31. わたしとカインと縁切り
カインはひとしきり爆笑したあと、「先十年分ぐらいは笑ったな」とまなじりに滲んだ涙を拭った。そんなに笑いに飢えた人生を送るつもりなのか、もっと楽しいことあるよたぶん。高笑いは似合いそうだけどガチ笑いはあんまりしないのかな。
「俺の縁を見てくれないか?」
「え?」
「見てくれよ、もっと面白い話が聞きたいんだ」
「不敬にはなりませんか?」
「不敬になるような悪縁まみれなのか?」
ぐうの音も出ない。わたしは「無礼講でよろしいのなら」と念を押せば、カインは勿論と快諾する。昼間の茶会はなんだったのか。懐柔のための演技かとも思ったが、その辺のモブをこれほど執拗に懐柔しても意味はない。わたしはかけていた眼鏡を取り、スノウに預けた。眼鏡が似合う賢いドッグだ。さすがである。できればネクタイ型の首飾りもつけてあげたい。
眼鏡を外した時点でギフトは発動している。左手首に絡まる無数の糸は暗い色のものばかりだ。それでも前回よりも詳細に見えるので、良縁もいくつか見える。おそらくは尊敬と敬愛、忠誠に近いものだ。そして呪いのような黒い糸の中に埋もれるように、淡く色づく縁がある。桜を思い出すようなそれはまだか細い。おそらくだが、カインと相手は面識がない。あるいは、まだ出会ったばかりで互いをよく知らない。
それをじっと見つめていたら、左手首に絡まる縁の一つがピンと一方向に伸びる。そちらの方向を見れば、森がある。夜に包まれた森は暗く、足を踏み入れたら最後出てこれないように不気味だ。そこに一直線に伸びる縁は黒い。──まぎれもない殺意を示している。
ドクン、と嫌な予感に鼓動が跳ねて、わたしは反射的に「スノウ、伏せ!」と叫びながらもカインを押し倒した。ガッ、と打撃音にも似た音が頭上で聞こえ、わたしに転がされたカインが「矢だ!」と体勢を入れ変えるように転がり、立ち上がる。そのままわたしの手を握って庭園の方へと駆け出した。
だが丘陵ゆえに見通しが良すぎて刺客の分が勝る。
カインと刺客を結ぶ縁はひとつだ。複数人での襲撃ではない。それをカインに伝えようとして、矢がカインの肩を掠めていく。
「陛下!!」
「大丈夫だ、多少の毒には耐性がある! このまま走るぞ!! スノウは宮殿に先導してくれ!」
カインはわたしを横に抱き上げた。後ろから放たれる矢から守ろうとしている。スノウに先導させたのもそうだ。嗅覚が優れているから、とこの男は言い訳をするだろう。
──もしここでグラニテスの王が死んだのなら。なにが起こる? 新たな内乱とその王による各国への侵略?
打算が頭を駆け回る。それでも、目が男の肩から滲んでシャツを汚す血から目を逸らさない。あの日、人を殴って震えていたわたしへと伸びた男の手は温かかった。それだけは確かだったのだ。
国家の危機とか、そういうのがすべて吹き飛んだように、わたしはカインの左手首を見た。わたしの左の二の腕に回るそれに、右手が届いてよかった。チョキのサインはこの緊迫した中では滑稽だろうが、片手しか使えないので仕方がない。
「──〈縁切り〉」
ハサミに見立てたそれを、躊躇いなく閉じる。それと同時に視界がぐらりと回って、意識が飛んだ。
◇
昔、ギフトの説明をおばあさまから受けた。ギフトは人に分け与えるために使うもの。私利私欲で使うものではない。そしてギフトの使い方は「なんとなくわかるものだ」と。
わたしはまだ七歳で、そして前世は覚えていたがギフトという魔法に改めて心を躍らせた。人の左手首に絡む縁を見ることはできる。おいで、と呼ぶと縁はわたしのもとに来てくれる。そして縁が結びつく先は、相手が近くにいないとわからない。遠くにいると縁の先が半透明になってしまう。
ある日、バッタが二匹寄り添っていた。よく見ればか細い、糸くずみたいな縁が見える。
そのとき閃いたアイデアは、「縁を切ることができるのか?」ということだった。わたしはその風に飛ばされそうな縁を両手でつまんで、引きちぎった。
そうした瞬間、バッタは生命活動を終えた。ぴたりと動かなくなり、動いていた触覚も固まった。見えていたか細い縁も消えて無くなり、二匹とも死んでしまった。
そのとき、わたしは思い出した。この村でいちばんのおしどり夫婦である片割れの旦那さんが亡くなったとき、あれほど鮮やかな赤色の縁が奥さんの左手首になかった。死んだら縁は消える。
──つまり、縁を切ることは死と同義だ。虫も、動物も、おそらく人も。
このことをおばあさまに話したことはなかった。
わたしは前世があったから、この力を知った祖母の反応が怖かった。あれからこの力を使うことはなかったから、おばあさまも知らないはずだ。
縁を強制的に断ち切る。それは神様の領域なのだ。だけど、わたしはそれができてしまった。
──彼は指先ひとつで敵の命を奪うことができます。
推しはカインのことをそう言っていた。まさしく畏怖を込めた声音で。
──わたしも同じことができるんですよ、それも無実の人間に向けて簡単に、なんて。
言えるわけがなかった。
◇
「あなたが護衛を撒くからこんなことに!」
「お説教はやめろと言ってるだろ、ヒューイット」
「じゃあお説教をしなければいけない状況を作らないでもらえますかねえ!?」
わたしが目を覚ますと、横にいたスノウが顔をベロベロ舐めてくる。犬飼いのモーニングルーティンだね、おはよう。……おはよう?
