12. 真実を追う人・後(4)
「皐月くん!」
病院に着いて、病室が並ぶ前の廊下に一人で座っていた皐月くんを見つけた。
「涼さんは?」
「この病室に。今は麻野さんが中にいます」
麻野さんが駆け付けるくらいには涼さんの容体は良くないということだろうか。そんなこと信じたくない。
「容体は落ち着いているの?」
「予断は許さないそうです……。今はかろうじて意識を取り戻しましたが」
脳梗塞によって意識を失っているところを発見された。奇跡的に意識を取り戻したが血液の状態は血栓を作りやすく、血管壁はもろくなってしまっているらしい。血栓ができないように血液をサラサラにすれば、万が一出血が起きたときには止血が遅れることになる。
「特に脳梗塞を起こした部分の血管壁が危ないそうです……」
「どうにかできないの?」
皐月くんは俯いたままだった。
私は病室のドアをノックして中に入る。半分くらい閉められたカーテンから麻野さんの顔が見えて、私は小さく会釈する。
「笠桐あすみが来たぞ」
少しカーテンを手で避けてベッドに横たわる涼さんの姿を見た。
「涼さん……」
僅かに開いた彼女の瞳は光を捉えていないような、ただ瞼が開いている状態だった。
「涼さん……!」
腕に触れると私の冷たくなった手に熱が伝わってくる。
「……佐賀さんの手がかりを見つけたの。明日には帰ってくるよ」
だから、だからどうか死なないで。
ポロポロと涙が落ちていく。
昨日まで普通に一階で服を売っていたのに。サガシヤをずっと見守ってきてくれていたのに。
「絶対、連れ戻すから!」
涼さんの瞳がわずかに動いた。
「一緒に、みんなでお花見行こうねって年越しのときに話したよね……」
少しでも楽しい話を。涼さんは負けない。絶対に負けない。
サガシヤも、麻野さんも、涼さんもこれからもずっと一緒にいるんだ。
彼女の目元がピクリと動いた。涼さんだって負けないって言っているんだって思った、その希望は機械の高い警告音でかき消された。
「え?」
もの凄い勢いで医師と看護師が病室に入ってくる。私は押し出されるようにベッドの向かいの壁にぶつかった。
警告音が耳の近くで鳴っているみたいだ。医師の指示が飛び交っていることだけが理解できた。いつの間にか皐月くんたちも病室の中にいて、私の隣に立っている。
そして、音は鳴り止んだ。
「皐月くん。ここの場所を調べて欲しいんだ」
動かない車の中で、私はくしゃくしゃになってしまった仁穂ちゃんの家で見つけたメモを渡した。助手席にはイチくんが座っている。
「明日……ですか……」
「涼さんと約束したから、絶対行かないと……」
今の自分にできることをするしかない。せめて二人にお別れをさせてあげたい。
「遅くなった」
そう言って現れた麻野さんはサガシヤの車の運転席に乗り込む。
「わざわざ送らなくても俺が全員連れて帰るのに」
「そういうわけにもいかない」
車のエンジンがかかる。
「さっき言っていた手がかりって?」
麻野さんが聞くと皐月くんは手に持っていたメモを見せる。
「日時と花畑が書いてあります。ここに来いってことですかね……」
「詳細が分かったら連絡してくれ。同行する」
「麻野さんが同行するんですか?」
「篠木さんの直下の部下になったから問題ない」
会話が途切れて静かになると車は動き始めた。
「……明日は鈴鹿の卒業式だな」
私はメモの場所に行く。おそらくイチくんも。皐月くんは事務所から無線でサポートをするだろう。
明日、仁穂ちゃんは一人だ。
「……仕方ないな」
麻野さんの言葉がすごく重たく感じる。涼さんがいたら、参加してもらえたかもしれないのに。
じわりと目頭が熱を帯びる。
車は苦しい静寂を乗せていつもの街を走っていた。
約束の日、仁穂ちゃんは仁穂ちゃんの約束のためにちゃんと学校へ向かった。
「あいつのこと、よろしく」
「うん」
目的は一つだ。
迎えに来るイチくんは間もなくの到着予定。
佐賀さんの指定した場所の見当がなかなかつかず、皐月くんが夜通し探してくれていたようで、少し前にようやく見つかったのだ。
キンセンカの花畑は少し遠いところにあった。
『そこを右折してください』
イチくんの運転する車は言われた通りに右に曲がる。後続には麻野さんが乗る車と、他の組織の人が乗っている車が二台。いつの間にか合流していた。
この車の後部座席には篠木さんが座っている。
「混んでるな……」
イチくんが舌打ちする。
県をまたぎ、かなり遠い場所まで来た。
「違うな、迷惑駐車?」
田畑と古めかしい家が立ち並ぶ田舎の風景。少し大きめのこの道の前方に迷惑な停まり方をしている車がいるらしい。
「時間がないね……」
私はスマホの時計を見る。佐賀さんの指定した時間まであと七分。ここからもっと狭くて走行しにくい道が待っている。
「私、走る」
「は?」
このまま車で待っていたら間に合わないかもしれない。そう思ったらいても立ってもいられなかった。
助手席のドアを開けて、私は目的地に向かって走り出す。
間に合わない、なんてことになりたくなかった。佐賀さんを捕まえて、そうしたら言いたいことがたくさんある。涼さんのこと、仁穂ちゃんのこと。佐賀さんを信じて帰りを待っている麻野さんのこと。
止まっていた車を追い越して懸命に走った。
「皐月くん、道を!」
右耳につけている無線を通じて皐月くんにナビゲートをお願いする。
『そのあたりの左手にある細道が近道です!』
車で行くならまだ直進しなくてはならないが、確かに左手に舗装されていない落ち葉が敷き詰められた細道がある。私は迷わずその道を進んだ。
息が切れる。時間まであと三分。緩やかな上りの傾斜が続いている。人なんてほとんど通らないのか、顔の高さに飛び出ている細い乾いた枝がたくさんある。脚が悲鳴を上げても止めるわけにはいかない。冷たい空気が喉を通り肺に突き刺さる。
そんな山道を駆け上がって、そして、開けた場所が見えた。そこにはオレンジ色の綺麗な絨毯が広がっている。
「花ばっ……」
呼吸が苦しくて言葉が出てこない。図鑑で見た、キンセンカの花畑。その中に二つの人影を見つけた。スマホで時間を見るとまだ三十秒の余裕があった。
人影の片方は背が高く見えるので、佐賀さんに間違いないだろう。
「佐賀さん!」
駆け出そうとした瞬間、パンという大きな音が鳴り響いた。
『なんの音ですか?』
目の前で、一つの影がゆっくりと崩れ落ちる。
「え……?」
『あすみさん?』
「撃たれた……佐賀さんと一緒にいた人が撃たれたの……」
私は花畑の中に入り、倒れた少女を抱きかかえる佐賀さんを見る。
佐賀さんは私のことなんか気づかず泣き叫んでいた。
その腕の中にいたのは左胸から血を流した、私がよく知っている少女に似た女の子だった。
お読みいただきありがとうございます。これにて12話は終わりになります。
次回は12.5話。12話で少し登場した佐賀と涼が出会った経緯の小話になります。