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11. 真実を追う人・前(5)

 入ってすぐ左手にキッチンがある。ずっと使われていないのかシンクの中には埃が溜まっている。台所の奥の扉を開けるとそこには洗濯機が置かれていた。その先にドアが二つ。片方がお風呂場のドアでもう片方がトイレのドアだった。

 他のみんなはテレビが置かれていたリビングに入っていた。テレビの隣に大きな本棚が一つ。部屋の隅には子どものおもちゃが転がっていた。テレビはもう使われていないような分厚いものだ。きっと何も映らないだろう。

 その隣の部屋は和室になっていて、布団が畳んで置かれていた。そして、洋服の入った箪笥があって、なぜかその二段目が少し開けられている。隙間から小さな洋服が見えた。


「さて、ここで相良くんは何をしたんだろうね」


 篠木さんは腕を組んで部屋を歩き回る。何か変わっているところが無いかを探しているのだろう。

 仁穂ちゃんは畳の部屋の入口に立ったまま呆然と立ち尽くしていた。


「大丈夫?」


 心配になって声をかける。


「その布団で……」


 仁穂ちゃんは一組しかない布団を指した。


「毎日二人で寝ていたんだ……」


 部屋に入って、仁穂ちゃんの幼いころの記憶がより鮮明に思い起こされているようだった。


「何日も帰って来ない日が続くと、一人で眠るには広すぎて……」


 心臓がぎゅうっと苦しくなった。


「夢じゃなかったんだな……」


 そう言った仁穂ちゃんの目から涙がこぼれた。彼女はずっとお父さんを待っていて、だけどその記憶は時間が経つにつれて薄まっていって。この部屋に残された二人の思い出が、お父さんがいたという証拠なのだ。

 私は仁穂ちゃんを抱きしめた。


「何か気づいたことあったら教えてね」


 こちらのことを気にせずに篠木さんは言った。今は、佐賀さんの足取りを掴まなくてはいけない。

 私は仁穂ちゃんから離れて、まずは近くにあった箪笥をよく見る。普通だったら埃が積もっていたら触っていないと考えられるかもしれないけれど、佐賀さんの場合は少しでも触れればいいので埃の有無じゃ判断はできない。


「……ここってあいつ来たことないの?」


 不意に仁穂ちゃんはそう言った。それもそうだろう。だって佐賀さんは仁穂ちゃんのお父さんのことも探していたのだから。


「いや、以前にも来たことあると思うよ。麻野くんに確認してみないと分からないけれど」

「でも、私の父親の居場所は見えないって言われた。顔もわからないって」


 佐賀さんは以前にも来たことがあって、仁穂ちゃんの言っていることが事実だとしたら、今更ここに何をしに来たのだろう。どうしてここに来ようと思ったのだろうか。智里さんの依頼があった時に仁穂ちゃんはいなかった。なので、スイステラと仁穂ちゃんは繋がらないはず。


