9. きみは二度と帰らない(1)
新しい年が始まった。
年越しの日、急な仕事が入ってしまった麻野さんを除く五人は仲良く蕎麦を啜り、日付が変わるのを待った。佐賀さんと涼さんはお酒を飲みまくり、絡まれている皐月くんが少し可哀そうだった。
気が付けば全員で雑魚寝していて、時刻はとっくにお昼を迎えている。みんなを起こして近所の神社に初詣に向かい(もちろん一人は留守番だが)、ドタキャンしてしまった麻野さんの分も手を合わせた。
どうかこの一年がサガシヤ全員にとって素晴らしい年になりますように——。
麻野は重大な事件の処理に追われていた。麻野がその存在を知ったのは年末の連続強盗殺人犯を捕まえるよりも前のことだった。
「麻野くんの管轄もやられたの?」
熱心にパソコンと向かい合う麻野を見て、隣の席の同僚が声をかけてきた。
「いや、先日合同で捜査したときに協力してもらったところです……」
「ああ、朱雀組か」
パソコンの画面には彼らがよく溜まっていた場所の写真が表示されている。
赤、赤、赤。写真の全てが血に塗れ赤く染まっていた。五十人ほどの集団は数刻の間に文字通り解体されてしまったのだ。
「一人だけ無事だったんでしょ。俺のところなんて全滅だよ」
同僚は面倒くさそうに頭の後ろに手を回して椅子を揺らした。
全滅とあっさり言ってしまえる神経を疑いたくなるが、ここに居る人間は皆そう思っているのだろう。協力者は駒だ。壊れてしまっても、死んでしまってもプレイヤーが不利になるだけ。
「代わりの人員を選別するんでしょう? 手伝いますよ」
「助かるわー」
麻野はそうやって同僚の管理していた駒の情報を閲覧する権利を得た。
他人の管理する協力者の情報を見ることは基本的に許されていない。ごく一部の上層部は誰の管轄でも自由に閲覧する権利を持っているらしいが。
「警察の仕事が山積みだからあと頼むわ」
「わ、わかりました……」
同僚はそう言って部屋を出ていく。警察としては彼の方が偉い。しかし、組織には麻野の方が長く在籍している。
「はぁー」
長い溜息をついて、再び画面を見つめる。
組織の協力者たちが次々とバラバラに殺されていく事件が始まったのはひと月ほど前のこと。集団の場合には全員殺されたものから一人しか殺されなかったものまで。被害者に共通点はなく、管理している組織の人間同士にも共通点はない。
「協力者を狙った殺人……」
歪んだ正義感に見えるその事件は表向きには明かされていない。協力者の存在を知られる訳にはいかないからだ。万が一にでもメディアに見つかったら大事になる。一般に被害が及んでいない以上堂々と捜査はできず、指をくわえて見ているしかない。
「麻野くん」
ポンと肩を叩かれて麻野は急ぎ振り返る。素早く立ち上がり敬礼をする。
そこには朱雀組の管理者、篠木が立っていた。
「少し話があるんだけど」
「はっ」
二人は部屋を出る。篠木は麻野の組織入りを後押ししてくれた人物の一人だ。今では上層部の仲間入りを果たし、滅多に会うことはできない。
「最近の事件は知っているよね?」
「はい。イヌガリの事件ですよね」
誰が初めに呼んだのか、この一連の犯行の犯人を協力者殺人犯と称した。
「緘口令が敷かれているのも知っているね?」
「もちろんです」
協力者にこのことを知らせてしまったら混乱を招くことになる。自分も殺されるかもしれないと知らされた協力者の行動が、一般市民に影響を与える可能性があるからだ。
「相良くんには知らせた方がいい」
篠木は顔色を変えずにあっさりと言った。
「上層部の決定ですか……?」
「いや、僕の独断です。命令ではありませんが」
わざわざ緘口令が出ているからには、他言すれば左遷されるのは間違いない。麻野は言葉を失った。
「イヌガリは一族に関わっているか、組織の上層部にいる人間が関与していると考えるのが自然です」
篠木は声量を落として、麻野にしか聞こえないように話した。
「ずっと影を潜めてきた一族がこんな派手なことをするでしょうか」
一族はずっと尻尾を見せなかった。手がかりは少しも見つからず、今の組織の人間の中には一族の存在を知らない者までいる。一族に関わる資料が消えたり、閲覧に制限がかかったことも影響しているだろう。
「そうそう、これを機に監視の役目は退こうと思って」
篠木はすぐに普通の話し方に戻った。
「君と相良くんにお任せしたいんですけど、いいですかね?」
朱雀組の唯一の生き残りをサガシヤで迎える。
麻野の脳内を様々な思考が廻った。
イヌガリの関係者をサガシヤに引き入れることは危険ではないか。
なぜ自分に任せるのか。
わざわざ上層部の人間が関与しているかもしれない可能性を強調したのはなぜだ。
相良に緘口令が敷かれていることを話した方がいいと言ったのも何か企んでいるのかもしれない。
「……わかりました」
麻野は篠木を信じた。自分の父が信じた人を。
「ありがとう。彼は少し荒れているから地下に居てもらっているよ。権利の譲渡はもう終わっているから」
そう言って篠木は去ってしまった。
「譲渡が終わってるって、任せる気満々じゃねえか……」
これでよかったのか。篠木を疑いたくないだけではないか。そんな葛藤が麻野の悩みを増やしていくのだった。
仕方なく麻野は地下へ向かう。地下には外には出せないような凶悪な犯罪者たちが暮らしている。そこにいる人間の担当になったことなど無かったので、牢屋の並びに行くのは久しぶりだった。
薄暗い階段を降りるとオレンジ色のランプがいくつか灯っていた。幽霊でも出そうな物騒な場所。その一番手前の部屋に目的の人物はいた。
「一茶」
名を呼ぶと床に座っていたそいつは顔を上げて、鋭い目で睨みつけてきた。
「今日からお前の担当になる。サガシヤに行く気はあるか?」
サガシヤに行かないのならここに居てもらうしかない。麻野はそう決めていた。
「んなことはどうでもいいんだよ!」
一茶は勢いよく立ち上がり、牢屋の柵を掴んで麻野に詰め寄った。
「頭領と組のやつらを殺ったのはどいつか調べろ!」
一茶の主張はよくわかる。
偶然一人だけ組から離れている間に仲間が殺され、その無残な遺体を目にしたのだから。犯人に対する怒りと、一人だけ生き残ってしまったことの罪悪感。だが、彼が新たなる罪を犯すなら、処分の対象になってしまう。
「この件についてお前に報告をすることはない。この事件に囚われるな」
「俺にとってはあの人は全てだった! あの人が篠木に協力するっていうから俺たちはお前らに協力したんだ!」
よく知っている。朱雀組の構成員たちが頭領をどれほど信用していたか。大切に思っていたかを。
「すまない」
麻野は頭を下げた。
「けど頼む、どうか生きてくれ」
このまま地下送りになるのも、処分の対象になるのも頭領はきっと望まないだろう。
「こんなところで終わらないでくれ」
処分の決定をするのは麻野ではない。もっと上の立場の人間たちが、駒としての利用価値を判断する。一茶を助けるためには彼を説得するしかなかった。麻野に権力がないことを、おそらく一茶は分かっていた。
お久しぶりです。お読みいただきありがとうございます。




