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9. きみは二度と帰らない(3)

 イチくんがサガシヤに来てから数週間がたった。彼も少しはこの職場と新しい仕事に慣れてきていた。そう、秘書としての仕事に。


「前から聞こうと思っていたんですけど、なんでイチくんは秘書なんですか?」


 彼はどちらかというと警備員の方が向いていると思う。喧嘩に強いし。皐月くんが警備員らしいのは事務所から出ないというところだけだ。


「だってイチくんおいしいお菓子いっぱい知ってるし」


 そう言いながら佐賀さんは今朝買ってきた最中を口に運んだ。


「イチくんのおかげで最近のお茶請けはとてもおいしい。お客さんも喜んでくれているしね」


 実際、彼はかなりの通だ。イチくんが持ち込むお菓子はどれもおいしいし、皐月くんが用意するお茶の種類によってお菓子を使い分けてくるという技まで持っている。


「役に立ってよかった」


 イチくんは嬉しそうに笑った。


「秘書の役目は仕事が円滑に進むように調整することだからね。ピンチの時には頼りにしてるよ」


 佐賀さんは最後の一口を食べて、皐月くんの用意したお茶を啜った。


「仁穂ちゃんは順調かねぇ」


 今日、仁穂ちゃんは出勤していない。受験まであと一週間。毎日学校に通って先生の協力の元、最後の追込みをしている。

 初めは面倒臭そうにしていた受験勉強もとても積極的に取り組むようになってきた。どうやら、学校で一緒にお弁当を食べる仲になった子と目指している高校が一緒らしい。

 仁穂ちゃんたちの努力が実を結ぶことを願ってやまない。


「そういえば、皐月くんのお母さんから連絡あって、週末来るってさ」


 不意に佐賀さんが言うと、パソコンを叩く音が止まった。


「……そうですか」


 一瞬変わった空気は、彼のタイピングでかき消されていく。

 その時、事務所のドアがノックされた。


「はい、どうぞ?」


 私たちは急いでお客さんを迎え入れる準備をする。机の上の最中のゴミを片付けて、ソファーを空けた。


「すみません……」


 現れたのはかなり着まわしたようなスーツを着た中年の男性だった。その陰からふくよかな女性が見えた。


「あの……」


 女性は一歩前に出て、佐賀さんに向き合う。するとその瞳からポロリと涙が落ちた。


「息子を……見つけてください!」


 そう言いながら彼女は膝から崩れ落ちる。私は駆け寄ってハンカチを差し出した。


「息子がいなくなってしまったんです、誘拐されたんです!」

「誘拐ですか?」


 佐賀さんの視線が女性から男性に移る。それにつられて、私も男性を見た。

 女性の取り見出しように対して男性は冷静だった。むしろ女性に冷ややかな視線を送っているようにさえ見えた。

 二人の薬指には同じ指輪がはめられているように見える。おそらく二人は夫婦だろう。


「あの子を助けて!」


 彼女の悲痛な叫びに私は困惑した。


「じゃあ、奥さん。とりあえず俺と下に行きましょう。下はブティックですが、喫茶店顔負けのいいコーヒーを用意してくれますから」


 そう言ってイチくんは彼女の手を取り、立ち上がらせた。そして、イチくんは振り返り佐賀さんにウインクをするとそのまま階段を下りて行った。なんてスムーズな誘導なのだろう。


