#1 妖喰〜THE MONSTER EATER〜
「皆の者――死してもこの都を守れ!」
「応!」
大将の叫びに、数多の兵が応じる。
しかし、その目の先にあるは人の軍勢ではない。
それは。
「妖物め……人様に勝てると思うな!」
数多の、妖である。
今上の帝の世より、百年余り昔――
突如として京の都には妖物の大軍勢・百鬼夜行が押し寄せ、都にはかつてない動乱がもたらされた。
これに対するは。
「皆の者、案ずるな! 我らには陰陽師の魔除けがついておる、妖などものの数ではない!」
「えいえいおー!!」
再びの大将の言葉に、兵らは前祝いとばかりに勝鬨をする。
時の帝は陰陽師に命じ武具に最大の魔除けを施した上で軍を放っている。
激しい戦いの末――
◇◆
「は、ははは……妖め、人様の力を……見たか……!」
大将は、倒れる。
軍は百鬼夜行に辛くも打ち勝つ。
が、戦の後の都は屍と武具の欠片が転がる荒れ野原となる。
いや、それだけではない。
「おっ……母……!」
「目を、目を開けよ!」
「うわあああ! 父上ー!」
人々は住処・愛するものを失い泣いている。
それでも、焼け野原のままでは暮らせない。
人々は涙を飲み込み、都を立て直し初める。
全ては、少しなれど前へ進むためであった。
◇◆
今上の帝の世。
あれほどの大戦だったが、時が下れば人も忘れる。
今の京の都は繁栄を取り戻し、妖物のことすら人はすべて忘れつつある。
「どけ、我らを何と心得ておる!」
「我らこそ、天下の静氏一門であるぞ。"静氏にあらずんば人に非ず"! 即ち、人でなしはどけ!」
「ははは!」
都の市場にて。
侍らが横柄にも、商人らを足蹴にしつつ闊歩する。
すでにこの二十年ほど、前のことであるが。
時の東宮(皇太子)を巡る朝廷内でのいざこざが起き、侍らがその戦いを武力でもって終結させた。
これにより、貴族に代わり力を得た侍たち。
更にその中でも、他の侍をも押し除けて天下を取った静清栄。
彼は侍としては初めて太政大臣となり、一門の者たちをも高い位につけ静氏一門による天下を築き上げた。
今横柄に振る舞っていた侍は、その静氏一門に仕える者たちである。
「くう……おのれ静氏め!」
「こ、こら! ……禿に気をつけろ。静氏の陰口を叩くと」
「く……」
先ほど虐げられた商人たちも。
禿と呼ばれる静氏一門の陰口に聞き耳を立てる童たちを憚り、愚痴の一つも零せない。
「ははは、ほらほらどかぬか! ……ん?」
しかし、先ほどまで威張っていた侍たちも不意に足を止める。
「なあ、そこどいてくれねえか?」
「何?」
目の前に若者――名は、一国半兵衛という――が立ちはだかったからである。
「そなた……我らにどくよう迫るなどと、中々の大物であるな?」
侍の一人が、眉根を寄せつつ言う。
「いやいや、大物だなんてそんなあ! ……あんたらも、大物なのか?」
「な、何い?」
「はははは!」
半兵衛のこの言葉に。
侍は吹き出す。
「そなた……田舎者か! 我ら静氏一門を知らぬとは!」
「……知らねえな。」
「くっ、そなた舐めるか!」
侍らは半兵衛のこの言葉に怒り心頭に発し。
腰に差す刀の柄に、手をかける。
「……止むを得んてかい。」
半兵衛は懐に、手を入れる。
「……くっ!」
侍らは更に身構える。
小刀でも出してくるか。
しかし、そんな侍らの警戒も虚しく。
「……なけなしの銭だが、これで手打ちにしてくれねえか?」
「……何?」
侍らは拍子抜けする。
半兵衛が懐から取り出したのは、刀などではなく銭だった。
「そなた……やはり我らを舐めておるな!」
侍らは怒る。
しかし半兵衛は。
「いやあ、まあお望みなら斬り合いしても俺は構わねえんだが……大物のあんたらが、こんな所で騒ぎを起こしていいのかい?」
「……くっ!」
半兵衛の言葉に、侍たちは周りを見渡す。
市場の皆の目は、すでに全て彼らへと注がれていた。
「……ふん、図に乗るな!」
「……行こう。」
侍らは興が削がれたとばかり、その場を後にする。
「やあれやれ……ん?」
半兵衛はふと、周りの目を感じ見渡す。
気づけば市場の商人たちがこちらを見ているが。
すぐに目を逸らす。
「おやおや……ま、刀で斬り合いにならずに済んでよかったぜ! 銭の持ち合わせはともかく……刀は持ち合わせがねえからな!」
半兵衛は肩をすくめる。
そして、先ほど払う所であった自らの全ての財を握りしめる。
