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9. きみは二度と帰らない(6)

 皐月くんが調べてくれた目的のサービスエリアまでは少し距離があった。賢一郎くんは電車に乗り、新幹線に乗り、バスに乗って、片道四時間かけてその場所まで向かったのだろうか。高速道路の外からも入れるサービスエリアに。

 車を運転する佐賀さんの隣で私は小説を読んでいた。日本に来たアメリカ人の少年はたくさんの日本人に助けてもらいながらこの場所に辿り着いていた。

 後部座席には静かにスマホで調べごとをしている皐月くんがいる。車内は静寂に包まれていた。


「もうすぐ着くよ」


 私たちはその場所に着いた。物語に登場したオブジェ、目印のように書かれていた大木。その一つ一つを照らし合わせていく。確かにこの場所が作品のモデルであると。

 佐賀さんは中に入ってレジにいたお姉さんに声をかけた。


「すみません、半年ほど前にこの子がここに来ませんでした?」


 駅員さんに聞いた時と同じように、賢一郎くんの写真を見せた。


「さぁ……?」


 サービスエリアだって利用者は多いだろう。ましてや、彼が来た日は日曜日かもしれないのだ。


「ここってこの作品の聖地なんですか?」


 今度は私の手から本を奪いお姉さんに見せた。


「ああ、そうみたいですよ」


 にっこりと優しい顔でお姉さんは答えてくれた。


「ありがとうございます」


 賢一郎くんはここに来たのだろうか。

 私はぐるりと周囲を見回す。

 小説の中で、主人公の少年はこの場所から手紙を出すのだ。日本でお世話になった人に向けて。自転車と富士山が書かれた絵葉書を買って、そこにいた日本人に平仮名を教えてもらいながら。


「絵葉書はどこにありますか?」

「その柱の向こうです」


 お姉さんに教えてもらった場所に絵葉書を見に行く。富士山や花畑の絵葉書はあるが、さすがに小説に登場したものと同じようなものはなかった。

 少年はここから手紙を出して、すぐに日本を出発した。まだ行ったことのない新しい場所に。それが少し賢一郎くんと重なっているように思えたのだが、彼がここに来たという証を見つけるのは難しいかもしれない。


「飯島さんをここに連れてきてみようか。息子さんが来た可能性がある場所だ」

「そうですね……」


 皐月くんはしゃがみこんで下の方にある絵葉書を眺めていた。


「あの」


 ふと声がして振り返ると、先ほどのお姉さんがいた。


「もしかして、ここのポストから出された宛名のない絵葉書を探されていますか?」


 そう言ってお姉さんは教えてくれた。欠けていたピースがはまっていく音がする。






「お待たせしました」


 飯島さんが再び事務所に来たのは、依頼に来た日から四日後の金曜日のことだった。

 少し遅れて事務所に着いた佐賀さんの手には茶封筒が握られていた。


「進展はあったのでしょうか?」


 旦那さんにそう聞かれて佐賀さんは優しく微笑んだ。


「この小説をご存じですか?」

「ええ、あの子の好きな本です」


 間髪入れずに奥さんは答えた。佐賀さんは頷いて、その隣に別の本を並べる。


「これは?」


 表紙の雰囲気も、題名も共通点は感じられない二つの本。


「実はこの小説シリーズになっているんです」


 そう言って佐賀さんはこの小説の説明を始める。

 主人公はアメリカで生まれ育った好奇心旺盛性な男の子。ある時思い立って自転車と共に世界一周旅行に出かけることを決める。

 賢一郎くんが持っていた一巻は南北アメリカ大陸が舞台。その隣に並ぶ本はアジアが舞台になっている。


「この小説の中で彼は親切な日本人に何度も助けてもらうんです」


 旅行を始めてから初めて風邪をひいて、相棒だった自転車が壊れ、台風に計画を壊された。その度に彼を助けてくれる人が現れ、彼は無事に乗り込む予定だった船に間に合うことが

 できた。


「この小説の中で、日本旅行は最もトラブルが多かったと言っています。けれど、最も人が優しかったと」


 そして船が出港する前に、彼は道の駅に寄った。日本でお世話になった人に向けて絵葉書を書く。拙い日本語で字を書いた。


「『必ず戻ってきます』と平仮名で」


 今度はその隣に賢一郎くんのスケジュール帳を並べる。


「彼が亡くなる直前の日曜日、彼はこの道の駅のモデルになったサービスエリアに行ったんです」


 片道四時間。早朝に家を出て、新幹線に乗り、物語の少年が旅立ったその場所へ。


「どうしてそれが……」

「これを」


 佐賀さんは茶封筒の中から一枚の絵葉書を取り出した。そこには大きな富士山が写されている。

 それに恐る恐る手を伸ばした飯島さんはゆっくりと葉書を裏返した。


「これが証拠です」


 そこには宛名も、差出人も、切手すらも貼られていなかった。扱いに困った郵便局の人。それでも捨てることはできなかったという。


『必ず戻ってきます』


 そこに書かれていたのはこの一文と、小さく日付が残されていた。

 奥さんの口元に運ばれた手が震えている。


「手帳の文字と筆跡鑑定しました。ご本人のもので間違いないと思われます」

「そんなところに……」


 奥さんの瞳から涙が溢れた。


「物語の少年はこの言葉を残して新天地へ向かいました。賢一郎くんもまた、同じように」


 天国という遠いところへ旅立ってしまった。


「彼の最期の言葉を受け止めてあげてください」


 そう告げた佐賀さんの声は少し震えているような気がした。


「なんで……」

「言葉の真意は誰にもわかりません」


 口を開いたのは皐月くんだった。


「けれど、自殺したいくらい苦しかったのに、また戻ってきたいと思えるくらいは幸せだったのではないでしょうか」


 いなくなってしまった子どもの隠された本心。


「戻ってきたいと彼に思わせたのはご両親だと思います」


 飯島さん夫婦は互いの肩を寄せ合って泣いていた。事務所の中に夕日が射していた。

 それでも『必ず戻ってきます』と残した最愛の息子は、もう二度と帰ってくることはないのだ。






 あとは二人で頑張りますと言って飯島さんは帰って行った。手帳と本と、絵葉書を大切そうに抱えて。


「僕には理解できません」


 佐賀さんもほかの誰もいなくなったタイミングで皐月くんはそう話してくれた。


「もう一度戻ってきたいと思った彼がどうして自殺を選択したのか。そんな綺麗事で相手を野放しにしていいのか」


 私はそんな皐月くんを見て言った。


「人ってさ、理屈じゃないときもあるよね」


 佐賀さんの声が少しだけ聞こえる。今頃北海道からの客人の相手をしているはずだ。


「確かに、そうですね……」


 皐月くんは一階に降りることもなく、一階の客人は二階に来ることもなかった。彼もまた、家に帰ることはないのだろうか。

お読みいただきありがとうございます。9話はこれにて完結となります。

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