8. 罪を摘む(3)
私たちは真っ黒な車に乗せられた。先行部隊は仁穂ちゃんと私とイチと呼ばれていた男の三人だけだ。
三人は普通の車の後部座席に座らせられた。その車の運転席と後部座席はプラスチックの板で仕切られている。運転している警察官は麻野さんではない。助手席にいる人は時々こちらを見ながら、ずっと拳銃を握っていた。まるで協力者を警戒しているみたい。その姿を見れば、麻野さんがどれほどサガシヤを大切に扱っているのかがわかる。
私たちは車の中で一言も発さなかった。時折入る無線から全ての車が目的地に到着したことを知った。
私はポケットから無線を取り出す。この車に乗る直前に麻野さんから渡されたものだった。私はそれを耳に取り付ける。電源ボタンを押すとガサゴソと雑音が入ってきた。
『あ、ついた』
聞きなれた声。警備員の声が、いつものタイピングと一緒に聞こえてくる。
『お疲れ様です。特に返事はしなくていいです』
前列に座る警察官たちは私が無線で話していることに気づいてはいない。彼にはそれが分かっているようだった。
『これがあれば現在地が分かりますから、ナビゲーションは任せてください』
その頼もしさに思わず表情が緩む。
「おい、なんだその顔は」
助手席に座っている警察官が振り返って言った。まだ若い男の人は少し声が震えているようだった。
「よせ、その人は違うと麻野さんから聞いただろう」
運転席の眼鏡をかけた男の人はそう言って彼の拳銃を握る手を抑えた。
私は犯罪者ではない、と麻野さんは伝えてくれていたんだろう。それでも、私に向けられる視線は両隣に向けられているものと少しも変わらないように感じた。
きっと、彼は怖いのだろう。
「お気になさらず……」
私はそう言って笑顔を作った。そもそも仕切られた後部座席に座らされた時点で覚悟はしていた。いや、最初から麻野さんはこうなることを教えていてくれたじゃないか。それでもいいからサガシヤに居たいと願ったのは私だ。
「これだから嫌なんだ」
隣に座る仁穂ちゃんが小さな声で言った。こんな接し方で気分がいい人なんて絶対いない。
その時、車内に無線が入る。
『奴らの侵入を確認。各班行動開始』
「了解」
バン、とイチくんがドアを開けた。
「行くよ」
彼の左耳から真っ黒なピアスが顔を覗かせる。
「うん!」
私たちは彼に続いて車を降りる。目標の大きなビルの裏口で手招いている警察官がいた。ここから中に侵入するんだ。
少し離れた所にはもう一台車が停まっていて、その中からガラの悪そうな人たちが出てきた。おそらく朱雀組の人たちだろう。
「中に入るよ」
『了解です。入ってすぐの非常階段で十二階まで上ってください』
「十二階⁉」
「急がないと」
よく見たら仁穂ちゃんの耳にも無線がついていた。
「十二階まで上るの?」
「そう」
真っ暗な社内。窓から入る街灯の明かりだけが頼りだ。
私たちは言われた通りに階段を上る。足下は見にくい。強盗殺人犯と同じ建物にいる。そんな状況が私の脚をもつれさせた。
「大丈夫?」
「ご、ごめん……」
上がった息、二人はまだまだ余裕そうだ。完全に足手まといになっている。
「急がないとだから担ぐわ」
「イチくん⁉」
イチくんは私を肩に担いだ。申し訳ないやら、恥ずかしいやらで私の顔は真っ赤になっていただろう。
「待って。足音がする」
先頭を行く仁穂ちゃんは十一階に着いた時そう言った。イチくんは足を止めると私を下ろす。確かにパタパタと足音が聞こえる。それに話し声も。何を言っているのかは分からないが声の主は三人くらいだ。非常階段のドアを開ければ彼らに遭遇するかもしれない。
「犯人の声を確認」
『何階だ?』
「十一階」
麻野さんの声がした。サガシヤの関係者は皆持っているのか。
「行くぞ」
そう言うイチくんに私たちは頷く。犯人よりも先に金庫室に到着する、その目的をを見失う訳にはいかない。
一階分を駆け上がって、仁穂ちゃんはドアに手をかけようとした。その手をイチくんは掴んで、後ろに下がるようにジェスチャーした。
『十二階に着いたら非常階段のドアを開けて右に向かって』
重たそうなドアをイチくんは少しだけ引く。その隙間から進行方向の安全を確認し、勢いよく身を乗り出して反対側の安全を確認した。
「大丈夫」