「さあて、行くか!」
なけなしとはいえ、この銭はある意味ではこれから始まろうとする戦における、刀であった。
そう、この市場にて。
新たな戦が、始まろうとしていた。
「うーん、もう少しかな。」
「ええ……頼むよオヤジさん! 銭をもう一つ減らしてくれや!」
値切りという名の。
「そこまで減らされてはなあ……その刀はやれないな、そのもう一振りの刀ならやれるが。」
「ええ! 頼むよお、さっき静氏とかいう奴ら追い払ってやったろ? だから」
「おおっと! ……いいか? その言葉を禿に聞かれたら、俺あこの首が飛んじまうよ!」
半兵衛の言葉にオヤジは怯え、半兵衛の口を塞ぐ。
「まあ、いいんだぜ? 刀を買おうなんて客は、あんただけじゃないんだからな。」
結局、オヤジは負けてやらず。
半兵衛は負け、オヤジの指差す刀を手に取る。
「くう、せめてその刀が最もマシに見えたのにい! まったく、何だいこんな刀……あ!?」
半兵衛がそっと鞘より抜いて見れば、それは思いの外美しい刃を備えていた。
「えええ! 何だよ、こんな刀がこんな安値で? オヤジさん、早く言ってよお!」
半兵衛はすっかり、図に乗っている。
しかし、オヤジは。
「……いいかい若えの! その刀はなあ、その……大きな声では言えんが。」
半兵衛の肩を抱き寄せ、顔を近づける。
「お、おう……言っとくけど、俺はオヤジと、商人と客より先に行く気はさらさら」
「阿呆! ……戯れんな、真面目な話だ。何でそんな刀がそんな安値だと思う?」
「……え?」
オヤジの言葉に半兵衛は、言葉を詰まらせる。
「……それは紫丸、といってな……いわくつきの刀だ!」
「な、なるほど……それがこの安値の訳かい……」
次にはオヤジの圧に、やや押され気味の半兵衛であるが。
「さあ、若えのよお。……買わねえと決めるのは、今のうちだが?」
「……買うよ、いわくつきでも何でも、こんな美しい刃の刀、お目にかかれねえからな!」
これには、臆することなく返す。
「……そうかい、なら商いはこれにて成ったな……!」
オヤジは半兵衛より、銭を受け取る。
「毎度あり!」
「いや、今初めて来たんだけど……まあいいや、さあて……腹が……」
半兵衛はゆっくり、道に倒れ込む。
◆◇
「さあて……帝の下へ行かねばな。」
大内裏にて。
今上の帝の中宮・聴子は立ち上がる。
今を時めく静氏一門が総大将にして太政大臣・静清栄が娘だ。
「中宮様。」
「氏式部。皇子は任せた。」
「はっ。」
聴子の言葉に、侍女・氏式部内侍は頷く。
中宮聴子が最も信じる、侍女である。
だからこそ、三つになる皇子を任せることもできた。
「ははうえ〜。」
「うむ、皇子よ。氏式部の言うことをよく聞いているのだぞ。」
自らを恋しがる皇子に声をかけ、中宮は帝の下へと急ぐ。
帝の下へ行く訳は、昨夜帝が自分の下に通わなかったためその訳を問い質しに行くためだ。
「帝……何故、愛しき皇子とこの私が待っているというのに昨夜通っていただけなかったのか。」
帝の下へ向かいつつ、聴子は連れの幾人かの侍女らに軽く愚痴を零す。
「中宮様、一夜帝がいらっしゃらなかったといって、それで揺らぐことなどございませぬ。」
「左様でございます。今尚勢いを湛えし静氏一門よりお出の中宮様。更に、皇子は既に東宮に内定していらっしゃることでございますし。」
こう宥めるは侍女らである。が、中宮の心はそれで穏やかになるものではない。
「黙っておれ! ……そうじゃ、帝の御心は私に、中宮に常にあらねばならぬ! それが僅か一夜でも他の后にあろうなど、あってはならぬのだ――」
聴子は声を張り上げる。
と、その時であった。
「帝でしたら、昨夜は私の所にいらっしゃいましたが?」
後ろよりにわかに、声が聞こえる。
「……今、何と?」
聴子が振り返れば、そこには。
「ご機嫌麗しゅう、中宮様。」
帝の后が一人・女御たる黎子が。
右大臣・長門道読が娘である。
未だ皇子はない。
「何と申したか聞いているのだ!」
聴子は思わず、女御に声を荒げる。
「ち、中宮様!」
「……すまぬ、女御殿。」
侍女らに叫ばれ、はっとした聴子は女御に謝る。
「いえ、私はよいのです。……私こそ申し訳ございませぬ、中宮様からのご質問にもお答えしませんで。」
「いや、よい……」
女御は笑みを崩さないまま聴子に言う。
聴子はそんな女御に、言い知れぬ恐怖を覚える。
このゆとりは、どこから来るものなのか?
