2. 愛猫(2)
「ここがおれの家」
事務所の最寄り駅からから電車で二回乗り換え、一時間ほどで目的地に到着した。この子は乗り換えアプリも見ずに電車の乗り換えをして見せた。一人で電車に乗るのに慣れているのだろうか。
少年が指した先にはごく一般的な一軒家があった。白っぽい外壁に灰色の屋根、小さな庭がついていて芝生は所々剥げている。庭の手入れはあまりしていないらしい。
「お姉さんを呼んできてくれる?」
佐賀さんは少年にそう言った。少年は右のポケットから鍵を取り出して、背伸びをしながら鍵穴に刺した。
「なんで忙しいお姉さんが自宅にいるってわかるんですか?」
「簡単だよ」
佐賀さんは得意げにスマホの画面を見せてきた。それは受信メールのようで「投稿時間は不定期、投稿数多い、深夜にも投稿は多い」と書かれていた。要点だけまとめて送られてきたようだ。送り主を見ると「ネスティー」と書かれていた。
「ネスティーって誰ですか?」
「事務所を根城にしている人は一人しかいないでしょ」
ああ、警備員か。私たちが事務所を出てからイルさんの投稿を調べ上げたのか。
「彼はこれでもうちのれっきとした従業員だからね」
佐賀さんは鼻が高そうだ。かちゃん、玄関が開いてそうたくんが顔を見せた。
「入って」
「君が入社してからの初依頼だね」
前回のは入社前だと認めるのか。
「お邪魔します」
家の中はかなり暗かった。玄関には華美なヒールが散乱していて、隅には埃がたまっている。
「……いらっしゃい」
リビングとみられる広い部屋には高校生くらいの女性が座っていた。カップ麺、コンビニ弁当、レトルト食品、冷凍食品、あちこちにゴミが広がっている。何かが腐ったような臭いが鼻を突いた。思わず手で塞いでしまいそうになる。できることなら今すぐにここから立ち去りたい。
「お金の話?」
彼女はこちらに背を向けたままスマホをいじっている。隣の和室との戸は開かれていて段ボールがいくつか置いてあった。あれらも全てゴミなのだろうか。
「イルがいないとそうたの相手する奴がいなくなるから困るんだよね」
そうたくんは私たちから離れて遠回りして台所へ行き、蛇口を捻ってコップに水を入れた。
「見ての通り、親いないから割引きしてよ。お金ないの」
そのコップすら最後に洗ったのはいつなのだろうと心配になる。少年はそのまま飲み干してコップを適当な場所に置いた。
「学校は?」
彼女もまだ大人とは言い難い高校生くらいに見える。
「見てわかんない?働いてるのよ」
よく見ると彼女はSNSに投稿する文章を考えているようだった。インフルエンサーとして働いているという意味か。私には全く働いているように見えないが。
「そうたくんだよ」
いつもは適当な佐賀さんの声が少し尖って聞こえた。
「行きたきゃ勝手に行くわよ!私、あの子の親じゃないの!」
音をたてて勢いよく立ち上がる。手から滑り落ちたスマホはたくさん貼られたプリクラを見せた。彼女はよほど腹を立てたのか佐賀さんを見上げながら睨む。
「仕事しないなら帰れ」
二人はしばらく目を合わせていた。
「そんな怖い顔しないで下さいよ」
佐賀さんはいつもみたいに優しく笑うとなるべく早く見つけますね、と言って外に出た。
「怖いお姉さんでしたね……そうたくんが心配……」
「彼女にも思うところはあるんだろうよ」
「どういう意味ですか?」
彼女はひどい姉じゃないか。両親がいなくなってしまったら、そうたくんを守るのは彼女の義務だ。そもそも姉弟なら普通親を亡くしても一緒にいたいと思うものだろう。
「君はこれから立派なサガシヤになってくれ」
佐賀さんはそう言って笑った。私の思考は間違っている、そう言いたいらしい。
「私は清掃員なので探しは担当外です」
「補佐も君の仕事だよ」
オレンジ色に染まった空を鳥の群れが横切った。あんなに汚い家で猫を飼えるものなのだろうか。
「あの家で猫を飼えると思いますか?」
「あんなに物があったら無理だろうね」
続きは事務所に戻ってから話そうか、佐賀さんは来た道を戻っていく。
大丈夫だろうか。私は漠然と嫌な予感を察知した。あの家で、子供二人が生活することはあっていいことなのだろうか。警察に言うべきなのでは。けれど私たちへの依頼はただ猫を探すことだ。余計なことをしていいものなのだろうか。子供を保護するのは大人の役目では?