「どうぞ」


 佐賀さんは残された旦那さんを中に促した。旦那さんは申し訳なさそうに下を向きながら事務所に入り、ソファーに浅く腰かけた。


「佐賀と申します」

「飯島です……」


 飯島と名乗った旦那さんは佐賀さんと視線を合わせようとはしなかった。


「飯島さんは息子さんを探されているのですか?」


 相変わらずの素早さで用意されたお茶がテーブルに並ぶ。


「いえ……」


 私と皐月くんは互いの顔を見る。一体どういうことなのか、さっぱりわからない。


「息子は半年前に死んだんです」


 そう言うと飯島さんは鞄から大きな茶封筒を取り出して、中から紙を出した。


「自殺でした……」


 それは警察から渡されたであろう資料だった。当時高校生だった息子さんをいじめていた五人組。学校側はいじめを否定したが、最終的には謝罪をされたと書かれている。


「慰謝料はたくさんもらいましたが、息子は帰ってきません。でもあいつは、このお金を使えば息子が帰ってくるって言うようになったんです」


 泣き叫ぶ奥さんに対する態度に納得がいった。もう二度と戻らない命だと、受け止めることができないのだ。


「あいつに息子は新天地で元気にやっていると言ってもらえませんか。プロの言葉なら信じると思うんです。お金は支払いますから……!」


 必死にそう訴える旦那さんに私の心は痛んだ。息子さんを失くし、奥さんの心までもが失われつつある。帰ってくると信じている奥さんに、帰って来ないと言うことがどれほど辛いことだろう。帰ってきてほしいと望んでいるのは旦那さんも同じなのに。


「それはできません」


 佐賀さんはきっぱりとそう言った。目に涙を溜めて話す飯島さんに。


「なぜ……ですか」

「僕らの仕事は探すことです。探すことで顧客の力になれるのなら喜んでやりましょう。しかし、あなたの依頼内容は真実を伏せ、何も探さずに虚偽を述べるだけです。それなら僕らじゃなくていい」


 佐賀さんは立ち上がり退室するように促した。


「でも、ここは妻が選んだところなんです。あなた方のことを信用して……」

「偽りを伝えたと知られて、他の依頼者からの信用が損なわれたら困りますから」


 佐賀さんはにこやかだった。


「いくら何でも……」

「じゃあ別の方法を探せばいいじゃないですか」


 佐賀さんを止めようとしたのは皐月くんだった。


「真実を伝えて、依頼者に満足してもらえるような手段を見つければいいじゃないですか」


 旦那さんは勢いよく膝をつき、額を床にぶつけた。


「お願いします!」

「……」


 震えた声。佐賀さんは黙ってその姿を見て、皐月くんに視線を向けた。


「お願いします。このままだと妻も死んでしまうんです」


 皐月くんは頷いた。


「はぁ……」


 佐賀さんはため息をついて、土下座する飯島さんの肩に触れた。


「真実を伝えて、奥さんを守る道を探しましょう」

「ありがとうございます!」


 旦那さんはその目から大粒の涙を流した。

 私たちは彼の最愛の息子がもういない証を探す。この依頼は誰にも幸福をもたらさない。この場にいる全員がそれを分かっていた。


「ご自宅にお伺いしてもいいですか?」

「もちろんです」


 旦那さんは胸元から薄い紫色のハンカチを取り出して目元を押さえた。


「少し妻と話をしてきます」

「分かりました」


 飯島さんは足早に事務所を出ていった。

 すると、佐賀さんの顔が険しくなり、皐月くんを睨みつけた。


「どういうつもりだ?」

「別に、社長こそ断るなんておかしいですよ」


 初めて見る二人の険悪ムードに私は困惑する。


「どう解決する? あの時みたいに復讐でもするか?」


 なんのことを言っているのかさっぱりわからない。


「落ち着いて下さいよ!」


 二人の間に立って止めようとする。いつもと違う顔をしている佐賀さんが怖い。


「……同じことはしません」

「それでも君はこの件に関わるな」


 佐賀さんは上着を手に取る。


「行くよ、あすみさん」

「は、はい」


 私も急いで上着を取って事務所のドアをくぐろうとした。振り返ると、寂しそうに目を伏せた皐月くんが立っていた。


「お車ですか?」

「はい。これが住所になります」


 階段を降りた先で飯島さんと佐賀さんが話した。飯島さんの車を私たちが追いかけるということが決定したらしい。事務所で何があったのか知らないイチくんは複雑そうな表情をする私を見て首を傾げた。


