味方なんていない
忘れられたかのように庭の端っこにポツンとある古びた建物が私達親子が暮らしていた家だった。
殺風景な部屋の窓はどれも小さくて、昼間でも薄暗くて寒々としていた。
一方、父やたくさんの王妃やその子供達が暮らすお城はとても賑やかで、夜な夜な豪華な晩餐会が開かれていた。
私達がそこに呼ばれることはなかったけれど、寂しいなんて思ったことはなかった。
聞こえ漏れてくる音楽に合わせて、母が美しいダンスを踊って見せてくれたからだ。
「すっご……なんだあの料理は………」
あんな肉やら魚やらが乗ったカラフルなのは見たことがない。
それになにあの量……あんなにいっぱい食べきれるの?
貴族達はテーブルを囲むように並べられた大きな椅子に寝そべりながら、出された料理を汚く食い散らかしていた。
行儀が悪いというかなんというか……
初めて盗み見た晩餐会は、8歳の私には異様な光景に映った。
国民達は重税による貧困で喘いでいるってのに、特権階級の人達は音楽や大道芸を楽しみながら暴食だなんていい気なもんだ。
腹は立つが今はそんな文句を言っている場合じゃない。どうやったらあの料理をバレずに持ち出すことができるのか………
奴隷の振りをして床に落ちた食べかすを掃除しながらなら上手くいくかな……?
「おや、可愛いお嬢ちゃんだね。お腹が空いているのかい?」
お腹が出っぷりと肥えた口の臭いおじさんが話しかけてきた。きっとこの晩餐会に招かれた異国の要人だろう……
キモイけれど、こいつを利用しないテはない。
「そうお腹ペコペコなの。美味しそうだなって思って~。」
「そうかいそうかい。良かったらおじさんの部屋に来るかい?甘いお菓子もいっぱいあるよ。」
背中に触れた生ぬるい手にゾッとしたが、食べ物を手に入れるためなら我慢するしかない。
「その薄汚い手をどけろ。」
この声は───────……
布を顔に巻き付けた怪しい男に後ろから剣を突きつけられたおじさんは、情けない悲鳴を上げて逃げていった。
ああ……せっかくチャンスだったのにっ!
「なにするのよジャン!料理が逃げてったじゃない!」
「今日の分の食事ならもう運んだ。」
「あんな粗末な食事じゃダメよ!自分で手に入れるからもう邪魔しないでっ!」
「知ってるか?それは窃盗というんだ。」
こんな奴と話をしたところでラチがあかない。
昨日から母の具合が悪いのだ。どんなに辛くてもニコニコしている母が全然笑わなくなった。
早く栄養のあるものを食べさせてあげないと……
晩餐会に紛れ込もうとしたらジャンに体をヒョイと持ち上げられて肩に担がれてしまった。
「不用意に家から出るな。」
「城の中ぐらい自由に出歩いてもいいでしょ!下ろしてよジャン!」
「手篭めにされたいのか?」
「てごめってなによっ?意味わかんない!!」
古びた建物まで早歩きで連れ戻されると、玄関から中へと放り投げられた。
「その母親譲りの容姿はおまえの武器だ。だがキズものになったら価値はなくなる。よく覚えておけ。」
ジャンは冷たい目でそう言うと勢いよく扉を閉めてガチャりと音を立てた。
今のは閂をかける音だ。そんなことをされたら外に出れないっ。
鉄格子のかかった窓に飛びついて思いっきり叫んだ。
「ジャンなんか嫌い!大っっ嫌い!!」
私達親子に味方をしてくれる者なんて誰もいなかった。
それは今も同じだ。
「仕事仕事仕事って!新妻を放ったらかしにするだなんてけしからん夫ですよ!!」
「アビ……声が大きいから……」
今日もレオが朝から晩まで仕事だと知ってアビが発狂した。
「だって結婚してから10日間ずっと寝に帰るだけだなんて酷すぎます!ミリアム様だって初夜を思い出して体がうずくでしょっ?」
「アビ……本当に声が大きいから……」
その初夜もしてないのだとはとても言えない……
レオは皇太子という立場にありながら13歳の頃から騎士団として戦争にも積極的に参戦していたのだという。
今は公務の傍ら、その頃のメンバーとともに自警団を結成して街の治安の維持にも務めていた。
レオは朝早くに出ていき夜も遅くに帰ってくる。
一応同じベッドで寝てはいるけれど、疲れたと言ってすぐに寝てしまう……
床入れの儀式で仲違いをして以来、レオとの間には気まずい空気が流れていた。
