10. 暗闇の狩人(4)
「人に触れるとさ、嫌でもちょっとした情報が流れ込んでくるんだよ」
真夜中に事務所の近くで落ち合った相良は、呼び出した麻野にそんな話を始めた。
「知ってる。でも白髪の少年とぶつかったときには何も感じなかったって言ってたやつだろ」
相良の能力のことは本人の次に理解している自信がある。
「もう一つ、視ようとした情報が視れないことってないんだよね」
「視ようとしたのか⁉ それは犠牲が……」
意図的に能力を使おうとするとそれと引き換えに何かが犠牲になってしまう。だから基本的に視ようとすることは許可していない。
「よく似た火傷の痕を持つ女の子に会ったんだ。施設の前に捨てられる以前の記憶がないって言っていた」
相良は麻野の目を見た。
「その記憶が僕にも視れなかった」
相良が一族に固執していることはよく知っている。それが自分の過去に繋がっているかもしれないから。それでも、危険な橋を渡ってほしくはない。
「その話をするために呼び出したのか……」
「これ」
相良は親指と人差し指で何かを掴んでいるようだったが、暗闇でよく見えない。
「名前は小湊楓。仁穂ちゃんと同じ学校に通う同級生。これが彼女の髪の毛」
相良の反対の手が自分の頭に伸びて髪を掴んだ。何をさせようとしているのか分かった麻野はチャックが付いた袋を取り出す。
「遺伝子を……調べるのか」
「彼女も一族に関わっているのなら、僕との血縁関係が認められるかもしれない。そしたらまた一歩、奴らに近づく」
袋の口を開いてそれぞれ入れてもらう。
「なんか疲れてる?」
「こっちもこっちで忙しいからな」
「例の連続殺人か」
相良はさりげなく車に触れた。
「今触っただろ」
「げ、ばれた」
「無駄に使うな! 怪我したらどうするんだ!」
相良の前だと麻野はいつも口うるさい母親のようになってしまう。
「犯人、誰か知りたい?」
相良は直接触れなくても、間接的に視ることもできる。車を通じて麻野を視たのだろう。麻野と犯人が出会う瞬間を。
直接触れるとばれてしまうから。
「地下の収容施設の結構奥の所に全身入れ墨だらけのおとなしそうな男の人。彼だよ」
「組織の地下なんて警備が頑丈だぞ?」
相良は笑った。
「サガシヤも殺害の対象に入っているから早めに処分して、鑑定を進めてよ」
そしてそのまま事務所に戻って行ってしまった。自由な奴だ。その自由が永遠に続いて欲しいと麻野はいつも願っている。
「一日で能力使いすぎたから明日はきっと寝たきりだな」
麻野は暗闇にそう呟くと、最も信頼のおける上司に連絡をした。
「遅くにすみません、相良がイヌガリを見つけました。地下に収容されている入れ墨まみれのおとなしそうな男だそうです。確認をお願いできますでしょうか」
地下には凶悪犯の協力者が何人か収容されていることは知っている。奥に行けば行くほど犯した罪が重くなっていると。立場の弱い麻野には収容されている全員の情報を閲覧できる権利はない。
『見つかりましたよ。今から向かいましょうか』
「了解。すぐに向かいます」
麻野は車に乗り込む。急いでエンジンをかけようとしたとき、誰かが助手席の窓をノックした。
「……いきなりはびっくりするだろ」
「俺も行く」
そう言って問答無用で乗り込んできたのは一茶だった。
「お前な……」
「今日墓参りしてきたんだ。頭領たちがちゃんと墓に入れたのは全部あんたらのおかげだって分かってる」
一茶は麻野を見る。
「だからせめて、あんたのことは守らせてほしい。頼む」
麻野はエンジンを入れる。
「俺じゃなくて篠木さんを守ってやれ。お前の頭領が敬愛した人だ」
静寂の車は夜道を走り出す。
『麻野くん』
雑音に混ざって車内の無線から音が流れた。
