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美しき海

婚礼の式典のための準備は目まぐるしいほどに忙しかった。


三万人は超える参列者の名前や経歴に全て目を通し、一日に五回も着替えるという豪華絢爛な衣装を生地から選び、格式高く行われる儀式の細かな作法やその意味を習い、はては行列時の美しい歩き方の特訓まで………

やらなければならないことが山のようにあった。


式典が終わるまでは夫となるレオとは別々の部屋で過ごす。

儀式の予行の際に顔を合わすことは何度かあったが、こちらをチラリとも見ようとしない。

不機嫌なオーラが全開で、日増しに濃くなっているような気がした。

婚約を破棄するとか言い出すのではないだろうか……



なんとかしないとと焦りつつも、私はずっと母と二人で軟禁状態のような暮らしを強いられていた。

どうすれば相手の気を惹くことができるかなんて、わかるよしもなかった───────……












式典まであと一週間と迫ってきた。

仮縫いをした真っ白なローブ・デコルテのドレスを試着していると、レオが一人で丘を昇っていく姿が見えた。

手には背丈よりも長い棒を持っている……


「レオナルティス様はどこかにお出かけなの?」


近くにいた私専属の世話係の少女、アビに聞いた。

背の低いアビはひょいと背伸びをして外を見渡すと、はは~んと目を細めた。


「あの丘の向こうには海に突き出た岩場がありますので、そちらで釣りをされるんじゃないですかねえ。」

「……海まで歩いて行けるの?」


海なんてものは書物でしか見るすべがなかった。

一度間近で見てみたい……

準備の合間にこっそりと城から抜け出し、丘を登ってみた。




「すごいっ……これが海?」




夜に遠くから少しだけ見えた真っ黒な海とは全然違う……

全てが水に覆われた大地は太陽の光でキラキラと反射していて、今までに見たどんなものよりも美しかった。

それに、風がこんなにも気持ち良いだなんて……

砂ぼこりの混じった冷たい風しか味わったことのない私には、とても新鮮な空気だった。


「美味しい空気。」


そう言えば海の水って塩がきいてるんだよね?飲んだら美味しいのかな……

ちょっと味見をしてみたくなって海岸の岩場まで降りてみた。




小さくて足がいっぱい生えた生き物が穴から顔を出していた。

これは……カニ?

つまんでみるとハサミで指を挟まれた。

「痛っ!」

ブンブン手を振り回したら海の中へポチャリと飛んでった。

カニって小さいのに攻撃してくるんだ……知らなかった。

こっちには黒くて丸くてトゲトゲしたのがいる。これはなんだろう?




「それには触るな。毒がある。」




触ろうとしていた手を慌てて引っ込めた。

声のした方に視線を向けると、レオが大きな岩の上に立って私のことを見下ろしていた。

その怒っているような鋭い目付きに体が強ばった。


「何しに来た?」

「あの……その、水を飲みに。」


気に触ることを言ってしまったのか、レオはさらに険しい顔つきになった。

早く水を飲んで城に戻ろう……そう思って窪みに溜まっていた水をすくって口に含んだのだけれど………

ブハッ……っ!とても飲めたもんじゃないっ!


「おまえはバカなのか?」


むせ返る私にレオが呆れたように言った。


「こんなに辛いだなんて知りませんでしたっ。」

「当たり前だろ。それにその場所は危ない。時折高い波が押し寄せてき……」

レオの言葉を遮るように波がぶつかる激しい音がした。

壁のような白い水の塊に全身が覆われて海へと引きづりこまれそうになった時、大岩から飛び降りてきたレオが私の体を引き寄せて強く抱きしめた。

レオの硬い胸板が頬に密着し、男の人の力強さを感じてドキリとしてしまった。


「あ、ありがとうございます……」

私もだけど、レオも海水を頭からかぶってびしょ濡れになってしまっている……


「最悪だ。」

「も、申し訳ございませんっ!!」


レオは私から離れると、濡れた髪の毛を気だるそうに両手でかき上げた。

とんでもないことをしてしまった。今すぐ国に帰れと罵倒されるかもしれないっ……どう謝れば許してもらえるのだろうか………



「別にいい。おまえの方がひどい有様だ。」



私の髪の毛は濡れると赤く染まり、クルクルに絡まって爆発したような頭になる……

こんな姿を晒すだなんて恥ずかしい。

髪の毛を抑えながら真っ赤になってうつむいている私を見て、レオはフハッと笑った。

そして何事もなかったように軽やかな足取りで大岩をかけ上った。



笑った……今、一瞬だけ笑ったよね?

笑うんだ……

いや、人間だから笑うんだろうけれど。






「あの……城に戻って着替えないのですか?」


再び釣りをし始めたレオに遠慮気味に尋ねのだが、放っとけば乾くと返ってきた。


そんなもんなの?