『なんかあった?』


 口をパクパク開きながらイチくんは聞いてくる。

 なんて返したらいいのか分からなくて、私は愛想笑いをした。


「行こう」


 佐賀さんに促されて外に向かって一歩進んだ。


「ボス、俺は?」

「イチくんは待機。というより、ネスティーの監視をお願い」

「警備員くんの監視?」

「変なことしないか見といてくれればいいから」


 イチくんはますます首を傾げた。


「行ってきます」


 そう言ってお店を出て、見慣れた車の助手席に乗り込む。


「カーナビにこの住所入れてくれる?」

「は、はい」


 佐賀さんは飯島さんが書いたメモを渡してくると、エンジンを入れて車を発進させた。飯島さんの車の真後ろを走ることに成功する。

 佐賀さんの表情はもういつも通りだった。


「聞いてこないんだね」


 どうしたものかと悩んでいると、先に話を振ってきたのは佐賀さんだった。


「聞いていいんですか?」

「君に言うことをきっとあの子は嫌がらないよ」


 それはさっきの対立を見てしまったからか、皐月くんとも信頼関係が築けているということか。


「彼と僕が出会ったときの話なんだけれどね……」


 そう言ってサガシヤを立ち上げた二人が出会った経緯を話し始めた。


「前に言ったでしょ、あの子はいじめられていたって」

「はい」


 その話をした時もこんな風に車の中だった。


「学校に行けなくなって引きこもっていたんだけれど、家族もそんな彼を煩わしく思っていてね。学校には行かなくてもいいからとにかく追い出したくて仕方なかったんだ」


 自分の家に引きこもりという社会不適合者がいるのが恥ずかしくてたまらなかったそうだ。


「そんな風に追い詰められて、孤独に苦しんだ皐月くんがした選択は自分が死ぬことではなくて、得意だったパソコンを使って間接的に彼らを殺すことだったんだ」

「どういうことですか?」


 事務所で言っていた復讐という言葉が頭を過る。


「自殺に追い込むっていうのかな、あることないことネットに書き込んだり、いじめた奴の親の会社の機密情報を流出させたり」

「ハッキング……」


 佐賀さんは頷いた。


「結局、いじめの主犯格だった子の家族が崩壊してしまって」


 蓄積された皐月くんの怒りは多くのクラスメイトに向いた。


「けれど彼はそれだけでは満足せず、社会に対して恨みを持ち始めて警察のコンピューターに侵入を試みたんだ」

「そこで佐賀さんと?」

「そう、僕は彼とインターネット上で出会うことが分かっていたから待っていたんだ」


 佐賀さんは現実の出会い以外も見れるのか。


「その後はスカウトして、迎えに行って、ここに連れてきた。彼に居場所と、役目を与えてね」


 サガシヤとして依頼を受けて、麻野さんの下で協力者として働いて。そして今のような生活を手に入れたのだろう。


「今回の依頼は彼と境遇と似ている。だから心配なんだ。あの子にこれ以上罪を犯してほしくないから」


 佐賀さんの守りたいもの。そんな言葉が浮かんだ。


「大丈夫ですよ、皐月くんは優しい人ですから」


 私が困っていたら助言してくれるし、仁穂ちゃんのことを苦手だと言っているが実際にはちゃんと面倒を見ている。彼が勉強を教えているところも何度か見た。


「これがきっかけで、皐月くんが一歩踏み出せるようにお手伝いしませんか?」


 誰も幸福になれないこの依頼。それがせめて、誰かに希望を与えることができるかもしれない。そんな皐月くんだから伝えられることがあるかもしれない。飯島さんに響く何かを。


「そうだね」


 私の言葉に佐賀さんは優しそうな顔をして返事をした。

お読みいただきありがとうございます。

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