私があんな態度をとってしまったから嫌われてしまったのだろう………
距離を置いたからか私の気持ちもだいぶ平静を取り戻してきた。
危うく、一時の感情に流されて大事なものを見失うところだった。
これで、いいんだ───────……
「レオナルティス様はパトロールだとか言っておきながら浮気をしてるんじゃないでしょうか?」
「そ、それはないんじゃないかな。だってこの国では不倫をしたら即打首なんでしょ?」
アビいわく男なんて浮気をする生き物らしい。
現に貴族達の中では変装をして愛人宅に通ったり、侍女として雇ったりしてよろしくやっている輩も多いのだという。
「尾行して確かめてみましょう。城の門番は私の知り合いなので御安心を。」
「知り合いって……フィアンセなんでしょ?」
アビは故郷の島から彼氏と一緒に出稼ぎに来ており、結婚資金を貯めている真っ最中なのだと聞いた。
私に指摘されるとアビはアタフタと慌てだした。
「わ、私のことはいいですから!レオ様はいつも昼過ぎに街に出かけるようなので、今から急いで支度をしましょう!」
あのレオが女性関係でそんな器用なことをしているとはとても思えないのだけれど……
でも……
私のことを心配してこんなに親身になって考えてくれるアビの優しさが、すごく嬉しかった。
落ち着いた色味のワンピースを着て、ピンクゴールドの髪をアップに編み込んで頭巾を被った。
完璧な町娘の格好だ。これなら私がミリアム妃だと気付く者は誰もいないだろう。
私達は大手門が見渡せる大きな木の影に隠れ、レオが城から出てくるのを待った。
アビに言われるがままにしてしまっているけれど、本当にこんなことをしてもいいのだろうか……
ノリノリのアビに今更止めようなどとは言い出しにくい。
「ヤバイなあ今日はあの頑固じじいとペアなんだ。」
門番の仕事は二人一組の当番制で担当している。
アビがいう頑固じじいとは長年門番を務めているベテランさんで、鉄壁の守りを自負する頭の固いお人なんだそうな。
じゃあ今日は諦めましょうかとアビに言いかけた時、黒い軍服姿のレオが三人の部下を引き連れてやってきた。
レオは門番にご苦労と声をかけると、扉を開けさせて外へと出て行った。
どう見ても今から街のパトロールをしに行くとしか見えなかったのだけれど……
「私があの頑固じじいを引き付けますので、ミリアム様だけでも追いかけて下さい!」
「えっ、私一人でって。それはちょっとアビっ……!」
アビは不審者がいたと言ってどこかにベテランさんを引っ張っていってしまった。その隙にアビの彼が早くと言って手招きをしてきた。
流されるがままに城から一人っきりで出されてしまったけれど、もうレオの姿なんてどこにも見当たらない。
これってどうすればいいのだろう………
すぐ城に戻るのも二人の頑張りを無下にするようで気が引ける。
仕方がない、くるりと街を一周したら戻ってくるか……
トボトボと街の中心部へと向かって歩き始めた。
海へと続く石畳の坂道を下りていくと、三角形のオレンジの屋根が並んだ可愛らしい街並みが見えてきた。
花や実に彩られた植物が生い茂り、市場ではたくさんの露店が立ち並び活気に満ちている。
馬車に揺られて垣間見たこの国の街はどれも素晴らしかったけれど、この王都は特に賑やかで眩しいほどに美しい……
私がいた国は凍てついた乾いた大地が広がり、人々が住む家も赤黒い煉瓦造りで重苦しかった。
人も街も、常にどんよりと薄暗く曇っていた……
なんだか自分が、ここに存在してはいけないような気がしてきた。
もう引き返そうとしたら、レオが路地裏へと入って行く姿が遠くに見えた。
城を出る時は軍服を着ていたのに町人の服装になっていた。わざわざ着替えたのだろうか?
「貴族達の中では変装をして愛人宅に通ったり……」アビが言っていた言葉を不意に思い出した。
ま、まさかっ……本当に浮気っ?!
ハンマーで頭を殴られたくらいの衝撃を受けた。
例えそうだったとしても私にそれを責める権利なんてないのはわかってる。
わかってはいるけれど……
真実かどうかだけでも確かめたいっ……!
気持ちをぐっと奮い立たせ、レオが消えていった路地裏へとあとを追った。