仮にも、太政大臣の娘にして中宮を前にして。
「私が今申し上げましたのは」
「あ、いや、それも先ほど聞いた。……そうか。帝は昨夜そなたの所に……」
未だ笑みを崩さない女御の言葉を聴子は遮る。
先ほど、あれだけ帝に問い質そうと思っていた気持ちは消えた。
今は一刻も早く、この場を立ち去りたい。
この恐ろしき女御との、話の場から――
「……行こう、皆。」
「は、ち、中宮様!」
「に、女御様。これにて失礼いたします。……中宮様!」
足早に去る聴子を、侍女たちは追う。
「……思いの外、気の小さきお方ですわね。これは、少し買い被り過ぎていましたか……」
女御は笑みつつ、その場を後にする。
◆◇
「くっ……あの女御め!」
聴子は牛車の中にて、静かに怒る。
父・清栄がいる屋敷へと向かう道中である。
「中宮様、お気をお鎮めくださいませ。あのような女御一人」
「氏式部……分かっておる! しかし……あの女から何やら、おぞましき気配が漂うのだ。」
後ろの牛車より、氏式部の声が。
「ははうえ……」
「み、皇子……すまぬな。」
しかし、物憂げに自らを見上げる皇子を見て。
聴子は、はたと気づく。
そうだ、私には皇子がいる。
皇子もなきあの女御など、如何なる手様を用いようともその一点で私には遠く及ぶまい。
聴子は、そう自らを振るい立たせる。
と、その時であった。
「ひ、ひいい!」
「きゃああ!」
「!? な、何だ!」
にわかに響いた叫び声。
聴子は慌てて、牛車の御簾を捲り外を見る。
「あ、妖! ……ひ、百鬼夜行振りの者たちか!」
聴子は、思わず声を上げる。
そこには、鬼の姿が。
「皆の者、中宮様を、皇子様を守れ! 斬りかかるぞ!」
「応!」
従者らは怯えつつも、中宮たる聴子を守らんとして一斉に、斬りかかる。
しかし、鬼はそんな従者たちを嘲笑わんばかりに。
「ぐああ!」
「ぐう!」
従者らを、その手にかけて行く。
「な……あ……」
中宮はその場に、へたり込む。
目の前の鬼。
見たこともないおぞましさである。
「ははうえ!」
「中宮様!」
皇子と、氏式部内侍の言葉に中宮ははっとする。
しかし、目の前には。
腕を振り上げ、今にも中宮を葬ろうとする鬼が。
私は、ここで死ぬのか?
影の中宮でもない、こんな妖などのために?
中宮は自問し続けるが、その間にも鬼の爪は中宮へと迫りかける。
◆◇
「……ん?」
空腹のために倒れていた半兵衛は、ふと目覚める。
見れば、先ほど買った刀の鍔と鞘の隙間から青い光りが。
「……おいおい! まったくあのオヤジは! これが紫丸だって? 自分こそ戯れんなっての! これじゃ、”青い”丸じゃねえか!」
半兵衛は、先ほどの刀屋のオヤジの言葉を思い出し笑う。
と、その時。
「ははうえ!」
「中宮様!」
「え?」
響く声の方を見れば。
そこには、妖の後ろ姿が見える。
その妖の前には、中宮らの乗る牛車が。
「……ん?」
その時半兵衛は、妙な既視感に襲われる。
――主人様!
――半兵衛様!
――半兵衛!
――半兵衛!
――ああ、水上の兄弟! 夏ちゃん、ヒロト! 皆して、この京の都を守って行こうぜ! この、妖喰いの力で!
何やら目の前に浮かんだものは、兄弟らしい二人の若者と、少女。
そして若者がもう一人。
半兵衛は、彼らに見覚えがないが。
「……妖喰い? これのことか?」
言いつつ半兵衛は、自らの身体が勝手に動き出していることに気づく。
「……この京の都を守れってかい! まあ……お易くはねえが悪くない御用だ!」
半兵衛はそのまま、紫丸を抜刀し。
鬼の後ろより斬りかかる。
◆◇
「がああ!」
「……ん?」
にわかに鬼の呻めきが聞こえ、聴子は目を開ける。
見ると、鬼が聴子の眼前で動きを止めている。
そのまま目を凝らして、鬼を見れば。
「な……!?」
聴子は驚く。
聴子を斬らんとした鬼が、その後ろより何者かに斬られたのである。
「おやおや……この京の都で何してくれちゃってるんだい? 妖さんよ!」
「え……?」
鬼の後ろから声がする。
やがて鬼は、倒れる。
後ろから半兵衛が、姿を現す。
「な……何者だ!」
中宮は思わず叫ぶ。
「……ん? これは……」
半兵衛は今しがた鬼を斬り裂いた紫丸の刀身を見て、驚く。
先ほどの青い光は、妖の血の紅さと混じり合い。
まさに刀身のその名に負いしがごとく、紫に変えた。
「なるほど……これが紫丸たる、所以かい!」
半兵衛は高らかに笑う。
◆◇
「なるほど……あれが妖喰いと妖の力か! ……影の中宮、そなたが言いし通り何という力か……ははは!」
この戦いを、影から見つめる者が。
それは法皇が皇子・以人王だった。