8. 罪を摘む(4)
一部グロテスクな表現がございます。苦手な方はご注意ください。
私は慌てて社長室と管理室のドアを閉める。
「誰か来たっ!」
鍵も閉めていたのに入ってくるなんて。こっちのドアは社長室の方に引くドア。何かを置いてドアを押さえることはできない。
どうしよう。近づいてくる足音と私の心臓の音しか聞こえない。
「さっきあのドアの機能を停止させたから簡単に入れちゃうと思う」
ドアの前で仁穂ちゃんは小声で言ってくる。
「じゃあどうすれば……」
カチャン。
相手は鍵を持っているんだ。あっけなく開けられてしまった。
私は仁穂ちゃんを背中に隠すように立った。作戦なんてない。それでも仁穂ちゃんを守りたい気持ちは揺らがなかった。
ドアの動きがスローモーションのように見える。前回とは違ってナイフすらない。いや、ナイフを持っていたところでどうせすぐ奪われていたか。
『相手が人殺しならこちらにも覚悟が必要だ。殺す覚悟と死ぬ覚悟がな』
出発前に頭領が言っていた言葉が頭を過った。ああ、本当にその通りだ。
「見つけたぞ……」
ひどく醜い顔をした男が狂喜の笑顔を向けてくる。身長はそれほど高くない。全身を黒い服で包んでいる。その手にはサバイバルナイフが握られていた。
「女二人だぁ」
そいつはベロンと舌を出してこちらにナイフを向けた。
「今すぐ自首してください……!」
私は必死に頭を回転させる。自力でこの状況を回避できるとは思えない。だとしたら、助けが来るまで時間を稼がなくては。私にできる戦い方を探さなければ。
「するわけないだろ何言ってんだぁ」
男の表情が険しくなる。私は覚悟決めて監視カメラの映像が見えるモニターを指した。
「もう捕まるのも時間の問題です。あなた以外の人はみんな捕まりました」
実際に今がどんな状況かなんて知らない。指先が震えてしまわないように、犯人にこの恐怖が伝わらないように私は必死に表情を作る。
「もうこのフロアを占拠し始めていますからすぐにでも捕まってしまいますよ」
犯人は俯いた。こんな言い方で大丈夫だったのか。不安も恐怖もどんどん大きくなっていく。
「……ふぁははははっ!」
男は当然笑い始めた。
「馬鹿じゃねぇの! 俺が何人殺したと思ってるんだよ! 今更、二人殺すくらいなんとも思わねぇよ!」
ああ、失敗した。
男は血走った眼を見開いてナイフを振りかざした。
「お嬢ちゃんたちに随分物騒なもん向けてんじゃねぇか」
「あ?」
男の後ろから声がした途端、男の体が宙に浮いた。
「頭領さん……!」
男はその首を強く握られて、持ち上げられていた。頭領はそのまま男を社長室のテーブルの方に投げつける。
ドン、といい音をたてて男の頭が角にぶつかる。そして男は動かなくなった。
「遅くなって悪かったな」
「ありがとうございます」
安心してしまって一気に力が抜け、私はその場に座り込んでしまった。
「あすみさん大丈夫?」
仁穂ちゃんが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「うん、平気」
ぽろぽろと涙を流しながら私は笑った。
「情報屋から預かったお嬢ちゃんたちに怪我がなくてよかったよ」
頭領も安心したような優しい表情を見せた。
「あの、イチさんは?」
「イチはバカな怪我して回収された」
「大丈夫なんですか?」
一人で敵を引き付けてくれたから怪我をしてしまったのだろう。
「心配いらねぇさ」
頭領は私と仁穂ちゃんの頭をなでる。
『防犯カメラで敵を見つけられません』
皐月くんの声がもう敵がいないことを知らせる。ちょうどそのタイミングで五人の警察官が社宝室に入ってきた。その中の一人に、助手席に座っていた人がいた。
『よし、任務終了だ』
麻野さんが私たちに撤退の指示を出した。
