9. きみは二度と帰らない(5)
ぽかんとした飯島さんを置いて、私たちは家を出た。
「最寄り駅はここから十五分のところですね」
スマホでマップを開く。最寄り駅から何駅か乗ると、色々な路線が交差する大きな駅に出る。電車を使えば結構遠くまで行けるような気がする。
マップの案内は十五分となっていたが、実際にはもう少し早く着くことができた。改装工事中の最寄り駅はほとんどが白いカバーで隠されていて、本来の駅の様子はよくわからない。
「すみません、ちょっとお聞きしたいのですが」
駅員室の窓口に向かって佐賀さんは言った。その話を盗み聞きしながら、私は駅の写真を撮る。
「この駅って防犯カメラありますか?」
「ありますが、一般の方に見せることはできません」
窓口の対応をしてくれた若いお兄さんはそう言った。佐賀さんよりも少し若く見える。イチくんと同じくらいだろうか。
「ここの工事っていつからしているのですか?」
「えーっと、二か月前くらいからですね」
「工事前の写真とかありますか?」
「ええ……」
突然訪れた不思議な利用者に戸惑いながら駅員さんは部屋の奥の方に写真を取りに行った。
「あすみさん」
佐賀さんに呼ばれて、私は窓口に近づく。
「これですね」
若い駅員さんが見せてくれた写真には桜の花が写っていた。
「写真を撮ってもいいですか?」
「ええ、どうぞ……」
私は許可を取ってスマホを構える。
「これは去年の春ですか?」
「はい、とてもいい天気だったので、撮ったんですよ」
二本の線路を挟んでホームが写っている。木のベンチに自動販売機。その奥にはホームを繋ぐ階段があった。その景色は、この駅員室から見えるものとほとんど同じ。
「この少年を見たことはありますか?」
いつの間に用意していたのか、賢一郎くんの写真を提示する。
「さぁ? たくさんのお客様が利用されますから」
駅員さんは何回も質問する佐賀さんが面倒になったのか、あからさまに嫌な顔をして写真を回収した。
「お時間いただいてすみません、ありがとうございました」
にっこりと笑って私たちはその場を離れる。階段を上って反対側のホームに行き、自動販売機の近くで電車が来るのを待った。
待合室でもあれば寒さを凌げるのだが、ここにはない。自動販売機を見ると温かいココアが私を誘ってきた。
「上りのホームに来ましたけど、彼はどっちに向かったんですかね」
ココアの誘惑に負けないようにわざわざ佐賀さんの顔を見る。
「スマホを持たせていなかったなら、彼は乗り換えルートを聞いていると思ったんだけど、事前にパソコンとかで調べていたのかな」
「そんなに遠出していないんじゃないですか?」
「珍しく丸一日予定を開けていたから長い時間外出していたのは間違いないと思うのだけれど」
佐賀さんは顎に手を当てて考え込む。
「すみません!」
間もなく電車が到着するというアナウンスと共に、向かいのホームから声がした。そちらを見ると、先ほどの駅員さんが私たちに向かって叫んでいる。
そんな私たちを遮るようにホームに電車が入ってきた。
「戻ろう」
もう一度階段を上る。そのホームを繋ぐ橋の上で駅員さんと会うことができた。
「あの、先ほどの少年」
「この子ですか?」
もう一度佐賀さんは写真を見せる。
「一度、話したことがあるかもしれません。サービスエリアの行き方を聞かれたんです」
「サービスエリア?」
「自分もとても驚きました。どうして電車でサービスエリアに向かうのかって」
私は佐賀さんと顔を見合わせる。
「それはいつごろでしょう?」
「いつだったでしょう……一年以内のことだとは思うのですが……」
一年以内ということは彼が亡くなる前の可能性もある。
「ちなみにどこのサービスエリアですか?」
「それも忘れてしまいました……」
申し訳なさそうに彼は頭を掻く。けれど、これだけ新しい情報が手に入れば十分だろう。
「ありがとうございます」
佐賀さんは駅員さんに頭を下げる。
賢一郎くんと思われる人はどこかのサービスエリアに行こうとしていたのだ。車に乗っているわけでもないのに、彼はなぜそこに向かったのか。その動機を知ることができれば、また一歩賢一郎君に近づけるかもしれない。
