7. 愛情の向かう先(5)
併設されたカフェスペースにいた観光客が帰っていくのを見届けて、私たちはそこで話すことにした。
店内はクリスマスムードに包まれていて、大きなツリーには松ぼっくりや鈴がついていた。クリスマスをイメージしたパンは、今日の分はもう売り切れてしまったらしい。ポップの後ろの籠にはパンのかけらが落ちているだけだった。
「巻き込んでしまってすみません」
勤さんは頭を下げる。
「彼女は嘘とか、隠し事とか苦手な人なんですよ」
彼女がうまく仕掛けたと思っていた位置情報を発信する機械もすぐに気づいた。その日の様子がおかしかったから。鞄から離れるように仕向けたり、チラチラ鞄を見たりしていたそうだ。
私たちが来てからは毎朝敷地内に違うレンタカーが停まっているのを目撃していたそうだ。車が分かっていたからこそ私たちの顔もすぐにわかってしまったという。
「やましいことはないので、心さんの気が済むまで放っておこうと思ったんですけれど……」
「私たちもそう思っているんですけれど……」
なかなか満足してくれないお嫁さんと依頼主に疲弊した両者。
「あの……勤さんはどうしてここに?」
私の実家はパンとケーキを作って販売している。お客さんとして来たならまだわかるが、彼はエプロンを着ているのだ。
「もうすぐ結婚記念日なんですよ……」
そう言って彼は顔を赤らめる。
「どんな風にお祝いをしたら喜んでくれるか考えたのですが、彼女はお嬢様なのでお金をかけてお祝いしても特別感は無いんです」
確かに、彼女にとって贅沢は日常なのだろう。
「それなら自分の手で、おいしいケーキを作ってあげたいと思いまして」
「時々うちに練習に来てくれるのよ」
私たちにコーヒーを運んできた母が言った。
「そうでしたか」
「サプライズにしたかったんですけれどね」
ばれちゃいました、と彼は笑う。位置情報がばれていると分かっていながらここに来たのだ。ずっと拘束されていた私たちのことも考えていたのかもしれない。
「ここは甘い香りがしますから、それを心さんが勘違いした可能性はありますね」
ケーキを作る練習をするなら数時間はこの甘い香りの中にいることになるだろう。それが誤解のきっかけになってしまった可能性を指摘した。
「ですが、この話をしてしまったらサプライズができない、と」
「はい……」
佐賀さんと勤さんはどうしたらいいか考えている。私はコーヒーを一口飲んだ。
「勤さんは心さんが大事なんですよね?」
「当たり前です!」
間髪入れずに勤さんは答える。
「だとしたら何を悩むことがあるんですか? モヤモヤしたまま迎える結婚記念日なんて幸せだと思いますか?」
男二人は驚いた顔をしていた。
「……思いません」
「二人の結婚記念日なんですから、二人で作ればいいんですよ」
私は残りのコーヒーを飲み干してスマホを手に取る。
勤さんは目を点にしていた。
「心さんを不安にさせないであげてください」
「はい」
二人には年齢の差もあるのだから。心さんはこんな些細な香りに気づいてしまって、一人でずっと不安を抱えていたのだ。本人を問いただす勇気もないまま。
「ここに心さんを呼んでもいいですか?」
勤さんは頷いた。
スマホから電話をかけて居場所を伝えると彼女はすぐに駆け付けた。私たちと勤さんが一緒にいることに驚きながらも事情を話すと受け入れてはくれた。胸に痞えていたものが少しはなくなったのではないだろうか。
「最初からこうしていればよかったのに」
奥の厨房では二人が楽しそうに生クリームを泡立てている。その姿を私たちは眺めていた。
「納得してくれてよかったよ」
「そうですね……」
浮気の証拠を見つけることはできなかったし、サガシヤとして役になったとは言いきれないけれど。
「にしてもケーキか。懐かしいな」
「ケーキに何か特別な思い入れがあるんですか?」
佐賀さんは座ったまま並べられたケーキを見ていた。紅芋を使ったケーキが一押しなのか、商品紹介のポップにこだわりを感じる。
「初めての誕生日ケーキを思い出すよ」
「初めて?」
「麻野家で迎えた初めての誕生日」
懐かしそうに目を細める。それを祝ってくれた人はもうこの世にはいない。
「……佐賀さんのお誕生日はいつなんですか?」
「一昨日……かな?」
佐賀さんはスマホを開いてカレンダーを見る。自分の誕生日なのに自信が無いらしい。
「一昨日なんですか⁉」
「ああ、でも、麻野家に迎えられた日を誕生日にしているだけだから実際はいつなのかわからないよ」
「じゃあ一緒にケーキを食べましょう」
こんな変態でもお世話になっていることに変わりはない。プレゼントを用意するのは難しくても、一緒にケーキを食べるくらいなら簡単だ。
「ありがとう。でも大丈夫」
佐賀さんは私にスマホの画面を見せてくる。表示されているカレンダーは明日を指していた。
「クリスマスイブ?」
「この日、仁穂ちゃんの誕生日なんだ」
彼の言いたいことが分かった。
「じゃあその日までに帰りましょう」
そしてみんなでお祝いしよう。愛すべき看板娘が生まれた日を。
「……というわけで、今は転職してこの方の部下として働いています」
二人が笑顔で帰宅したのを見届けて、私はようやく両親に話し始める。胸やけしそうなくらいのクリームがのったケーキを二人は持ち帰って行った。
「サガシヤさん……」
「インターネットから依頼を受けています」
困惑しながらスマホの画面を見る母に佐賀さんは言った。
「結婚報告じゃないのか」
「そんなわけないです」
がっかりしたように父は肩を落とす。普通、一人娘の結婚は嫌がるものでしょう。
「この子はちゃんとやっていけていますかね?」
「はい。とても助かっていますよ。彼女がいるとみんなの仕事の効率が上がります」
仕事の効率が上がるのは、彼らが散らかした物を私が毎度元の位置に片付けているからだ。たまには食べたカップ麺のゴミもしっかり分別してもらいたい。
「そう……あすみは元気なのね?」
「元気ですよ」
母は胸をなでおろす。
「佐賀さん、この子のことよろしくお願いします」
「こちらこそ、お願いします」
二人は深々と頭を下げた。
「それじゃあもう帰りますから」
「泊まっていけばいいのに」
「心さんがホテルを取ってくれているので」
それもあるが、私はこれ以上ここに居たくなかった。佐賀さんがそれを察したのか、立ち上がる。
「遅くまで失礼してすみません。コーヒー美味しかったです」
「気をつけてね……」
「二人も」
外に出るともう真っ暗だった。街灯も少ないせいで星がよく見える。東京とは大違いだ。
「あすみさんはご両親が苦手なの?」
車に乗り込むなり、佐賀さんはそう切り出して来た。聞きたくなる気持ちもわかる。実の親に敬語を使うなんて変な話だろう。
「得意ではないです」
「そっか」
私は二人のことがよくわからない。たぶん、自分たちのことにしか興味がないのだ。昔からよくわからない人たちだった。
ポケットに入れたスマホが鳴る。
「心さんからです」
「なんだって?」
「明日いつもの時間に屋敷に来るようにと」
もう帰れると思っていたが、まだ続くのだろうか。仁穂ちゃんの誕生日まで時間がないのに。
「もう少し時間がかかりそうだね」
車は見慣れた道に出て、いつものホテルを目指して走っていた。
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