26. わたしと侍女たちと誰こいつ
朝起きると、侍女にビンタされた頬は目立たなくなっていた。相当に殴り慣れている。痕が残らない暴力を知り尽くしたあの栗毛の侍女に、わたしは戦慄した。隣で寝ていたスノウが目を覚ましたのか、わたしを見ているので、わしゃわしゃと頭を撫で回す。
アンティークな置き時計を見つめていれば、控えめなノックの音がした。「失礼します」と声掛けの後に、朝食の乗ったワゴンが部屋へと入り込む。
亜麻色の侍女──ライナは、昨日よりもすっきりとした顔でわたしを見つめ、「おはようございます」と挨拶をした。
「おはようございます」
わたしも挨拶を返して、ベッドから降りた。眠る前に外していた眼鏡を拾い上げて、食事用のテーブルにかける。ライナは焼き立てのパンが乗った皿をテーブルに置いてから、何気なくわたしへと話しかけてきた。
「フィナ様、昨日の夜ビアンカに何かあったそうで、しばらく暇を貰うそうです」
「そうですか」
わたしは頷くだけに留めて、ビアンカ──黒髪の侍女に伸びていた縁の色を思い出した。
手首を拘束するように巻き付く縄のような縁は、汚物のような黒と紫が混ざり合っていて、明らかに悪いものだった。一触即発、というような有様だったが、わたしの予感は見事に的中したらしい。
忠告はしたのになあ、と残念な気持ちだ。
「フィナ様は、縁結びの達人だとお聞きしていましたが……悪いこともわかるのですか?」
おずおずと聞いてきたライナにわたしは苦笑する。明らかにギフトという未知の力を恐れているようだった。
「『袖振り合うも多生の縁』という言葉があります。これは『行き交う人と袖口が触れ合ったのもまた縁である』という意味で、何気ない出会いも確かに縁の一つだということです。意識しなくても、あらゆる人間と人間は縁で結ばれています」
ライナが入れてくれたミルクティーを一口飲み、わたしは言葉を続ける。
『袖振り合うも多生の縁』は仏教の思想を元にした言葉であり、実際の意味は「袖が触れた相手も前世では宿縁があった人間である」ということなので、ここで扱う例としてはふさわしくない。
つまり、これはわたしが「縁」にまつわるギフトを得たゆえで、この世界で再解釈した言葉だ。
しかしながら、この世界での宗教に輪廻転生の思想は含まれておらず、「他生」の概念もない。
むしろ、生まれ直すということは悪魔の所業と思われる節さえある。堕落した魂が天国に行けず、やむを得ずに生まれ直したという説が流布している。
ゆえに異世界の前世持ち──「稀人」は有用な能力を見せつけなければいけなかったという理由があるのだ。
「愛情も縁ですし、憎悪も縁です。肩をぶつかるのも縁ですし、無差別に殺されてもそれも縁です。わたしはそれが見えるだけで、干渉はできません。生き方次第で縁も変わるため、悪縁も良縁も引き寄せるのは当人次第でしょう」
縁には種類がある。太さを持ち、色を持ち、自在に動いたり伸びたりする。このあたりは見えない人間からしたら意味がわからないだろう。
太さはおそらく、向けられる感情の大きさを表している。そして色は向けられる感情の種類を表している。
そしてわたしはそれらを見ることができるだけの、ただの傍観者なのだ。モブらしいよね、本当に。
──などと説明しながら、わたしは朝食を取り終えた。スノウもご飯をもらってご機嫌なので、運動がてら朝の散歩に出ることにしたのだ。
◇
「侍女長、あの女のせいでビアンカが!!」
栗毛の侍女がわたしを思いっきり指差して、後ろに佇む年嵩の侍女長──エイダへと叫んだので、やはりおとなしくしているべきだったかと判断を後悔するも遅い。
庭園をぐるっとしたら帰ろうと思っていたのに、こうしてヘイトイベントが起きるとは思いもしなかった。
「わたしがなにか?」
「しらばっくれないでよ、あんたのせいでビアンカがあんな酷い目にあったんだから!!」
「わたしが何をしたのかきちんと言ってくれますか? まさか親切な忠告のせいで冤罪をかけられるとは思ってもみませんでしたが」
証拠もないくせによく言う、と睨みつければ、栗毛の侍女は「侍女長!!」と懇願するように名前を読んだ。エイダが前に出て、わたしと対峙する。
「フィナ嬢、あなたは自分の立場をわかっていないようですね」
「すみません、もう一回言っていただけますか?」
こういう場合、「マジでその言葉もう一度言えます?」と問い返すのが一番早い。
「……分を弁えない平民が」
マジでもう一回言ってきたよ。すごいわ。いやあ、もはやレオナルドに同情してきたわ。これはもうわたしのヘイトイベントじゃなくてレオナルドのヘイトイベントである。上司として舐められすぎている。
「……で、分を弁えない平民になにをするつもりなんですか? 暴力ですか? その手に持った前時代の遺物のような鞭で?」
エイダが乗馬用の鞭を持っているのを見て、わたしは二度見しそうになった。この時代、鞭打ちとかあるんだ……とドン引きしている。そしてまさかそれでわたしを打つつもりじゃないだろうな? とビビっている。さすがに鞭だと傷も残るし、医者に診せたら言い逃れができない傷害罪の立証が完了してしまう。いや、さすがにそこまでしないよな……?