「あ!」


 私は思わず声を上げた。


「仁穂ちゃんと佐賀さん、握手したよね……?」


 佐賀さんが仁穂ちゃんに触れる機会は多くない。だけど、合格が決まった昨日、二人は握手をしていた。


「そういえば、した」

「その時だよ! その時佐賀さんは仁穂ちゃんから何かを視て……」


 そしてここに来た。


「何を視たのか分からないのにこの先どうやって探すの?」


 イチくんの冷静な一言によってアパートは急に静まり返る。


「隠そうと思えば」


 最初に口を開いたのは仁穂ちゃんだった。


「あいつはいくらでも隠せるでしょ。それでもこれだけ痕跡を残してるってことは私たちに見つけさせようとしているんじゃない?」


 仁穂ちゃんの指先が箪笥の上を滑り、埃が取り除かれて一本の道ができる。


「何を?」


 私は思わずそう聞いた。


「真実」


 ドスンと何か、重たいものが胸に落っこちたような感覚。佐賀さんはいつだって探していたのだ、彼が失くした真実を。


「この本棚、埃が全然ない……」


 私と仁穂ちゃんの視線が交差する。そんな空気の中で篠木さんが「あ」と言った。


「順番が変だね」


 本棚の前に立つ篠木さんの横に歩く。


「変ってどういうことですか?」

「あの本だよ」


 彼が指していた本棚の上から二段目。本の大きさごとに綺麗に段が分けられている、そんな整頓された本棚。

 しかし、私は彼の言っている意味が分からなかった。順番の規則性を見つけることはできなかった。


「この本」


 篠木さんの指先が一冊の本に触れる。彼は指先を少しひっかけて、本を手前に出した。


「哲学書ですよね?」


 本のタイトルは『意味のない生物』と書かれている。


「並び順、著者名だ」


 いつの間にか隣にいて一緒に本棚を覗き込んでいたイチくんが言う。よく見てみると、確かにそうなっていた。左手から順にあいうえおで並んでいる。


「ヒカン……?」


 その本の背表紙にはカタカナでそう書かれていた。随分変わったペンネームだ。


「ここはカ行の場所なのに」


 両隣は本当にカ行の著者名が書かれている。タイトルの順番ではなく、著者名の並び。


「仁穂ちゃんの言う通りだね……」


 佐賀さんは足痕を残していっている。彼の辿った道が分かるように。

 佐賀さんは望んでいる。私たちが彼を追いかけることを。

 私はその本に手を伸ばした。本は一センチも厚さがない。とても短い文章が書かれているのだろう。表紙を捲り、一ページずつ読み進めていく。


「まずは当事者を知らないと……」


 私はぽつりと呟いた。勝手に口からこぼれたような言葉だった。

 こんなようなセリフを、私は聞いたことがある。その時に確か、立派なサガシヤになるように言われたんだ、佐賀さんに。


「当事者って?」


 イチくんが顔を覗き込むようにこちらを見てきた。

 私はもう一度本に目を落とす。


「この本の著者について調べてもらえませんか?」

「ええ……構いませんよ」


 篠木さんは少し困惑しているようだったが、スマホを取り出して電話を始めた。その相手は皐月くんのようだった。てっきり警察の権力を使うのかと思ったが、皐月くんの力を借りる方が早いかもしれない。

 絶対にこの本に何かがある。私にはその確信があった。


「え、いない? いくら調べても出てこないんですか?」


 篠木さんの言葉を聞いて私は後ろのページを見る。出版社や発行日が書いてあるはずのページを。

 確かにそこには書かれていた。実在する出版社名と、初版の発行日。そしてこの本の発行日も。


「十二月二四日……」


 間違えるはずもない。その日は仁穂ちゃんの誕生日。

 ピースが一つはまる音がした。


「この本は、仁穂ちゃんのお父さんが書いたもの……」


 本当は発行されてなんかいない。あたかも本物っぽく作ったのだ。

 何のために?

 仁穂ちゃんのお父さんはどうしてこれを紛れさせる必要があったのだろう。それは彼自身が姿を眩ませたことと関係があるのだろうか。


「貸して!」


 仁穂ちゃんはそう言って私から本を取って、ページを捲った。

 だけど、それでは意味がない。書いてある内容は特別なことではないのだ。

 紙の音が少しずつ速くなっていき彼女の呼吸も浅く、苦しそうになる。その手を止めたのは篠木さんだった。


「……もう今日は終わりにしましょう」


 仁穂ちゃんから優しく本を取り上げて、篠木さんは仁穂ちゃんの背に手を当てて玄関の方に誘導した。俯いたまま部屋を出る仁穂ちゃんの後ろ姿がただただ悲しかった。


「それ、借りてもいいですか?」


 そう聞くと篠木さんは私に本を渡してくれた。

 私たちは車に乗って、来た道を戻る。夜空の下を走る車内はどんよりと重たい空気に包まれたまま、誰も何も発言しなかった。目を開けて俯いたままの仁穂ちゃんが心配で時々横を見ても、どんな言葉を掛けたらいいのかわからない。

 麻野さんはきっと、こうなることが分かっていた。


「……今日は」


 仁穂ちゃんと私の家が近づいてきたころ、彼女は少しだけ口を開いた。


「今夜は一人でいたい」


 ミラー越しにイチくんと目が合った。


「……うん、わかった」


 仁穂ちゃんの家の前で車が停まる。車からは仁穂ちゃんだけが降りた。


「ちゃんと家にいてくださいね?」


 篠木さんの言葉に仁穂ちゃんはこくりと頷いて部屋に入っていく。その近くに一台の車がいるのを見つけた。おそらく篠木さんが手配した、仁穂ちゃんを監視するための組織の人なのだろう。

 イチくんは事務所に向かって車を発進させた。


「また、適当なタイミングで来ますから」


 そう言った篠木さんの言葉の裏側に、勝手なことをしないように念を押しているようなものを感じた。

 いつも通りの駐車場に戻ってきた私とイチくんが事務所に入っていくのを見届けて、篠木さんは帰って行った。


「今日はあすみさんが隣室で寝て。あそこは鍵かけれるし」


 真っ暗な階段を、イチくんはどんどん上っていく。


「佐賀さんは真実を探している……」


 それを見つけるのは、佐賀さんか、それとも私たちか。

 呟いた私の腕には一冊の本が抱えられていた。

お読みいただきありがとうございます。11話はこれにて完結となります。

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