私たちも後に続いて通路に出る。この階からは足音は聞こえない。三人で顔を見合わせると再び仁穂ちゃん先頭で走り出した。
『社長室から入って、隣接した管理室に入って』
「了解」
私たちは社長室と書かれた部屋を発見した。侵入からここまで十分程度しか経っていない。
仁穂ちゃんはその部屋のドアノブを回す。しかし、鍵のかかったドアは押しても引いても動かなかった。それを確認すると、彼女は耳から無線を外した。
「しゃ、社長室のドアに鍵がかかっていて……」
『想定内です。無線は彼女の邪魔になるので外しても動揺しないでください。そのためのあなたですから』
仁穂ちゃんが集中して作業するために、私が伝達係になる。警備員の言葉に私は落ち着きを取り戻す。
「はい」
仁穂ちゃんならきっと、すぐに開けてくれる。背後ではイチくんが左右を見ながら敵が来ないか警戒していた。
「開いた」
かちゃん、という音と共に仁穂ちゃんは告げた。
開いたことを報告しようと口を開いた時、その口をイチくんに押さえられた。
「⁉」
「近くまで奴らが来ている。中に入ったらこのドアの鍵を閉めて、重いもので塞げ」
イチくんは社長室のドアを開けて、その中に私たちを入れてドアを閉めてしまった。その足音がどんどん離れていく。
「イチくん!」
「言う通りにしよう」
仁穂ちゃんは躊躇いなく鍵を閉めた。私も覚悟を決める。
「社長室に入りました。近くに敵が来ているのでイチくんが一人で囮になってくれています。私たちは社長室の鍵を閉めて籠城します」
『了解。こちらも突入させる』
麻野さんは他の警察官に指示を飛ばす。
『隣の管理室に入ってください』
仁穂ちゃんは再びポケットから仕事道具を取り出して、鍵穴に突っ込む。
私は部屋を見回す。真っ白な壁に囲まれた部屋には四隅に観賞用の植物が置いてあった。社長デスクは重すぎて動かせそうもない。低いテーブルと三人掛けのソファーなら引きずって動かせるかもしれない。
ドアに近いソファーから先に私は引っ張った。『突入!』という麻野さんの声が聞こえた気がする。
「これで良し」
ソファーとテーブルも配置した。これで多少は開けにくくなっただろう。
「あすみさん!」
ドアと格闘していた仁穂ちゃんが私を呼ぶ。
「このドア、カードキーも必要だ」
よく見ると、カードを読み取るための機械も設置されている。
それでも、私たちは冷静だった。なぜなら、私たちはこういうことが得意な人物を知っているから。
「皐月くん」
『任せてください』
私は皐月くんに言われた通り、この機械の側面に印刷されていた番号を読み上げる。
仁穂ちゃんはいつでも鍵を開けられるように鍵穴に入れた工具に触れたまま待っていた。
ピピッ。
不意に機械に番号を入力する画面が表示された。私たちが操作をしなくても、そこには勝手に数字が入力されていく。
機械が番号を認識すると仁穂ちゃんの工具が回った。
「開いた」
私たちは中に入る。
そこは管理室のようになっていて、防犯カメラの映像が映し出されていたり、大きなコンピューターがあった。その向かいには硬そうな金庫が置いてある。それは大人くらいの高さがあった。
「見つけた。金庫は無事」
『よかったです』
いつの間にか仁穂ちゃんは無線を付け直していた。
『そこに僕が侵入するので協力してください』
「わっ」
一番大きな画面に次々に数字とアルファベットの文章が打ち込まれていく。私には何が起きているのかさっぱりわからない。仁穂ちゃんはじっと画面を見つめたまま警備員の合図を待っていた。
『数字を入力してください』
警備員の言った十桁の数字を仁穂ちゃんは入力する。すると、正面の画面が真っ暗になって、もう一度ついた。そこには防犯カメラの映像が写っていた。
「これで私たちの仕事は終わりだよ」
そう言って彼女は大きく伸びをした。無線の向こうでは、防犯カメラの映像と位置を照らし合わせた皐月くんが麻野さんとやり取りをしている。どのカメラの映像が何階のものなのかはわからないけれど、朱雀組の人が走っている様子や、犯人が捕まっている様子が見えた。
「私、足手まといだったね」
「そんなこと……」
ガタン——。
まるで何か大きなものが動かされたような音。それは隣の社長室の方から聞こえた。
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