なんか体中がベトベトするのだけれど……

待てよ。これはもしかしてチャンスかもしれないぞ。



「私も隣で乾かせて頂いてもよろしいでしょうか?」



聞こえているはずなのにレオからの返事がない。

やっぱり私は嫌われているのだ。きっとそばに近寄ることでさえ不快なのだろう……


「どこに行く?」


トボトボと歩き出したらレオから呼び止められた。


「お邪魔なようなので城に戻ろうかと……」

「邪魔とは言っていない。好きにしろ。」


それっていてもいいのかダメなのかどっちなの?さっぱりわからない。


「……では、隣に座らせて頂きます……」


大岩に手をかけてよじ登ろうとしたけれど、ツルツルと滑って一人ではとても上れそうになかった。

苦戦する私に気付いているはずなのに、レオは知らんぷりで釣りをしている。

やっぱり帰れということなのかと諦めようとしたら、腕を掴まれて軽々と引っぱりあげられた。


「あ、ありがとうございます……」


レオはああと無愛想に返事をするとまた棒を振り上げて糸を垂らした。

その横に、胸をドキドキさせながら腰を下ろした。


レオの手が触れた肌の部分が熱い……

波にさらわれないようにと抱きしめてくれた時にも感じたけれど、凄く力強かった………


結婚相手が六つも年下だと知った時は、なんだ子供かと高をくくっていた部分があった。

でももう、立派な大人の男性なんだ──────……


やだなあ……


男のヒトに対しての免疫がないから変に意識してしまう。

恋をしに来たわけじゃないのに……



「お魚はお昼寝中ですか?」



一向に釣れる気配がないので聞いてみたのだけれど、レオはムッとした表情をした。


「釣りなんか久しぶりだからな。ずっと誰かさんの国が理不尽な攻撃を仕掛けてきていたのだから。」

「……誰かさんて、私のことですか?」


「しかも今度は仲良くしたいなどと言ってきて茶番のような仰々しい式をあげなきゃならん。全く、バカバカしくてやってられん。」


レオの喧嘩腰の物言いにカチンときてしまった。

確かにドレン帝国は野蛮で褒められたような国ではない。だからといってバカバカしいなどとなじられる筋合いは全くない。

私のことが気に食わないのならそうハッキリと言えばいいのにっ……!



「これは私とレオナルティス様との結婚ではなく、国と国との契約です。世界の平和のため、しいては自国民のために行うのです。」



自分はこの国の国王を暗殺しにきたというのに、我ながら歯の浮くような熱弁だ。


「私をお嫌いなのは十分承知しております。ですがあと一週間は我慢して下さい。それが終われば他で遊ぶなり次のおきさき様をめとるなりお好きにどうぞ!」

「……おまえは何を言ってるんだ?」


「私に触れるのも、おいやでしょうが床入れの儀式の時だけは我慢して下さい。優しくして頂かなくても結構ですからっ……」

「ちょっと待て。俺はおまえのことをいやだと思ったことは一度も無いぞ?むしろ俺はっ……!」




…………えっ?


むしろ………?




レオの顔が真っ赤になっていった。



「今のは……忘れてくれ………」



私の視線から逃れるように横を向くと、何度か咳払いをして誤魔化した。

全然誤魔化しきれてはないのだけれど……





「俺が腹を立ててるのは今回の父のやり方に対してだ。あと……何か勘違いをしているようだが、我が国は一夫一婦制で離婚は許されていないし不倫をしたら即打首だ。」


へっ、そうなのっ?!

ドレン帝国では一夫多妻制だった。

父が和平のために相手国の姫と結婚をしたり、親交が途絶えれば離婚したりなんかは日常茶飯事で行われていた外交だった。

不倫もしょっちゅうで、実際に子供が何人いるかなんて把握しきれないほどだ。

そんな父を見て育ったから、国王になる人はそれが当たり前なのだと思っていた。



この国の結婚て……

それほど意味のある特別なものだったんだ──────……





「どうした?俺との結婚に怖気づいたか、ミリアム?」





挑発的なセリフと艶っぽい表情にゾクッとしてしまった。

さっきまでは赤くなって照れていたくせに……


海のような翡翠色の瞳に、一瞬で心が持っていかれそうになった。






「ミリアム様~探しましたよお!講師達がカンカンにお怒りですので早くお戻りをーっ!」


丘の上からアビが大きく手を振っているのが見えた。

しまった……ちょっと海を見て帰るだけのつもりだったから、誰にも言わずに出てきてしまっていた。

走って下りてきたアビはレオの前でペコりとお辞儀をした。


「先に風呂に入れて髪をセットしてやってくれ。俺の花嫁がこんなクリクリ頭じゃ示しがつかんからな。」

レオはそう言って私の頭を軽く小突くと、フハッと笑って城へと歩き出した。


「レオナルティス様もちゃんとお風呂に入って着替えてくださいね!」

「レオでいい。堅苦しい呼び方は嫌いだ。」


あのはじけるような独特の笑い方……顔の筋肉が一気に緩んで子供みたいに無邪気な笑顔になる。

日頃が無愛想なだけに落差が尋常でない……


「なんか二人、仲良くなってません?俺の花嫁ってちょっとキュンてきちゃいましたあ!良かったですねえミリアム様~。」


嫌われているのだとばかり思っていたけれど、むしろ……気に入ってくれていたんだろうか。




一人としか添い遂げられないのに、敵国の姫である私のことを受け入れてくれていた。

これからいろいろな出逢いが待っていただろうに、まだ15歳という年齢で決断をしたのだ。



レオはちゃんと、覚悟を決めていたんだな……





覚悟もなく中途半端なのは私の方だ。

この国に来てから迷いが出てきている……


これから私がしようとしていることは許されない行為だ。



でももう引き返せない。


母は私がこの役目を引き受けたことでやっとまともな生活を保証された。

もしこの計画が失敗したら、ひとり残してきた母がどんな目に合うか……


誰一人味方のいないあの城で、母はその幼い頭で必死に私を育ててくれた。見捨てるなんてできない……

命令が下れば、速やかに執行しなければならないのだ。



「海を見たいだなんて、思うんじゃなかったな……」



キラキラと光る海が、心を鉛のように重たくしていった。







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