「グアッ!!」と後ろにいたスノウが鋭く吠える。
わたしの前へ出て、エイダに牙を向くのを慌てて止めようとしたとき、「キャンッ!!」と悲鳴が上がったのを聞いて、わたしは一瞬なにが起こったのかわからなかった。
──この女、いま何をした?
「スノウッ!!」
スノウの体の前に出て、顔を見る。痛みで片目を閉じてはいるが、血が流れてはいない。でももし目に直撃していたら失明は免れないはずだ。ピスピスと鼻を鳴らしながらも、わたしのひどい顔を見てスノウは頬を舐めた。大丈夫だよ、となぜかわたしの心配をしている。
どうして、どうしてこんな目に合わなきゃいけないの? わたしをここに呼んだのは、わたしがここにいるのは、ただひとつの命令のせいだ。わたしが居たくてここに居るわけじゃない。
平民だから? 力がないから? モブだから?
──この世界に必要のない、力のない存在だから?
乾いた笑い声がこぼれ落ちる。世界への呪詛を吐くには、わたしはこの世界で受けた愛が多すぎた。
「……ハハ、ねえ、面白いよね? わたしが望んだわけでもないのに」
「なにをごちゃごちゃと──」
──そう呟きながら肩を掴んできたエイダの頬を、わたしは振り返り様に打ち抜いた。エイダが「ああッ!?」と哀れな悲鳴をあげて尻餅をつくのを見ながら、地面に転がった鞭を拾い上げた。エイダに駆け寄った栗毛の侍女が、鞭を手にしたわたしを見て顔色を悪くする。
「わ、私とエイダ様を打つつもり!? 平民のくせに、そんなこと許されないわ!!」
「王太子殿下の客人を打つことは許されると?」
手のひらを叩いて、よくしなる鞭の感触を確かめる。故郷では馬を借りて遠乗りにでかけることもよくあったが、これを使うのは苦手だった。動物を打つこと自体、わたしは忌避している。
「そもそも、ギフト持ちへの加害行為は厳罰化されていたはず。そのような法律も頭に入れてないのですか? 可哀想に、ろくな教育も受けなかったんですね……」
「黙りなさいよ!!」
立ち上がって殴りかかってくる栗毛の侍女を避けて、すれ違いざまに侍女の背中を肘で打ち付ける。べしゃり、と無様に侍女が地面に転がったが、爽快感も何もない。つま先で石ころを蹴飛ばしたような気分だ。
「治安の良い王都でおじいさまの訓練が役に立つとはね」
おばあさまがわたしに淑女の嗜みを叩き込んだなら、おじいさまは兵士の嗜みを叩き込んだとも言える。「いいか、フィナ、男はみんな隙あらば襲ってくるんだ!! お前はアデルに似てとびきりの美人だからな、相手に慈悲は不要! 素早く殺してやれ!」とよく言っていた。その頃のわたしは主語がデケェ……と思っていたが、まさか女に襲われて護身術が役に立つ事態となってしまった。
「あんた……ッ!! 殺してやる!!」
「元気ですね。なによりです。ああ、すごい、見るも悍ましいほどの悪縁。かなりの恨み辛みを向けられてますねえ、これらの所業にも納得です」
わたしはまだ尻餅をついたままのエイダを見て、鞭を振り抜いた。その風切り音にエイダの肩がビクリと揺れる。
「素敵なプレゼント、ありがとうございます。大切にしますね。できれば血濡れにはしたくないので」
おばあさま直伝の、淑女の笑み。そしておばあさまを見習って逆らえない凄みを乗せたら完璧。「覚えてなさいよ!!」と栗毛の侍女がエイダを引きずって去っていく。
わたしはバッと後ろを振り返って、スノウを見る。怪我をしていないかよく確認しないと、心配でいてもたってもいられない。
「お、目は大丈夫そうだな。可愛いまんまるお目目だ」
「ワギャア!?」
そこには炎のような真紅の髪色の長髪の男が、スノウの目を覗き込んでいた。
スノウが「誰こいつ!?」と吠えているし、わたしも「誰こいつ!?」と叫びそうになってしまった。
犬好きの多い世界
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