておかしいわ」
「そうなんだ」
みんな驚いている。海部は得意げだった。
「もちろん『必ず返す』って言わないと貸してくれないけど、そのときだけの言葉よ」
「でもそれじゃあ犯罪みたいだよ」
海部はそういう男子に語気を強めた。
「わたしたちの利益を奪い返して何が悪いの?」
「そんな考え方、暴力みたいで嫌だよ」
「わたしだって暴力は嫌いよ。暴力に頼らなくても社会は変えられるわ。あいつらが借りたお金を返せと言うのなら、不当だって訴えればいいのよ」
「どうやって? 裁判とかするの? 海部さん」
「お金も手間も掛かりすぎるよ。海部さん」
海部は彼らに少しだけ厳しなった。
「みんな。わたしのことは苗字じゃなくって、慈って呼んでね」
慈の言葉に彼ら彼女らは頷いた。
「自分たちの有利になるよう法を捻じ曲げているのは大企業や政府。それを真っすぐに、正しい姿に戻すための活動をすればいいのよ。デモをしたり、SNSにあいつらの横暴を書き込めばいいのよ」
慈の口調が熱を帯びた。
「そうすればテレビとか新聞が報道してくれる。有名になれば支援者が増えて裁判の費用も出してくれるようになる。企業も政府もネットで叩かれやがては折れる。みんなあなたたちの味方よ」
目から鱗が落ちるように周りが納得していた。
「慈さんはどこでそんなやり方を知ったの?」
「生きる上では常識よ。みんな大げさなんだから」
慈さんはすごい。そう持ち上げられていたときだった。
「そんなのおかしいよ」
思わず声を上げたのは恢復だった。離れた席でずっと聞いていたが、我慢ならなくなった。彼は驚く彼らの輪を割って声を荒げた。
「国が決めたルールをわざと破るなんてあり得ないよ。貸付金は返すことを前提にしているのに、みんなが踏み倒したら返済には他の予算を使うことになるし、その予算が必要な人が困るんだよ」
「何言ってるの」
「国のお金の使い道は政府も大企業も勝手に決められない。みんなが投票した国民の代表、国会議員が決めたものなんだ」
「は?」
しかし慈は即座に反発した。
「その考えが政府や大企業に騙されているって言うのよ」
「大勢の人が投票した結果には違いないよ。みんなが納得して決めたんだ」
「それなら選挙そのものが不正操作されているのよ」
「そんな証拠どこにあるんだよ」
「わたしの周りのひとは誰も政府与党に投票なんかしていないからよ。ここにいる人だって、みんな選挙に行ったんでしょ? 与党に投票した人なんていないよね」
みんなもごもごと口を動かすだけだ。
政治なんかよく解らないから選挙そのものに行ってないなんて、この雰囲気では言えない。
「これだけ貧困を放置した与党になんか投票していないよね」
政治なんかよく解らないから与党に投票したなんて言えない。
「ほら。与党が圧勝するのは不正があるに違いないのよ」
「誰も不正なんかしないよ」
そう言う恢復を慈は抑え込みにかかった。
「票を買収してるに決まっている。社会の大多数の貧しい人を蔑ろにする連中が法を守るなんてあり得ない」
「この国の仕組みは僕たち一人一人が作っているんだ。誰も蔑ろにされていないよ」
「証拠は? 奴らが不正をしていない証拠はあるの」
「ないものは出せるわけないよ」
みんなが作った政府はみんなの意見を繁栄している。なのに慈と恢復の言葉が逆転していた。
「わたしには解るよ。奴らが汚れていて貧しい人が正しいことが」
貧しい人だけが選ぶ政治家だけが、民意を反映した正しい政治をするの。
「そんなの暴論だ。全ての国民が選ばないと意味がないんだ」
しかしほかの学生が慈に替わるかのように猛攻撃してきた。
「お前何様なの? 政府の味方しやがって」
「わたしたちは生まれた時からずっと貧しかった。奨学金も限界まで借りて……これ以上借金を増やしたくないの」
「だったら頑張っていい会社に就職してお金持ちになれば」
「一日八時間バイトしないと学費も生活費も払えない」
「毎日二時間しか寝てないんだ」
「この国は間違っている。親が貧しいから子供も貧しいなんて理不尽だ」
恢復は言った。
「それでも努力すれば」
「努力したっていい会社に入れるとは限らない」
「リストラされたら終わりだ」
「いい成績取ったってホームレスになった人もいっぱいいるんだ」
「そんなのごく一部だよ。いい成績だったひとは殆どがうまくいってる」
「そんなはずはない」
「わたしはテレビで高学歴ホームレスの特集を見たことがある」
「僕も新聞で読んだことがある」
「ネットだって」
「だから、努力すれば成功するなんて嘘だ」
いい成績だった人が悉く貧しくなった証拠は、彼らの記憶の中にしかない。でもそれは他の人が知りえない以上、嘘だとは言えなかった。
彼ら彼女らは恢復に敵意をむき出しにする。
慈は言った。
「恢復くん。だったっけ。あなたの目が濁っているから嘘を真に受けるの。貧しい人が見たものこそが真実なの」
「みんなで選んだ政府が悪いはずがない」
「まだ言ってる」
「政府の横暴に味方する奴め」
「二度と僕たちに近づくな」
「出ていけ」
そうやって恢復は講義室を叩き出された。
――――――――
興奮冷めやらぬ男子女子に慈は言った。
「わたしが知っている人がセミナーをしてるの。無料だから行ってみるといいよ」
配られたビラには生活に困窮した人への貸付金の相談会と書いてあった。
みんな二つ返事で了承した。