こうして、私たちは連続強盗殺人のグループを逮捕することができた。捕まったのは全部で八人。闇サイトの掲示板で知り合ったらしい。彼らは四件の事件に関与し、公式に発表されたものには重軽傷者は警官含め七名、死者九名と書かれることになる。
「協力者の怪我人や死者はノーカンだから実際はもっと多いけどね」
新聞の記事を読みながら佐賀さんは言った。この数字の中に朱雀組の人たちは含まれていない。彼らはいないはずの存在だから。
「皆さん早く元気になってほしいですね……」
今回は死者が出ず、朱雀組の何人かが病院送りになった。その中にイチくんもいる。
助けてもらったからお礼も兼ねてお見舞いに行きたいと麻野さんに言ったが、断られてしまった。他班との余計な接触は禁止であるし、そもそも朱雀組を管理している警察官が違うから簡単に会わせることはできないという。
「彼らはヤンチャが取り柄だから心配いらないよ」
ソファーに腰かけた佐賀さんは欠伸をしながら新聞を閉じた。
一面に印刷された容疑者たちの顔写真が見える。そこにはあのサバイバルナイフの持ち主もいた。頭領に投げられた彼は幸いにも気を失っただけで、今は回復して取り調べを受けているそうだ。投げたのが頭領だからその怪我自体がなかったことにされている可能性もあるが。
「うーん」
社長椅子に座る警備員もうつったように欠伸をした。発端が闇サイトだったのもあって、彼は最近ネット上の警備員になっている。
「千宜は人使いが荒いね」
「佐賀さんも人のこと言えないと思います」
のそのそと皐月くんは動いて、自分でコーヒーを淹れに行った。
「報告書やっと書けたー」
佐賀さんの対角に座っていた仁穂ちゃんはそう言って紙を持ち上げた。年末だから書かなければならないことが多いらしい。この報告書は犯罪者が協力者として自由に暮らすために毎月提出しなくてはならないそうだ。
一般人である私は一度も書いたことはない。私の役目は事務仕事が嫌いな佐賀さんにこれを書かせることだ。
「佐賀さんもいい加減書いて下さいよ。また麻野さんに怒られますよ」
私はそう言って洗濯の終わったカーテンにフックをつけていく。
「今日千宜来られるのかねぇ」
佐賀さんはしぶしぶ紙とペンを用意する。
「今のところ来るんですよね?」
「今のところね。最近忙しそうだけど」
今日で一年が終わる。麻野さんも呼んで、一階の服屋の涼さんも呼んで、みんなでお蕎麦を食べる予定だ。
私はどこからか出てきたパイプ椅子を踏み台にしてカーテンをかけていく。
「蕎麦はもう準備できてるんだっけ?」
「お蕎麦もお節も用意してますよ」
いつの間にか警備員は社長椅子に座ったまま目を閉じていた。ずっと画面を見ているから疲れてしまったのだろう。佐賀さんよりも圧倒的に働いていると思う。
「この一年色々あったなぁ」
私は夕日を眺めながらぽつりと呟いた。まさか自分が転職するなんて思っていなかったし、今ここにいることを微塵も想像できなかっただろう。
「麻野さんからメール来ました」
通知で飛び起きた警備員は知らせる。私は振り返って画面を見た。
『行けなくなった』
そんな短いメッセージだけが送られてきていた。
ビルに囲まれた血まみれの場所。違法に捨てられた粗大ごみも全てが血に塗れていた。生臭い鉄の匂いが鼻を刺し、近くに落ちていた細切れ肉の塊を拾い上げる。何かを指すような指の形のまま硬直していた。生気のない手の、その爪の奥まで黒い血がしみ込んでいる。
どれが誰かなんてわからなかった。
「なんでっ……!」
人差し指と中指の付け根の間の黒子。その手は何度も頭を撫でてくれた、ぬくもりをくれた手。
べっとりと血が付いた己の手の平を見て、彼は叫んだ。
お読みいただきありがとうございます。8話はこれにて終わりになります。




