悲しき別れ
相変わらずレオは公務やパトロールで忙しく、毎日朝早くから夜遅くまで働き詰めの状態だった。
でもそんな激務の中でも私のために花やお菓子などをお土産に買ってきてくれたりした。
疲れたと言ってすぐに寝てしまうけれども、以前のように背中を向けて寝ることはなくなり、レオの方から手を握ってきたりした。
一度朝起きた時にレオが私の胸の谷間に埋まりながら寝ていたことがあってビックリした。
私の声に目を覚ましたレオが、ゴメンと慌てまくってベッドから転げ落ちたのには笑ってしまった。
ささいな日常がこんなにも幸せに感じるだなんて……レオのおかげで知ることができた。
「じゃあ行ってくる。しばらくは城を離れることになるが……」
「はい。大人しくレオの帰りを待っています。」
領土の端の位置にある街で傭兵が暴れているらしく、そこの自警団だけでは手に負えないと王都に助けを求めてきた。
その要請に従い、急遽レオ達が向かうこととなったのだ。
行って帰ってくるだけでも三日はかかる距離だ。
城の大手門まで見送ると、別れ際に突然レオからギュッと抱きしめられた。
苦しいくらいに力が強い……
目のやり場に困った自警団のメンバーや門番達は全員そっぽを向いた。
「レオ、もう十分です……そろそろ行かないと。」
「……俺はまだ離れたくないのだがな。」
レオは私のことを名残惜しそうに見つめると、おでこにキスをしてようやく門をくぐって行った。
数日離れるだけなのに、なんだか今生の別れみたいだった。
こんなに顔が火照ったまんまじゃアビからからかわれそうだ。
レオからの熱量を覚ましてから部屋に戻ろうと、庭の奥の木陰に腰を下ろした。
「御機嫌よう、ミリアム様。」
涼んでいたら誰かが声をかけてきた。
この人は確か……式典で身を清める儀式の時の神官だった人だ。
随分と冷たい水をバシャバシャとかけられたっけ……
年齢は20代後半だろうか。若くして国の役職である神官の座につけるだなんてとても優秀な方なのだろう。
物腰がやわらかく、気品が漂う綺麗な顔立ちをしていた。
「王子とは大変仲が良ろしいのですね。見ていて微笑ましい。」
神官はそう言うと眩しそうに目を細めた。
どうやら門での熱い抱擁を見られていたようだった。
なんて返事をしよう……お陰様でと言うのもなんだか恥照れくさい………
「どうやら本気で好きになったようですね。役目を果たすにはとても邪魔な感情だ。」
えっ……
神官は私の横にドカッと無作法に座ると、懐から紙を取りだした。
「こういうことをされては困りますね。」
これは……スティルス陛下へとしたためた手紙だ。
必ず目に付くようにと、国王宛ての書類の中に上手く紛れ込ませたのに……なぜこの神官が持っているのだろうか………
神官からはさっきまでの穏やかな雰囲気は消え失せ、氷のような無機質な表情に変わっていた。
この冷たい目……
この目には見覚えがある。
「もしかして……ジャン……?」
神官は私からの問いかけに瞬きすらしなかったけれど、間違いない……この人はジャンだ。
「なんでジャンがここにいるの?なんで神官なんかしてるのっ?!」
「騒ぐな。ここではクリストファーという名だ。ドレン帝国側のスパイとして潜り込んでいる。」
……スパイ?スパイとしてって………
てか、顔にアザなんてどこにもないじゃないのっ!