「お、起きたな。じゃあ出てけ、ヒューイット。後の始末は頼んだぞ」
ドアの閉まる音と、声にならない怒声が聞こえてくる。わたしは見知らぬベッドの上で困惑した。とりあえずスノウがいるのが救いだ。ベッドルームに入ってきたのはカインだ。ベッドの縁に座り、わたしの顔を覗き込む。
「具合は?」
「悪くありません。怪我をしたのは陛下の方だったかと」
「問題ない。解毒剤もすでに飲んだ。で、だ」
カインは本題に入ろうとしている。わたしは静かにカインを見つめた。断罪を受け止めるように。
「刺客は死んだ。外傷はない。毒も服薬していなかった。持病だとしても、二十代の男がいきなり心臓を止めるか?」
「二十代の方だったんですね」
「ああ。あいにくと俺のギフトの対象外だったから助かった。そしてあれはアンタのギフトの仕業だな?」
二十代の男。わたしの手で死んだ人間。震える体を両腕で押さえつけて、身を縮める。カインはそれを静かに見下ろして、「初めてその力を使ったのか?」と聞いた。事実を確認するための淡々とした口調だ。
「人、相手には、初めて使いました……」
「なにをした?」
「縁を、」
はく、と呼吸が乱れて、慌てて息をゆっくり吐く。スノウがぐりぐりとわたしの体に横から頭を擦り付けてきて、それに触れる。震えは止まらないが、生き物の温もりに意識が奪われる。
「縁を、切ったのです」
「縁? あの刺客と俺の?」
「……縁には種類があります。悪縁も良縁もすべてが縁なのです。陛下の縁を見た時に、不自然に森へと伸びる縁を見ました。黒い、まがまがしい縁が、」
「わかった、もういい。また寝てろ、ひどい顔色だ」
わたしはふるふると首を横に振った。こんな状態で寝られるわけがない。
「初めて人を殺したのならみんなそうなる。お前は俺を守った。その事実だけを今は受け止めろ」
「違います、違うんです、恐れているのはそうではなくて……」
ぐちゃぐちゃの頭の中で、あらゆる感情がめまぐるしく表層に顔を出す。許されざる行いをしたことへの罪悪感。あれが最善だったと自己を守るための正当化と許容。そしてなによりも吐き気を催すのが、「人を殺したこと」よりも「自分が場合により人を殺すという選択ができる人間であること」に気づき、酷い衝撃を受けたことだ。
「……わたしの人生の選択肢に、『人を殺すこと』が入ってしまったことが……なによりも、恐ろしいです」
一度踏み越えたラインをもう一度踏み越えるとき、最初のような酷い拒絶を感じるだろうか。一度そうしたなら、二度目だって問題ないと、そう判断しないだろうか。人間はそういう生き物だ。一度犯した罪はその後の人生の選択肢に入り続ける。
顔を覆っても涙は出てこない。恐れしかないのだ。自分のギフトが恐ろしい。持った力が恐ろしい。震える体の抑えがきかず、冷え切った指先がわたしのものではないように思えた。
「ならば覚えておけ。お前が殺した男を。二十代の男だ。俺がギフトで粛正した相手の子供だった。よくある復讐だが、その男にとってオレは愛する家族を奪った敵だ。愛する家族がいた人間を、愛を知る人間を、無関係のお前は殺した」
カインはわたしの顔を覆っていた手を掴んで、下に降ろした。そして目をしっかりと覗き込んで言う。罪状を読み上げるように、朗々と言葉を紡ぐ。
「お前の選択肢に殺しが入った時に、思い出せ。相手にも家族がいる。運命の相手がいる。愛を知り心がある。それでもその選択肢を選ぶしかないときは、この言葉を思い出せ」
カインの琥珀の目を見つめる。暗示をかけられていようだと思った。それでも、男の声に耳を傾ける。
「『だとしても自分には関係ない。相手がそれを選んだのなら、自分もまた同じ選択肢を選ぶだけだ』と」
ぽたり、と目から涙が落ちた。カインの言葉が胸の中ですっと溶けて、渦巻いていた感情が消えた。そして残ったのは悲しみだ。自己憐憫にも近いそれに打ち砕かれるわたしに、カインはポンっと頭に手を乗せてから背を向けた。扉が閉まる。
子供の頃のように泣きじゃくるわたしを、スノウが横で一生懸命に頬を舐めてくれる。涙もしょっぱいだろうに、後から後から溢れ出すから、スノウは忙しそうだった。
それがどうにも胸を締め付けて苦しくて、わたしはもっと泣いてしまうのだ。
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