8. 罪を摘む(2)
「待たせてすまん」
組織の地下駐車場で待つこと三十分。黒いコートに身を包んだ麻野さんがようやく現れた。彼の目の下には大きな隈がある。それが恐ろしいオーラをより一層強調していた。
「乗れ」
私たちは言われるがまま組織の車に乗り込む。車のエンジンがかかると温風がものすごい勢いで放出された。そのぬくもりがすっかり冷え切った体に染み込んでくる。
「事故らないでよ、千宜」
助手席に乗り込んだ佐賀さんは言った。それが心配になるくらい、麻野さんは疲れているように見える。
「善処する」
車はゆっくりと動き出す。佐賀さんはどこかの引き出しから見つけ出した茶封筒の中を見た。
「強盗殺人集団ねぇ……」
「同一グループの犯行だと思われる事件は三件起きている」
「ふぅん」
佐賀さんは読み終わったページを後部座席に座る私と仁穂ちゃんに渡して来た。今回も警備員はお留守番だ。
「今夜、大企業に侵入する可能性が高い。俺たちはそこに合わせて突っ込む」
資料にはどうやって捕らえるかの作戦が書かれていた。
敵を屋内に閉じ込めるために、彼らが侵入したのを確認してから自分たちが突入する。二手に分かれ、一方は出入口にいて逃走を防ぎ、もう一方は先に金庫に侵入し強盗を防ぐ。そうやって挟み撃ちにする作戦らしい。
「一件目は普通の民家。二件目は中企業の社長の家。三件目は大企業の会社に侵入。今のところ奴らは全勝だ」
「おおすごい」
仁穂ちゃんは資料の一角を指した。そこには被害者について書かれている。
重軽傷者二名、死者九名。
お風呂場に隠れた一件目の家の子どもと三件目の巡回中の警備員だけが生存者。私たちはそんな人たちを捕まえに行くのだ。
「おそらく四、五人の集団だろう」
「他班は?」
「篠木さんとこの朱雀組だ」
麻野さんが敬称で呼ぶということは、やはり彼よりも上の立場の人間だろうか。ところが、この紙に書かれている責任者は麻野さんの名前になっている。
「篠木さんが総指揮じゃないんだ」
「組織で別のトラブルが起きていてな。その対処に向かわれた」
麻野さんの疲れ切った様子はそのトラブルが原因なのだろうか。
しかし、私はそれどころではない。あっさりスルーしそうになっていたが、朱雀組とはなんだ。
「朱雀組とは何回か一緒に仕事したことあるし、頭領もいい人だから心配いらないよ」
それを察してか、私の隣の仁穂ちゃんが優しく教えてくれた。仁穂ちゃんが言うなら信用できる。
その言葉一つで不安が小さくなった。なんて頼りになる先輩だろう。
「なんとか事故らずに着いたぞ」
麻野さんはそう言って私たちを車から降ろした。東京の高いビルに囲まれる細道を進んでいくと、少し開けた所に出た。そこにはゴミが散乱していて、違法に捨てられた家電の山があった。
「おい」
麻野さんが闇に向かって声を上げる。すると、誰もいないように見えた周囲から続々と人が現れた。
「ヒッ」
その登場がゾンビのようで、私は思わず仁穂ちゃんに抱き着いた。
「遅かったじゃねえか、代理人」
家電の山の上に一つの影があった。間違いない、この人が頭領だ。
「篠木さんは急ぎの用事で来られない。だから俺の指示に従うように」
山から下りてきた男の姿が見える。身長はかなり高い。佐賀さんと同じくらいか、それ以上か。尖った金色の髪がさらに高身長に見せている。
頭領は麻野さんの目の前まで来ると鋭い瞳で見下ろした。
「あいつのお気に入りのエリートくんの指示なら聞いてもいい」
「頼むぞ」
「いいな、お前ら」
頭領が周囲の男たちに問うと、雄叫びのような返事が返ってきた。
「じゃあ俺は最後の打ち合わせをしてくる。しばらく待っていろ」
麻野さんはポケットからスマホから取り出して足早に立ち去った。
「やぁ、久しぶり。頭領さん」
「久しぶりだな、情報屋」
「情報屋?」
「うちの主戦力は引きニートだから」
仁穂ちゃんはそう言った。主戦力だと言うならその呼び方をやめてあげればいいのに。
「見ない顔がいるなぁ」
「は、初めまして!」
私は急いで頭を下げる。ポケットに手を入れたままの頭領が自分を見ているのが分かった。体がぶるりと震える。
「おう、よろしくな」
頭領は私の頭を乱暴に撫で繰り回して再び佐賀さんと向かい合った。
「このお嬢ちゃんも侵入側か?」
「どっちがいい?」
突然よくわからない質問をされて、私は困惑する。全員で侵入すると思っていたから。
「僕は外から退路を塞ぐ方で参戦するし、仁穂ちゃんは先行して金品を守る方で、皐月くんは遠方から両者のサポートで参加。あすみさんはどっちかのサポートをしてもらう事になるけれど」
いつもそうだから、みたいにあっさり言っているけれど、私は衝撃が隠せなかった。仁穂ちゃんは危険なところに行くのにこの人は外から見守っているだけなんて。そういえば少年を助けに行ったときも、佐賀さんは危険なところに行っていないのだ。
「仁穂ちゃんを一人で行かせることなんてできません!」
「じゃあ先行部隊だな。イチ」
頭領が人だかりに声をかけるとその中から一人が近づいてきた。
「なんスカ?」
イチと呼ばれた黒髪の男は随分チャラい話し方をする。
「お前はこの二人を守って先を行け」
「分かりやした」
敬礼のポーズをして彼は答える。左右の耳にたくさんつているピアスが音をたてて揺れた。
「頭領」
佐賀さんは小声で呼んで、肩がぶつかりそうなくらい近づいた。袖から取り出した白い小さな紙切れを渡すのが見えた。
「頼んだ」
「任せときな」
頭領はその紙をくしゃりと握ってポケットにしまい込んだ。佐賀さんは何を渡したんだろう。それを聞こうとすると、人差し指を唇に当てて彼がこちらを見ていた。私は出かかった言葉を呑みこむ。
「お嬢ちゃんらに怪我一つさせるんじゃねえぞ」
「へい」
さっきも気になったが、自分とそれほど年が変わらないように見えるのに「お嬢ちゃん」と呼ばれるのがむず痒い。
「近づいた奴は全員殺せ」
「えっ」
頭領の口から飛び出したワードに私は思わず反応してしまう。頭領の目が私の方に向いた。
「あ、いや、そこまでする必要はないんじゃ……」
もしかして、この人たちは人殺しをしたことがあるのだろうか。そういう人は組織の地下で生活していると佐賀さんは言っていたのに。
「ぬるいなお嬢ちゃん」
頭領の顔を見上げる。そこで初めて気づいた。彼のおでこに刃物で切られたかのような傷跡がある。
「相手が人殺しならこちらにも覚悟が必要だ。殺す覚悟と死ぬ覚悟がな」
その言葉に妙な説得力を感じてしまった。あの時もそうだった。あの子が大男を殺していなかったら、殺されていたのは自分だ。
「安心しな、俺らが生きている限りはお嬢ちゃんたちを死なせはしないさ」
怯える私に頭領は言う。
「俺は約束を違えたりしない」
仁穂ちゃんが頭領のことをいい人だと言った理由がわかる気がする。
「おい、行くぞ」
いつの間にか戻ってきた麻野さんは十数人の部下を連れていた。
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