「なんでいつも布でぐるぐる巻にしてたのっ?意味わかんないんだけどっ?!」
「他にもこの城にはドレン帝国の息のかかったスパイがいる。死にたくなければ妙な行動は起こすな。」
ジャンは私の質問を全く無視して、持っていた手紙を真っ二つに引き裂いた。
「ちょっ何するのよ!!」
奪い返そうとしたら地面の上に押し倒されて口を塞がれた。
「明日のシール殿下の誕生会……身内とごく親しい友人の者達だけで行われる。ドレン帝国からバースデーケーキが送られてくるからそれをおまえが取り分けろ。スティルス陛下の分もな。あとは……言わなくてもわかるな?」
そこで毒を盛れということだ………
いつかはくると思ってはいたけれど、こんな前日に暗殺命令を言い渡されるとは思ってもみなかった。
「スティルス陛下が死んだら花火が上がり、それを合図に山岳地帯に待機しているダダ皇帝直属の先鋭部隊がこの城に向かって進撃を開始する。」
先鋭部隊とは最新鋭の武器と防具を兼ね備えた10万もの兵からなるドレン帝国最強の兵力だ。
国王の暗殺だけが目的なんじゃない。崩御の混乱に生じて一気にルアンダー王国を滅ぼす計画だったんだ……
今はレオが率いていた騎士団もいないから王の代わりに誰も軍をまとめられない。全部罠だったんだ……
「できなければおまえの母親は死ぬ。以上だ。」
この美しい街も罪のない人々も全部が戦火に包まれる。どちらかを選ぶなんてっ……
そんなの、できないっ───────……!
「私、ジャンにも手紙を書いたわ。」
私を残して立ち去ろうとするジャンを引き止めた。
「ねえジャン覚えてる?私が晩餐会に忍び込んで食べ物を盗もうとした日のことを……」
結局ジャンに連れ戻されて、病気の母に食べ物を持ち帰ることは出来なかった。でもっ………
「あれを持ってきてくれたのはジャンでしょ?」
夜中に物音がして起きたら、母の枕元には美味しそうなフカフカのパンと薬が置かれていたのだ。
ううん……その時だけじゃない。
私達なんてもうとっくに、その存在ごと消されてもいいような危ういものだった。
そうならないように、ジャンはずっとずっとそばにいて……
「……ジャン……お願い、助けて……」
守ってくれていたんだ───────……
ジャンは私の話を聞いても無表情のままだった。
その横顔はまるで、感情のない蝋人形のように見えた……
「私はおまえが思っているような人間ではない。」
ジャンなら助けてくれるって……
「ダダ皇帝に、暗殺者としてここにおまえを送り込もうと提案したのは私だ。」
信じて、たのに──────────……
涙が止まらない。
悲しいのか悔しいのか、憤りなのか……絶望なのか………
いろんな感情の入り混じった涙がボロボロと頬をつたった。
「自分がどうすべきなのかどうしたいのか……よく考えろ。」
凍りつくような冷たい眼差しを残してジャンは去っていった。
ジャンには私が道具としか、映ってなかったんだ……
別れ際の母の泣き声が耳から離れない。
私は優しい素敵な王子様の元にお嫁に行くの。お母様もこれからは贅沢で賑やかな暮らしができるからねと、何度も言って聞かせていたのに……
どんなに辛くてもいつもニコニコしていた母が、もう馬車を出さなければいけない時間なのに泣きじゃくっている。
私と離れるのがこんなにも悲しいのだなと思い辛くなった。
でも、それは違った。
母は最後に私に抱きつくと、耳元で伝えてきた。
その幼い頭ながらに理解していたのだ。私がこれから何をしに行くのかを………
「みーちゃん……逃げて──────……」
一睡もできぬまま朝を迎えた。
どんよりと重苦しい曇から、大粒の雨が落ちてきて美しい景色を薄暗く染めていく……
レオはこの雨の中で今も馬を走らせ荒野を突き進んでいるのだろうか。
早くても帰ってくるのは二日後だ。
レオに助けを求めたくてもできないのだ……
でも……
言えたところでなにが変わるのだろう。
離れた場所に一人でいる母を助けるなんてもう不可能だ。
それに私の本当の役目を知ったら、レオはどう思うだろう……?
私はレオの花嫁ではなく、国王を殺すために送られた暗殺者なのだ。
私が身につけていた指輪にはずっと、毒殺するための薬が入っていたのだ……
レオは私を捕え、投獄するのだろうか。
母の言うようになにもかも捨てて逃げるしかないのかもしれない。
いずれにせよ両国との間に戦争はまた始まるだろう。
そうなったらもう……レオとのこの関係は終わりだ。
「……レオ………」
名前を呼ぶだけで胸が熱く焦がれる。
あなたとこのまま夫婦として生きていけたらどんなに幸せだっただろう……
私の居場所はこの国にはない。
そんなもの、最初からなかったんだ──────……
全てを失うのが怖い……
母を助けるにはこの国を身代わりに差し出すしかない。
私は母を……
選んだ──────────……