「戻ろう」
「はい」
私たちは再び飯島家に向かった。
「サービスエリア?」
「はい、心当たりはありますか?」
駅員さんに聞いたことを話して、旦那さんと奥さんの二人に聞いてみる。家族で立ち寄った思い出の場所とか、彼が食べたがっていたものが売っていたとか。何かのイベントでもやっていたのかもしれない。些細なことでもいいから、賢一郎くんとサービスエリアを結ぶ要素が欲しかった。
「わからないですね……。車で旅行に行くことはほとんどありませんでしたし、思い出になるようなサービスエリアなんて」
「普段の会話でサービスエリアの話もしないですよ」
テレビでサービスエリアの特集でもしていない限り、関心が向くことはないだろう。
「あの子はテレビほとんど見ないですよ。普段も勉強で忙しいですし、そんな時間があるなら読書を優先するような子ですから」
「そうですか……」
やはり人違いなのだろうか。
「本か……」
ぽつりと佐賀さんが呟く。家にある本以外にも図書館で借りることも多いと言っていた。調べるとしたら膨大な量になる。
「力を借りましょう」
佐賀さんは避けたかったかもしれないが、調べることに関してあの人の右に出るものはいないだろう。
私は賢一郎くんの部屋にある本のタイトルを全て書き写した。佐賀さんは図書館に行き、彼が読んだ履歴を調べた。そうして集めた膨大な量のタイトルを事務所に持ち帰った。
「……というわけで、みんなで読書をしましょう」
箇条書きにまとめた紙には五十個ほどのタイトルが並ぶ。
「読書とか小学校以来すよ……」
紙を見ただけでイチくんは顔を歪ませる。
「みんなでやれば早く終わりますから。頑張りましょう」
こうして始まった読書週間の参加者は五人。佐賀さんと皐月くんとイチくんと私。あともう一人は一階の従業員である涼さんだ。仁穂ちゃんは受験があるから手伝ってもらう訳にはいかない、という話をしているところに協力を申し出てくれた。あの日、奥さんの話をイチくんと一緒に聞いていたようだった。
「終わった……」
事務所に泊まり込み、全員で読み続けること丸三日。内容はほとんど頭に入っていなかったけれど一通り目を通すことができた。
「担当した分にはサービスエリアの記述はなかったよ」
「私もです」
「僕もありませんでした」
「俺もナシ」
「私のところもなかったけど」
私たちは顔を見合わせる。
「他の本かな?」
「もう体が文字を受け付けねえ……」
イチくんは大の字になって床に転がる。涼さんはぐーっと伸びをした。
「どうします……?」
佐賀さんは躊躇っている。もう一度読書をさせられるのは抵抗があるんだろう。
どうしたらいいかを悩んでいたら、皐月くんが声を上げた。
「一つ気になったことがあるんですけど」
皐月くんは図書館で借りてきた本のタワーから一冊選び取ると私たちに見せた。
「この小説、本当は続きがあるみたいです」
それはとても厚い本だった。賢一郎くんの部屋にあった小説だ。
アメリカ生まれの主人公が自転車に乗って世界中を旅するお話。外人の作者が書いた少し古い小説である。
「これだけでも十分完結しているように見えるのですが、第四巻で日本に来るみたいで」
皐月くんは主人公が日本に来た巻の概要が書かれたまとめサイトをスマホで見せてきた。
「本当だ」
「でも自転車だったらサービスエリアは寄らないよな?」
皐月くんは首を振る。
「終盤に道の駅が登場するんです。どうやらそのモデルが実在するサービスエリアなのではないかって、ファンの間で話題になったみたいです」
「サービスエリア……」
彼が持っていた小説の続きで登場する聖地。点と点が結ばれていく。
「……行ってみようか」
佐賀さんは腰を上げ、私も立ち上がった。スマホを握りしめた皐月くんも立ち上がった。
「僕も……行きます」
お読みいただきありがとうございます。
今日は天気が崩れる前に帰宅できるかのチキンレースをしました。結果はたぶん引き分けでしたね。