「帰りますよー」
私の悶々とした思考を取り払うように佐賀さんの声が聞こえた。なぜだろう、この人の言うことを信じられるのは。
「あの二人が心配なんですよ」
小走りで彼に追いついて隣を歩く。
「そうだね。心配だね」
佐賀さんにも思うところはあるのだろうか。それともあの二人の未来でも視たのだろうか。
「おかえりなさい」
警備員は社長の椅子に腰掛けてパソコンを操作していた。
「言われたことは調べておきました……」
カタカタとキーボードを叩き続けながら話す。よく同時にできるものだ。電子機器はそれほど得意でないからどうやったらそんなことができるのか不思議でならない。
「助かるよ」
佐賀さんは羽織っていた上着をハンガーにかける。
「社長の予想通りだと思います。確実に結果が出るまでもう少し時間がかかりそうですが」
帰りの電車でずっとネスティーにメールを送っていたのはそういうことか。
「何を調べていたんですか?」
「あの子たちさ……」
「社長!」
言いかけた佐賀さんの言葉を警備員は遮った。今まで聞いた中で一番大きな声で思わず体がびくついてしまった。
「どうした?」
ネスティーはパソコンの画面を見るように促した。
「東京都で火事……? この動画あの子たちの家のすぐ近く!」
私は佐賀さんを見る。さすがに火事となっては穏やかにはいられない。彼は脱いだばかりの上着を手に取って、荒々しく事務所を出て行った。ハンガーは床に落とされていた。
「本当にあの子たちの家か、調べてまたメールしてください!」
「は、はい」
私も急いで後を追いかける。帰ってきたと思ったらまた飛び出していく様子を一階の従業員さんは不思議そうに見ていた。
「あっ……!」
外に出ると、佐賀さんは向かいの駐車場に止めていた白い車に乗り込もうとしていたところだった。
「待って、私も行きます!」
車が動き出す前に私も助手席に乗り込む。
「渡しとく」
佐賀さんは乱雑にスマホを私に渡してきた。あの家の子供たちが無事であることを願ってきゅっとスマホを握った。
「飛ばすから」
声色に余裕のなさが見えた。宣言通り佐賀さんは少し雑な運転で進んでいく。車が動き出して少ししてからスマホが鳴った。メールではなく電話だった。
「もしもし!」
「……火事は五分前に近隣住民の投稿によって発覚。僕らが火事に気付いたのはこの投稿のすぐ後です」
私が電話に出たことに少し驚いたようにも感じたが、彼はそのまま話を続けた。スピーカーにして、佐賀さんに言われてボタンを押す。私もかなり焦っているのだろう。いつの間にかものすごく手が冷たくなっている。
「消火は?」
「もう消防車は到着したらしいです。鎮火したかは不明」
「火元の家は?」
最新の情報を必死に調べている音が聞こえてくる。
「まだ何とも……動画を元に推測するとほぼドンピシャ。誤差は前後左右に二、三軒分くらいだと思います」
「目撃者は、その動画を撮影した人の身元は。放火の可能性は」
「佐賀さん?」
彼の表情は険しかった。まるであの二人の心配の他に何かあるみたいな。
「……僕は警察ではないので」
何でもできるわけではない。ハンドルを握る手が震えている。
「社長が……望むなら……やります」
「……いや……すまない」
佐賀さんは黙ってしまった。やりますって何を?警察みたいなことを調べるということなのか。信号が青に変わり、車は発進した。
「またなにか分かったら連絡します」
「お願いします……」
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