9. きみは二度と帰らない(4)
しばらく車を走らせて、私たちは飯島さんの家に着いた。家はごく普通の一軒家。新しく綺麗なわけでもなく、古民家のように古いわけでもない、どこにでもあるようなお家だった。
促されるまま家に入り、階段を上って突き当りの部屋に通される。
「ここが息子の部屋です」
綺麗に整頓された部屋。勉強机にはカレンダーと写真が置かれている。写真はサッカークラブの集合写真だろうか。子どもたちがユニホームを着てたくさん並んで写っていた。
「息子さんのことを聞いてもいいですか?」
佐賀さんの指先が写真を撫でた。
「息子は賢一郎と言います。とても優しい子なんです」
奥さんが穏やかな表情で教えてくれる。家の手伝いをよくしてくれて、困っている人に手を貸してあげるような優しい子だったと。
けれどたぶん、佐賀さんが知りたがっているのはそういう情報ではない。彼がどのようにして亡くなったのか、自殺に関することを聞きたいのだと思う。その証拠に佐賀さんは黙って旦那さんを見ていた。
「お前はお茶の用意でもしてきてくれ……」
その意図を読み取ってか、旦那さんは奥さんが退席するように誘導した。
「ええ」
奥さんが階段を下りていくのを見守って、旦那さんは口を開く。
「学校の屋上から飛び降りたんです。その日は雨が降っていました」
梅雨も終わりが迫っていた蒸し暑い日。頭から落ちた彼の体は地面にたたきつけられた。雨に混ざった血が流れ、その光景をより悲惨なものにさせる。授業を受けていた多くの生徒がその光景を目の当たりにしてしまった。
「遺書はなかったんですか?」
「いじめの内容が箇条書きにされたメモがポケットから見つかりましたが、それだけでした。スマートフォンも、持たせていなかったので……」
雨に濡れてしわくちゃになった紙。その写真を飯島さんは見せてくれた。
「ひどい……」
暴力的なこと、精神的ないじめ、小さな紙に小さな字でいくつも書かれている。紙の端は黒っぽく変色していて、彼の痛みが伝わってくる気がした。
「屋上は普段鍵がかかっているそうなのですがなぜか開けられていて、だから自殺は計画的だった可能性が高いと言われました……」
「その日は息子さんと会われましたか?」
「ええ、あの日の朝、いつも通りに挨拶をして家を出たんです。そんな素振りは少しもなかった。あれが最後だなんて……」
飯島さんはそう言って顔を手で覆う。
「家族思いの子ならば、親や家族に対する遺書がある可能性もあります。この部屋は探しましたか?」
「もちろんです。自分たちも警察も隈なく探しました。けれど何も……」
「遺書がもしもあったら、その方がいいんですか?」
私は佐賀さんに聞く。
「内容にもよるけれど、先に死ぬことを謝っていたり、今まで育ててくれてありがとうとかなら奥さんに響くかもしれない。第三者がとやかく言うより、本人からの言葉が一番届くことに変わりないよ」
では遺書を探すということが依頼を達成するということになるのだろうか。
佐賀さんは机の一番上の引き出しを開けた。
「これは?」
そこにはブックカバーがかけられた本のような物が入っていた。本にしては薄い気がする。
「スケジュール帳です。読書が好きな子だったので、手帳のカバーは毎年ブックカバーでした」
佐賀さんはその場で手帳を開き始めた。
「ちょっと、勝手に……」
他人の手帳を見るなんて、そう言いかけて気づく。この手帳の持ち主はもういないのだ。その人のプライバシーを侵害してもいいか聞く相手はもういない。
「何か手がかりがありますでしょうか?」
飯島さんは手帳を見ることを気にしていないようだった。
佐賀さんはふむ、と言うと開いたままの手帳を渡して来た。どの日にも遊ぶ予定は書かれていない。塾の時間だけが毎日書かれていた。
彼が亡くなった日以降の予定は真っ白のまま。もしかしたらこれも彼の計画的自殺を裏付けたのかもしれない。
「どうしたら妻を納得させられるでしょうか……」
自身もなさそうに飯島さんは俯く。
佐賀さんは部屋をぐるりと見渡して、他に何かないか探しているようだった。
「読書好きね……」
部屋に置かれた本棚は二つ。そのうちの片方には教科書や参考書が並んでいて、もう片方の本棚にはどれもブックカバーがかけられたものが並んでいた。本は隙間なく並べられている。
「この本棚に入りきらない物はどうしていたんですか?」