「はい」
『君の言っていた人が地下にいない。どうやら相良君の言っていたことは正しかったようだね』
「いない⁉ じゃあどこへ……」
麻野は相良の言葉を反芻する。サガシヤも殺害の対象になっているとそう言っていた。
二人の乗った車はものすごい勢いで方向を変えた。
「どこ行くんだよ!」
「奴はサガシヤに向かっている可能性があります!」
『サガシヤに……?』
何で気づかなかった。組織を壊滅させるような行動をとるイヌガリが一族と繋がっているかもしれないと思うのは当然だ。一族と繋がっているなら、相良は絶対にリスクを冒してでも情報を得ようとする。
「くそっ」
あの場に麻野がいると邪魔だったんだ。うまく追い出された。
「なんであいつはそんな危険なことをするんだよ! あそこには警備員だっているのに」
「相良は目的のためなら手段を選ばない」
麻野は相良にそう宣言されたときのことを思い出した。
車はもう間もなく元居た駐車場に戻る。しかし、麻野は事務所の前に車を路駐させると鍵もかけずに降りた。
「おい、鍵!」
一茶の声に反応した麻野はポケットから車のキーを投げた。
裏口に回り、足音を立てないように、素早く一階の服屋を通り抜ける。階段のきしむ音をなるべく立てないように忍びながら、麻野は拳銃を抜いた。
声がする。相良の声ともう一つ。警備員のものではない。聞いたことのない声。
やっぱり。
麻野は微かに開いていたドアの隙間から中の様子を見る。警備員の姿は見えない。手前にイヌガリの脚が見え、その奥に向かい合うように相良が立っている。
「そこまでだ」
麻野は勢いよくドアを開けると銃口をイヌガリの後頭部に当て、その場に押し倒した。イヌガリは持っていたサバイバルナイフを落とした。ナイフに血はついていなかった。
「おい!」
車の鍵を閉めた一茶が戻ってくる。麻野は手錠を取り出して奴の両手を拘束する。
「こちら麻野、イヌガリを拘束しました」
篠木に無線で報告し、麻野は見下ろすように立っている相良を睨んだ。
「あーあ、ばれちゃったなぁ。でも、いっぱい殺せたなぁ」
背後に立っていた一茶が噛みつかんばかりの勢いで迫ってくるのを感じた。
「そうだな、お前のおかげで人がたくさん死んだ。全部一人でやったのか?」
「さぁね」
イヌガリは薄ら笑いを浮かべている。相良が特徴として挙げたように、おとなしそうな男に見える。首元から入れ墨が確認できた。体格がいいわけではない、こんな奴にも人は殺せるというのか。
「手引きしたのは三河さんか?」
「あの人だけじゃないよ、犯罪者がいる組織に疑問を抱いていたのは」
薄々気づいてはいたが父の同僚として、上司として慕っていた人がこんなことをしていたのが明白になった。それでも、この状況で悲しんでいる暇などない。
「今日は相良たちを殺せって言われたのか」
すべてを知っている三河が殺せと指示を出したのか。
「それは違うなぁ」
押し倒されているイヌガリは首の角度を変えて相良を見た。
「キミの眼があったらもっと効率が上がると思って、スカウトをしに来たんだよ。僕たちと組まない?」
「お前は処分に回されるし、相良は人殺しなんてしない!」
怒りに任せてイヌガリの頭を強く押さえつける。
「でも、キミは人殺しなんでしょ。悪意のない」
その瞳はまっすぐに相良を捉えていた。純粋な子どものように澄んだ瞳だった。ほんの一瞬、二人の視線が交わるのを見て、麻野は何だか嫌な予感がした。
「立て!」
麻野は力ずくで頭を動かしてイヌガリを部屋から連れ出そうとする。少しずつ近くなるサイレンの音を聞いた。
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