19. 推しと王都と王太子
寝ていたら推しの重要なトークを聞き逃した気がする。
とにもかくにも、本日の午後にヒュドールの王太子とのお目通しがある。それまでに間に合わせるため、早朝の四時起きとなった。まだ眠いとぐずるスノウを熊の大腿骨の匂いで起こし、車に乗せる。わたしもホテルのスタッフさんにピカピカのツヤツヤのフリフリにされて、高価な服のまま車に乗り込んだ。スノウはガジガジと大腿骨を楽しそうに噛んでいる。わたしも死んだ目でガジガジとさるぐつわを噛んでいた。
ガタンゴトンとしばらく振り子のように揺られて、たまに休憩をしてお腹を満たし、そしてはるばる王都に着いたのは正午を回ったところだった。あまりにも大きな城を見上げて、わたしはおそらくおばあさまのスパルタ教育がなければアホ面をさらしていたと思う。愛してるおばあ様……。
どこかの海外旅行で見たような立派な仕立ての制服を着こんだ警備兵に近衛兵。白い騎士服を着た男性女性が背筋を正し通り過ぎ、クラシカルなメイド服やタキシードにも似た服を着こむ人々が小走りで駆けていく。時おり、迷彩服にも似た色身の簡易的な制服を着こんだ人々も行き交い、目が回りそうだ。たしか騎士団のほかにも軍隊があるらしい。明確な基準としては、爵位があるか否からしい。平民は市民を守る軍へ、そして貴族は王族を守る騎士へ、というふうに所属がわかれているようだった。
城のメインの通りらしい、幅広く長い道を車で通っていく。他には馬車が通っていたり、教科書で見たような車輪の大きい自転車を乗る貴族がいたりして、正直とっても面白い。文明の過渡期、といったように、様々な技術や文化が混ざり合っているようだった。
リリさんに促されて、車を降りる。そして城内へと入ると、まさしく映画で見たような世界が広がっていた。きょろきょろとしてしまいそうなのを何とか堪える。スノウは犬なのできょろきょろしては匂いを辿っているのか、鼻をヒクヒクさせていた。
彫刻のような支柱が両脇にそびえたつ通路を通る。フロックコートを来た紳士やアフタヌーンドレスを着た淑女ともすれ違い、わたしは逸る心臓を押さえたくて胸に手を当てた。それに気づいたのだろう、推しが「緊張されないでください」と声をかけてくれた。推しのもじゃもじゃボディから生える青い糸が頷くようにうねうねしている。
うん、無理。
「平民とは言え、今はブルジョワ層の方も頻繁に搭乗します。それにフィナもどこからどう見ても立派な淑女ですよ、気後れはしないで」
そうウインクしてくれるリリさんの頼もしさと言ったら。推しすらかすんでしまいそうだ。推し、毛虫だから存在感強いけど。
そうして長い廊下を進めば、立派で大きな扉の部屋に突き当たった。いかにも王族がいますよ、と言った感じの精緻で美麗な文様が彫られた扉だ。
「お、リリに副団長」
その扉を守るように立っていた兵士の一人が声をかけてきた。リリさんは片手を軽く上げる。
「デイン。警備中か?」
「ああ、殿下なら中だよ。そろそろ書類の山で溺れてるかも」
「いつものことでしょ」
「ああ。……ん? そちらは……」
デインはフィナに気づくと、背筋を正して敬礼をした。なのでフィナも慌てて背筋を伸ばし、頭を下げた。
長めの茶色の髪に、垂れた目元が甘い雰囲気を出している。それなのにそばかすが散っているので、純朴そうな印象も与える男性だ。年はリリと同じだろうか? 二十歳を過ぎたあたりに見える。
「無事に連れてこられたんだな。全員指も耳もそろってるか?」
「ああ。デイン、この子を頼めるか? さすがに謁見に連れていけないからな」
「この子って? あ! でっかいワンコだな!!」
推しの問いかけに、デインさんは喜色が滲んだ声を上げた。スノウは口角を上げて舌を出す。そのままトコトコと歩いて、デインの前にお座りをする。ヘッヘッと息を吐き出す笑顔のスノウを見て、「なんてお利巧そうな犬なんだ!」とデインさんが破顔した。
「もちろん、俺は三食の飯と犬がなによりも好きなんです! 喜んで預かりますよ。そちらのお嬢様の飼い犬ですか?」
「はい。フィナと申します、スノウをよろしくお願いいたします。」
「ええ、もちろん! スノウって言うのかお前~! 真っ白だもんな、かわいいぜ~!」
スノウはデインさんに頭を撫でくり回されて「至福」という顔をしている。犬好きの騎士がいてよかった、とわたしは胸をなでおろした。
そしてデインさん、原作に出てきたか覚えてないけどすでに推せる。リリさんの次に推せる。
「お入りください、殿下がお待ちです」
中から侍従が出てきて、わたしたちを通す。先に推しとリリさんが進み、三歩ほど遅れてわたしがついていく。
てっきり玉座の間のようなところに通されるかと思ったが、客間のような広い部屋でわたしはぱちぱちと瞬きをした。
奥のテーブルに座っている少年に、一瞬で目を奪われる。艶やかな銀色の髪。冴え冴えとした水色の瞳。通った鼻筋に薄い唇。怜悧な顔立ちをしたその人は、まっすぐな視線をわたしたちに向けた。
「二人ともご苦労だった。あなたがフィナ・サルソンだな。急に呼び出してすまなかった、私はレオナルド・ヒュドールだ。あなたに用があってここまで来てもらったんだ」
顔どころか声まで良い……。やばい、ボイスの声優さん誰? みたいな美声だ。
くッ、推し変はないがやっぱりかっこいいなレオナルド……ルシアちゃんの隣にいるだけはある。
「ヒュドール王国の若き太陽にご挨拶申し上げます。フィナとお呼びください」
おばあさまから教わったカーテシーでなんとか挨拶をすれば、レオナルドは薄く笑みを唇に乗せた。
「あまり堅くならないでほしい。そちらの席に座ってくれ」
レオナルドに示された席にそっと座る。推しとリリさんはもちろん、テーブルの脇に直立している。メイドさんが来て、紅茶を入れてくれる。鼻をくすぐる馥郁とした香りに、強張っていた肩から力が抜けた。
「無粋だが、さっそく本題に移ろう。俺の妹の運命の相手を探してくれないか?」
「へっ?」
ごめんおばあさま、かぶっていたデカい猫がはがれました……。
明日も更新予定です