13. 真実を追う人・裏(2)
その夜、佐賀は事務所に戻らなかった。かつて一度だけ行った、仁穂が父と過ごしたアパートに向かい朝を待って麻野に連絡を入れた。
「もしもし、千宜?」
『なんだ、こんな早くに』
「仁穂ちゃんが子どもの頃過ごしてた家に行きたいんだけど、どこだっけ?」
佐賀はちらりと自分の左手にあるアパートを見る。
『なんで急に?』
「あの家にあるもので、仁穂ちゃんに渡したいものがあって」
中学も卒業するし、と付け加える。いつも通りの口調、やましいことなど何もないとアピールして。
『分かった』
納得したのか、麻野はアパートの情報を教えてくれた。
「ありがとう」
こうして佐賀は手回しを終えた。何も言わずに勝手に動けば早々に捜索が開始されてしまう。ある程度居場所を伝えておけば、捜索がすぐに始まることはないだろうと佐賀は考えていた。
この家で視えるもの次第でどう動くかが変わってくる。もしも、本当に一族に関わりがあるのなら、追わないわけにはいかない。
「さて、行こうか」
佐賀は階段を上り、仁穂の家のドアを開ける。警察の監視はあるはずだが、特に誰も声をかけてきたりはしなかった。
「おじゃまします」
室内は古めかしい木の匂いがした。床は定期的に掃除しているようだが、よく見ると隅には埃が溜まっている。靴箱の中には子供用の小さな黄色いサンダルが入っていた。
奥に進み、佐賀はテレビの横の本棚の前で足を止めた。あの時視えた本のタイトルは『意味のない生物』だ。本に指先を当てながら、一冊ずつタイトルを読んでいく。その途中で本の並びの規則性に気づいた。
「著者順か……」
そんなことを考えていると目当ての本を見つけた。本を手に取り、表紙を撫でる。普通の哲学書のように見えるが、これに何かが隠されているのか。
「よし」
佐賀は覚悟を決めて本の上に手の平を乗せた。しかし、何も視えなかった。
「まるで鍵がかかっているみたいだな……」
どうしたものかと悩みながら本を開く。タイトルだけだとスイステラを連想させるが、内容は全く異なっていた。価値のある人間とか、そんなことがつらつらと書かれている。
「胸糞悪いな……」
本を閉じて背表紙を撫でる。その時、佐賀は違和感に気づいた。
「なんか入っている?」
表紙と背表紙の紙は外れないようにテープで固定されていた。その隙間に何かが入っているように感じたのだ。
佐賀は部屋からカッターを探し出してテープを切った。
「あった」
本と背表紙の間に紙が一枚。恐る恐るその紙を取り出し、二つ折りにされた紙を開いた。
「『君が見つけるのを待っていた』?」
それはまるで誰かに宛てられた手紙のようだった。小さな文字がびっしりと並んでいる。
「奪われた記憶?」
『君が見つけるのを待っていた。
奪われた記憶を取り戻せるように、鍵になりそうなことを書き残しておこうと思う。
僕は鈴鹿誉、フタバの兄だ。この紙を見つけたとき、おそらく僕は生きていないだろう。
君を生み出したのは陽寒の一族と言って、とある不思議な花を家紋にしている。彼らは人体実験を繰り返して君のような存在を作り出した。
僕は君を彼らから逃がすために一つの作戦を決行することにした。君が今も自由に過ごすことを望んでいるが、叶うなら、僕の妹たちも幸せであってほしい。
君のかつての記憶を少しでも取り返す手掛かりになれたら、嬉しい。幸せになって』
紙に書かれた文章に佐賀は困惑した。
「どういうことだ?」
この手紙は誰に向かられた物なのか、フタバとは誰なのか。
「鈴鹿……誉」
仁穂と同じ名字。ということは、誉は仁穂の父親の可能性がある。
しかし、この手紙の最後が引っかかる。『妹たち』とは誰なのか。