「入りきらない分は売っていました。図書館で借りてくることも多かったので、新しく本棚が欲しいと言われたことはありませんでした」
佐賀さんは本棚からランダムに選んで開いた。
「本に何か挟まれているかもしれないと思って一通り探しはしたのですが……」
私も手帳を置いて一冊本を選んでみる。表紙が隠されているので開くまでどんな物語かはわからなかった。
私が開いたタイトルの書かれたページを佐賀さんは覗き込んできた。
「全然違うなぁ」
どうやら続きの話ではないらしい。佐賀さんは本棚に少し触れて本を戻した。
「この部屋からなくなっているものとかありませんでしたか?」
佐賀さんの問いに飯島さんは俯いたまま首を振った。
「いつもと変わらないから、私でさえまだ息子が生きているのではと思ってしまいます……」
佐賀さんは部屋を歩き回る。壁に触れ、置いてある小物に触れ、少しでも情報を集めようとしているように見えた。
「加害者はどうしてますか?」
「……主犯格の男子生徒は引っ越して行きました。どこへ行ったかは知りません」
佐賀さんが情報を集めたい気持ちはわかるが、聞きすぎてしまうのはあまりよくないのではないか。そんな思いが浮かんで私は佐賀さんを止めようとした。
「息子の遺体を見た他のクラスメイトにも、精神的に病んでしまった子が何人かいると聞きました。正直、いじめを止めなかった彼らにも罰が当たったんだと思っています……」
ぐっと拳を握る飯島さん。いじめに気付いていた誰かが、何か行動を起こしていたら。未来は変えられたかもしれないのに。
「ですが、私も息子が苦しんでいることに気づけませんでした。自殺する数日前には楽しそうに出かけて行きましたし……。妻がこうなったのも罰なのかもしれません……」
壁に掛けられていた時計に触れようとした佐賀さんの動きが止まった。
「え?」
「え?」
「今、出かけたって言いました? どこに?」
「それは聞いていなかったので……」
佐賀さんはもう一度机に置かれたスケジュール帳を開いた。彼が亡くなった日の載っているページ。その数日前。
「この日ですか?」
指していたのは亡くなる三日前の日曜日だった。その日は塾の予定も入っていないようで、珍しく白紙のままだった。
「そうです」
飯島さんが答えると、下の階から奥さんの声がした。旦那さんを呼んでいるらしい。
「ちょっと行ってきますね」
旦那さんは足早に階段を下りて行った。
「その日に何かあるんですか?」
私も手帳を覗き込む。
「計画的に自殺する人間が死ぬ前に行きたいと思った場所か、会いたいと思った人に会いに行っている可能性が高い。この外出に自分の死が絡んでいるのが普通だろう」
「でも、そういうのって警察は調べないんですか?」
「この自殺に事件性はない。他殺みたいなものだけどね」
原因は自殺。それ以上の追及はする必要がない。
「この日彼は何をしていたのだろうね」
「視れないんですか?」
佐賀さんは意図的に視ることもできるはず。小さな子どもが誘拐されたときも、そうやって彼は足取りを掴んだのだ。
「できないことはないけれど、無駄遣いはしたくない。一族のこともあるからね……」
佐賀さんの力には制限がある。何度も視ようとすると体に負荷がかかって倒れてしまうのだ。
この依頼の緊急性は低い。使わずに済むならそうしたいということだろう。
「この日がきっかけで自殺を決意した可能性もありますよね」
「そうだね」
無関係と断言できない。この日を知ることが、彼の母を救うきっかけになるだろうか。時間をかけて探っても、全て無駄に終わるかもしれない。
「この日のこと調べてみよう」
佐賀さんは私を見てそう言った。
「分かりました」
できることを一つずつ。私たちはそうやって積み上げていくしかない。
階段を下りて、リビングにいる旦那さんに声をかけた。
「日曜日、彼は歩いて出かけたんですか?」
「そうですね。ああ、でも、パスケースを持っていくのは見たので、電車に乗っていたかもしれません」
「ありがとうございます」
佐賀さんは会釈をして玄関に向かう。
飯島さんもそれを追って玄関に来た。
「あの、どこへ?」
「少し出かけてきます。また何かありましたら連絡しますから」
お読みいただきありがとうございます。
毎日とても暑くて汗が滝のように流れております。蛇口のようにきゅっと閉められればいいのに……。




