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恢復《かいふく》のディストピア  作者: すが ともひろ
 第1話 文字の向こうの非現実
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【3】都合の悪いことは誰かのせい

「なんてことを」

「この世界はここで終わらせる」


 屍累々の周囲を見渡し、焦るこの世界の『主人公』。

 その『主人公』の現実の姿が男子には見えていた。


 ――努力は無駄だ。俺の親も友人も同じ考えだ。高卒で働く人は早く結婚して、家を建ていい車を買って幸せそうだった。逆に勉強とか努力ばかりの奴は少しでも休めば落ちこぼれ、すぐにクビになると聞いた。


 終わらない努力の向こうの幸せなんか俺にはあるとは思えない。

 だから勉強するのはアホなことだと思っていた。


 仲間と同じように俺も小さな会社の営業職をはじめた。地元の企業だから。楽しそうに仕事する先輩がいるから。きっと俺も幸せになれるだろうと思っていた。


 しかし実態は違っていた。過酷なノルマと終わらないパワハラに三か月耐えられなかった。俺の憧れていた先輩は本当は借金まみれで犯罪に手を染めていた。やがては詐欺とかで逮捕されていた。


 コンビニでバイトを始めたが、釣銭を間違えると自腹だし、クレーマーには土下座させられるしで嫌になって一年で辞めた。派遣になって工場にも行った。でも不景気で時給が下げられた。社員にとって俺たちは物品扱い。人間扱いされなかった――。


 しかし男子はその苦労話を鼻で笑った。


「それはお前が努力をしなかったからだ」

「努力は無駄だ。金持ちだけが勝手に偉くなる。俺たち貧乏人は何も変わらない」


「大学に行けば今よりまともな就職先があっただろ」

「大卒でも初任給がほとんど変わらないじゃないか。責任のない派遣の方がましだ」


「三十歳四十歳になったとき正規と非正規の差は何倍にもなる」

「そんな都合のいい話があるわけない! 努力は無駄だ。みんなが言うから! テレビが言うから絶対なんだ」


「そう思っているのはお前らだけだ」


 『主人公』は肉を揺らして夜闇を階段で駆け上がり、そこからナイフを次々と投げてきた。鋭い銀の輝きは避けるのに精いっぱいだ。今までの雑魚とはまるで強さが違う。


「この世界は俺が作った。俺に勝てる奴など存在しない」


 ナイフが刺さった黒い空に穴が開き、星の瞬きのような光が見える。

 避けきれない。男子の服はボロボロになっていた。


「解ったか! 二万部売れた俺の小説の実力を」


 しかし息を切らせ上段から仁王立ちする『主人公』をまたしても男子はバカにした。


「お前、その収入で何が出来た」

「何って、新しいゲーム機買ったり寿司食べ放題とか、とにかく贅沢出来た」


「これからも売れるのか? お前が嫌っている仕事よりも稼げるのか」

「当然だ! いまの仕事ももうすぐ辞める。俺は小説一本で生きられる」


「冗談言うなよ」

「なんだと」


「二万部売れても印税は6%で72万円。年四冊出しても144万円しかない」

「そ、それでも売れ続ければ」


「残念だったな。この小説の読者を倒した以上、お前も底辺に逆戻りだ」

「嘘だ」


 そんな現実は認められない。


「嘘だ」


『主人公』がナイフを捨て大剣をどこからともなく出現させ、偽物の夜空から飛び降りた。まっすぐ男子に落ちながら剣を振り降ろした。


 男子は細身の剣を斜め上に振り上げた。大剣が折れ『主人公』が真っ二つになった。


「な、なぜこの俺が」

「積み重ねのない成功なんか存在しないのさ」


 男子の剣の波動がそのまま背景の夜空を切り裂いた。スクリーンのような空が剝れ周囲が真っ白になる。そこはビルや民家の現代の街並みだった。


 本物の光を浴びると、この世界の人も城も草原も粉々に散ってゆく。

 そして『主人公』も『読者』も消えていった。


 ――――――――


「ここは」


 薄汚いロッカーが並んだ更衣室だった。パイプ椅子から落ちそうになる作業服の男は、あの世界の主人公のモデルとして、同じような体形だった。


 うたた寝なのに何か月も経っているように感じる。


 そうだ俺は小説を書いていたんだ。寝る間も惜しんで書いた小説は確かに出版され、それなりに売れていた。だがそれもほんの少し前の出来事だったなんて信じられないでいる。


 ドアが開いた。


「おい何やってる。休憩はとっくに終わったぞ」

「は、はい」

「全くこれだから派遣は」


「……」


「その態度は何だ! ちゃんと謝れ」

「も、申し訳ございません」

「声が小さい」


「……」


「聞こえないって言ってるんだろうが」


 社員が男を突き飛ばした。ロッカーに体をぶつけ倒れる肥満の男。


「そういえばお前、派遣辞めるとか偉そうに言ってたな」


 容赦なく社員は男を踏みつけた。


「あんな小説が売れるだって? バカじゃねーの」


 確かに売れていたんだ。


「お前のような奴にほかに仕事があるか! ゴミクズめ」


 俺には読者がいたんだ。


「オラ! 働け! 働け」

「言わせておけば」


 抑えられず男はついに社員に殴りかかった。



 鉄のロッカーが軋み、使えないほど凹んでいた。

 呻き声も聞こえなくなり更衣室が静かになった。


 ロッカーの一つから着信音が鳴った。作業場には持ち込み禁止のスマホだ。

 それはしばらくして留守電に変わった。


三好みよし かなめさん。編集部です』


 電話の向こうの男性の声がくぐもった。


『大変言いにくいのですが……次巻の刊行が中止になりました』


 編集部からの通知は続く。


『一巻と二巻は好評だったのですが、第三巻で売り上げが大きく落ちてしまい、当社としても次巻は出せないと……ぷぷっ』


 それまで神妙だった電話の向こうの声が突然笑いに変わった。


『おいおい! 真面目な電話してるんだから邪魔するなよ』


 しかしスマホの向こうは盛り上がっていた。


『このネタ最近SNSで人気なんだから』

『まあ流行らせたのは俺だけどな』


 ほかの編集部員の声が聞こえてくる。


『売れなくなった作家なんて切り捨てて当然だよ』

『なろう小説のどこが面白いのか、わたし未だに解んないのよねー』

『腹減らない? ちょっとコンビニ行ってくる』

『俺ざるそば』

『わたしは牛丼』

『お前ら向こうに聞こえるだろ!』


 電話口の男が取り繕った。


『次の傑作をお待ちしています。本当にありがとうご……だからそのネタやめろって』


 繕いきれないまま爆笑とともに留守電は終わった。


 ――――――――


「なんでこんな本面白がってたんだろ」

「努力なしで成功が手に入るとかアホみたい」


「こんな安直な世界に浸ってた自分が恥ずかしいよ」

「現実と乖離しすぎてる。この主人公には全く感情移入できない」


「僕も底辺だけど、こんなのに夢中になるほど落ちぶれたくないね」

「バカにされるだけの存在は嫌だ。わたしは努力して底辺を脱出する」


 文庫本が駅のごみ箱に、アパートの集積場に次々と捨てられてゆく。刊行されて三か月経たないのに古本の買取は拒否された。それはあるべき現実だった。

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