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2. 愛猫(3)

 車内は重い空気で満ちていた。二人の心配と、佐賀さんの動揺と、警備員の発言と。いろんなことが頭の中を回る。

 いや、今は二人の無事を祈るだけだ。頭を振って余計な思考を払い落とす。電車を使うと遠回りになる道も車を使うことでかなり時間が短縮される。それでも、車を走らせている時間がとても長く感じた。


「煙が……!」


 そこには黒煙が立ち昇っていた。かなり激しい火事なのかもしれない。偶然通りかかったであろう歩行者たちが立ち止まって黒い柱を見上げている。緊急車両のサイレンが鳴り響いて、車の立ち入りの規制線が見えた。佐賀さんはその手前で車を降りて、少しも躊躇わずに規制線を潜り抜けた。


「入っていいんですか!」


 私は一瞬悩んで、結局潜り抜けた。混乱している現場。消火の指示が、怒号が飛び交っていた。そして私は先ほど訪ねた家が轟轟と燃えているのを見た。絶望だ。何も言葉が出ない。見上げることしかできない。


「危険なので下がってください!」


 あの子たちは。まだ幼い、子どもたちは、どこ。まさか、あの中に?


「ご家族の方ですか?」


 別の消防隊が私たちに近づいてそう言った。


「保護者の代理のようなものです」


 佐賀さんは冷静だった。


「子供が! この家には子供が二人いるはずなんです!」


 消防士の腕をつかんで私は叫んでいた。


「二人の子供は無事です。偶然外に出ていたようで」


 消防隊は私たちを救急車の方に連れて行く。煤で体中を黒くした少年少女が私たちに気づいた。


「あ……っ」


 二人は堰を切るように泣き出した。どれだけ心細かっただろう。私たちは駆け寄って抱き合った。そして声をあげて泣いた。


「二人は私が引き取ります」


 佐賀さんは私の肩を優しく叩いた。


「お二人はご親戚ですか?」


 消防隊の人はそう聞いた。親戚ではないが、家の様子を見る限り今のこの子たちが頼れるのは私たちだけだろう。


「……特殊警察の麻野千宜に連絡をしてください。二人は彼の下で保護します」

「失礼しました!直ちに確認させていただきます!」


 特殊警察?佐賀さんはそんな人と繋がりがあったのか。兎にも角にも、私は今この子たちと離れたくない。足早に彼は去っていく。


「……帰るよ、三人とも。さあ立って」

「帰るって私はあんたたちに……」


 少女は佐賀さんと目を合わせることなく口を開いた。震えた声、炎が俯いた彼女を照らし出す。


「何言ってるの、帰るのよ」


 震える声で私は少女を見た。弟と比べるとひどく煤だらけで、腕にはいくつもの擦り傷、切り傷があった。それが、彼女がどういう人かを物語っていた。この子たちと一緒に帰らなければ。瞳いっぱいに涙をためて、私は二人の腕を引く。


 帰りの車の中で警備員からいくつもの着信があったことに気づいた。折り返しの連絡がなかったことで彼は心配したと少し不貞腐れたようだったが、彼女たちが無事であることに安堵していた。

 そして、そうたくんは事務所に、お姉さんは私の家に泊まることになった。あんなことがあった後で姉弟を離れ離れにするのは心苦しい。そう思いながらも彼女たちはそれを承諾してくれた。






「上がって」


 私は佐賀さんの車から降りてようやく家に帰ってこられた。朝、この部屋を出たのがはるか昔に感じるくらい、長い一日だった。


「まずはお風呂ね、すぐ沸かすから待っていて」


 バタバタと部屋を歩き回って、出しっぱなしのものを片付ける。彼女はその間玄関から動こうとしなかった。その瞳はどこかぼんやりしていて、現実を見ているように感じない。無理もないだろう。自宅が燃えて、もしかしたら自分たちも一緒に燃えてしまっていたかも知れないんだから。私は彼女に近づいて、冷たくなった手を包んだ。


「お風呂でゆっくりしておいで」


 肩に力が入っている彼女に早く安心してもらいたかった。彼女は少しだけ握り返して頷いた。

 何か暖かいものを食べさせてあげよう。私は慣れた手つきで冷蔵庫から野菜を取り出す。近所の直売で安く買えた白菜がある、二人でお鍋でも囲むことにしよう。立派な人参もたくさん入れよう。相手は女の子といえども育ち盛りだ。火は怖がるかもしれない。電気のコンロで調理を進める。


「あの……」


 十五分ほどして彼女はお風呂から戻ってきた。ゆっくりしていいのに、他人の家では落ち着かないのだろうか。


「こっちに来て」


 私は一人掛けのソファーに彼女を誘導する。ドライヤーのコンセントを入れてソファーの後ろに回った。


「ド、ドライヤーくらい自分でできます……」

「いいから、やらせてほしいの」


 遠慮がちの彼女の細い髪を手で梳いていく。ドライヤーの音が二人の沈黙をかき消した。彼女は膝の上で拳を握っていた。こんなに幼いのに。まだ子どもなのに。


「……いっぱい食べて、いっぱい眠って」


 そして早く普通に生活できるようになって欲しい。ドライヤーのスイッチを切って背後から彼女を抱きしめた。


「こんなに……肩の力を入れる必要なんでないのに……」


 彼女の拳の上に涙が落ちた。


「あなたをこんなに苦しめているものは何?」


 私の声もきっと震えていた。


「私はあなたたちを守りたい……」


 彼女は嗚咽を漏らした。小さな肩を震わせて、その両手で顔を覆って俯いた。


「ご飯にしようか」


 私はできるだけ明るい声で言った。

 そのまま私たちは一つのお鍋を囲んで、布団を並べて眠りについた。

お読みいただきありがとうございます!

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