「仁穂と仁稀」
仁穂には双子の姉がいると聞かされていた。その二人のことを指しているなら、妹ではなく娘たちと書くべきなのではないか。
あるいは、仁穂と共にこの家に住んでいたのは父ではなく兄という可能性だ。
「何のために偽る必要があった?」
仁穂に対して父親を名乗ることのメリットはなんだ。佐賀の頭がズキズキと痛む。
「くそ……」
陽寒の一族。自分が追っているものは陽寒の一族というのか。ああ、聞いたことがある気がする。
佐賀の足がもつれてその場に座り込んでしまった。そして、そのまましばらく座っていた。
「ああ……そういうことか……」
胡坐をかくように座り直し、額に手を当てた。
佐賀はもう一度手紙を読んだ。指先で一文字一文字をなぞりながら。欠けていた歯車が戻って、次々と光景が浮かび上がる。紛れもない、佐賀自身の記憶だった。
「……さて、行こうかな」
佐賀は近くにあった紙にメモを残してそれを箪笥に隠した。サガシヤの人間がこれを見つけられるかは分からないが、見つけられても、見つけられなくてもどちらでもよかった。
手紙を折って胸元に隠し、手紙が隠されていた本を本棚に戻した。これもわざと、元の場所を避けた。
玄関のドアに手をかけて、外に出る。古めかしい階段の手すりに触れると当時の映像が視えた。階段をゆっくりと上っている仁穂の手を取る男性の姿。
「若い」
男性は二十歳くらいに視える。隣の仁穂は五、六歳くらい。妹たちという言葉の方が信憑性は高い気がする。
「フタバは仁稀ちゃんか」
思い出した記憶の中にフタバの姿はなかった。フタバの前に連れていかれたことはあるが、靄がかかったように姿が見えない。おそらく、佐賀の記憶を奪ったのは彼女だろう。
そして、自由になれた妹とは違って、彼女は一族に囚われ続けている。
「急に色々思い出したせいで頭が痛いな……」
同時に様々な作業をしたせいで熱くなってしまったパソコンのように、頭が重く痛む。芋づる式に次々と記憶が戻ってきていた。
「とりあえず誉……」
次に何をしようか考えていた時、目の前に一台の車が停まった。五人乗りの白い車。その後部座席の窓が開いて、見覚えのある人物が姿を現した。
「乗れよ、サガラ」
彼の白い髪が揺れて、冷たい視線がこちらを向く。
「……シオン」
乗っていたのは防犯カメラに映っていたあの白髪の少年だった。しかし、佐賀はこの少年をずっと前から知っている。
佐賀は言われた通りに車に乗り込んだ。
「やっと思い出したんだ」
車は速度を上げて走行する。進行方向は事務所とは反対だ。
「おかげさまで。まだ全てを思い出したわけじゃないけれど」
「へぇ、じゃあ教えてあげようか?」
悪戯を楽しんでいるかのような顔でシオンは佐賀を見てきた。
「鈴鹿誉は仁穂と仁稀の兄であり、一族に従事する人間だった。彼と僕とお前はあの日同じ屋敷にいた」
シオンは前を向いたまま、黙っていた。
「彼は僕とお前を逃がそうとしたんだ。それなのになぜ、お前はそっち側にいる?」
誉は命を懸けた。佐賀と麻野の父が出会った日、あの時の火事は誉が起こしたものだ。そして、その遺体も彼で間違いない。
「断ったんだよ。誉くんが死んだら、フタバが独りぼっちになっちゃうからね」
「仁稀か……」
「でも、お前だけが幸せになるのは気に食わない。僕はお前が大嫌いだから」
歪んだ笑顔だ。
「安心しろ、真っ白なキャンパスに戻してやるから」
シオンの左手の人差し指が佐賀の額に触れた。その瞬間、電源が落ちるように佐賀の意識は途絶えた。
お読みいただきありがとうございます。
こんな時期まで台風が来るなんて驚きですね。




