9. きみは二度と帰らない(2)
「千宜が今から来るってさ」
神社から戻って遅めの昼食を食べ終えた頃、佐賀さんのスマホに連絡が入った。
「ようやくお仕事終わったんですかね?」
年末年始も仕事三昧なんてかわいそうに。あの人はいつ見ても疲れたような顔をしていて、いつ過労死してしまうかと心配になる。
佐賀さんたちを守るために、麻野さんは功績をあげて権力を手に入れようとしているのだ。
「あ、車来ましたよ」
窓を覗いていた皐月くんが言った。仁穂ちゃんは聞こえていないのか、理科の問題集と向かい合いながらぼそぼそと呟いている。仁穂ちゃんの生活が援助されるためには高校に進学しなくてはいけないらしく、ここ数日は自宅や事務所で勉強に励んでいた。
事務所のドアがノックされて麻野さんが姿を現す。
「明けましておめでとうございます」
「ああ……明けていたのか」
これはかなり重症だろう。
「お節ありますよ、食べますか?」
「いや、その前に……」
麻野さんがドアの外に向かって手招きをすると見覚えのある人が入ってきた。
「なんで一茶くんが?」
佐賀さんは不思議そうに首を傾げた。佐賀さんから見ても異質な組み合わせなのだろう。
「訳あってしばらくサガシヤに居てもらうことになった」
「よろしくお願いします」
一茶くんは少し嫌そうにしながら軽く頭を下げた。
「何かあったのか?」
佐賀さんの問いに対して、麻野さんは何も言わなかった。視線を合わせようとせずに、麻野さんは私の方を向く。
「そうだ、ようやくあなたの存在が認められましたよ」
私は言っている意味が分からず首を傾げた。
「一般人の協力者ってことで申請が通ったので、これからは彼らと同じ扱いを受けることはありません」
認められたということは仕切りのある車の後部座席に座らせられることはないということ。拳銃を持った警察官に睨まれることもなくなるだろう。
「ありがとうございます」
警察から犯罪者みたいな扱いをされなくなるのは嬉しいが、少し複雑だった。私は麻野さんと同じで、佐賀さんたちを犯罪者のように扱いたくない。同じ事務者の仲間として側にいたい。そう思っていたから、同じ扱いをされることは苦ではなかった。
けれど、いつも通り疲れた顔をしている麻野さんに悟られたくはなかった。きっとこのために色々な根回しをしてくれただろうから。
「じゃあ、後は頼むぞ」
到着してからほんの数分で麻野さんは事務所を出ていったしまった。お節も食べずに。
「千宜!」
その義兄を佐賀さんは追いかけていく。
「よっぽど忙しいんですね」
「受験期なんじゃない?」
「あなたはそんなに大変に見えませんけど」
「はぁ⁉」
若い二人の仲睦まじいやり取りが聞こえる。皐月くんは仁穂ちゃんが苦手なのかと思っていたがそこまででもないらしい。あるいは大丈夫になってきたのか。
麻野さんのことも心配だが、目の前にいるイチくんも心配だった。初対面の時とは雰囲気が違う。表情のない顔、でもその瞳の奥には深く激しい感情があるように見える。
「イチくん、よろしくお願いします」
そんな彼に気づかないふりをして、私はいつも通りに振舞う。
「うん…」
彼が一人でサガシヤに来た理由は一体何なのだろう。
「千宜!」
佐賀は肩を掴んだ。これほどまでに見たことのないくらい冷たい目をしていた。
「車まで来い」
麻野はそう言ってベルの鳴るドアを開けて車に乗り込む。
「何があったんだ?」
麻野は悩んでいた。篠木が言ったように佐賀に伝える方がいいのか、それとも篠木を疑った行動をとるべきなのか。
事務所を出て佐賀に引き留められて麻野はようやく決心した。
「何者かが協力者を殺している」
「え?」
この連続殺人の一部始終を話した。
「被害者が協力者である以上、公な捜査はできない。上層部も隠蔽の方向に動いている」
一茶がサガシヤに連れてこられた理由に納得がいった佐賀は小さく頷く。
「……それを話したのは探してほしいからか?」
「違う」
探すなんて危険なことをさせるわけにはいかない。
「気をつけろ、と警告したいだけだ」
麻野は少し前に仕事をした朱雀組を思い出していた。あの中には大した犯罪をしていない奴もいた。裁判にかけられていたら執行猶予が付くような犯罪だ。あの中の大半がそういう奴。
「イヌガリが選ぶ基準は犯罪の大小じゃない」
であれば、サガシヤだって巻き込まれる可能性がある。
「だからあすみさんを正式に認めてもらえるように急いだのか」
麻野は頷く。犯罪者ではない彼女の危険を減らすため。そして、そんな存在がいるサガシヤが狙われるリスクが少しでも低くなればいいと思って。
「俺はお前たちを守る。何を犠牲にしても」
一族を見つけるためにならどんな犠牲でも払うと言った佐賀へのお返しだった。
「話はそれだけだ。降りろ」
麻野は手で追い払った。
「気を付けて」
「ああ、ここは任せたぞ」
佐賀が頷いたのを確認して麻野は車を発進させた。
「背負うものがどんどん増えていく……まるで父さんみたいだよ」
真っ黒な車は交差点を曲がって見えなくなっていた。
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