7. 愛情の向かう先(4)
仁穂ちゃんにお別れを言う暇もないまま出発し、夕焼けに見送られながら機体は空に旅立った。久々に乗る飛行機は大きな問題もなく、予定通り那覇空港に着陸。
空港を出ると半ば拉致されるように車に乗せられ、依頼主と対面した。彼女は高級ホテルを用意して、手厚くもてなしてくれる。そんな期待に応えるべく私たちは奮闘する。
しかし、手柄も用意できないまま、沖縄に来てから三週間が経ってしまった。
「ねえ、まだ見つからないの?」
「申し訳ないです……」
広々としたリビングの高級ソファーに腰かける依頼人は、中身はぶどうジュースのワイングラスを片手に床に正座する私たちを見下ろした。
「早くしてよ」
キャラメルのような色の髪を指先でくるんくるんとしている。
「浮気を許すような女って思われたくないの」
彼女は仕事に行け、とでも言うように手を振った。
「行ってきます……」
本物の警備員がたくさんいる道を通って、彼女の手配した本日の黄色いレンタカーに乗り込んだ。同じ車だとばれてしまうから毎日変えるようにという命令だ。
「本当に浮気しているんですかね……」
「それは言っちゃだめだよ……」
車内の空気は重かった。この依頼が終わる兆しが見えなかったからだ。佐賀さんの視る力を使えればよかったのだが、対象の旦那さんとは接触禁止。触れないと視えない佐賀さんにとってそれは致命傷になってしまった。
依頼主の神崎心はまだ一九歳だ。来月、初めての結婚記念日を迎える。そんな時期に発覚した浮気疑惑。旦那さんは神崎勤、二七歳。この年齢差こそ、彼女が浮気を疑う大きな要因だと思っている。
「勤さんも心さんも、お互いのこと大好きだと思うんですけど……」
お見合い結婚で婿養子になった勤さん。彼はとても穏やかで紳士的な人だ。道に迷った観光客を案内したり、仕事でトラブルが起きても誠心誠意対応して丸く収めている。週に二、三回は花屋に寄って心さんに渡すかどうか悩み、結局は買わないことが多い。高級なお菓子をお土産に買って帰ることもしばしば。
「そうだねぇ……」
心さんは決して口にはしないが、おそらく彼女も勤さんを大切に思っている。
浮気をしているというよりも、自分の幼さで彼が浮気してしまうのでは、と不安で仕方ないのだろう。
「どうしたものか」
浮気をしていないという証拠を提出すればいいのか。それを信用してくれるのか。どうしたらこの依頼に幕を下ろすことができるか、私たちは悩んでいた。
「どうにかして視れないんですか?」
「視ようとすれば間接的に視ることは可能なんだけど、浮気をしていなければどうしようもないよ……」
旦那さんは浮気をしていないですよ、と言って引き下がるような人じゃないのは明らかだ。
「とりあえず、行こうか」
スマホで彼の位置情報を確認する。彼の持ち物にそれを忍び込ませたのは心さんだ。位置情報が分かるならそれで満足すればいいのに。
それはさておき、今日はまだ会社にいるらしい。
「本日は少し早く仕事が終わる日ですね」
毎週火曜日は比較的仕事が終わるのが早い。その後は上司や取引先、義父との飲み会に付き合っている。女性と二人きりなんて日はなかった。
「あすみさんのお願いも聞いてあげられないままで申し訳ない……」
車は広い門を通過して一般道に入る。
「別にそれは気にしなくていいですよ」
私の提示した条件は実家に寄ることだった。今は沖縄に住んでいる両親に仕事の話をするために。
「今沖縄にいるって伝えていませんし」
「どうして言わないの?」
「行く直前に連絡入れれば十分ですよ」
「そういうもの?」
窓の外を見つめている私に佐賀さんは言った。両親がいない佐賀さんにとっては考えたこともないのかもしれない。
「うちの親は機械が苦手なんです」
スマホに変えてから一年以上経ったというのに未だ使いこなせていない。電話の方が楽だと言っている。電話をしても私は出ないから、仕方なくメッセージを送っているが。
「ジェネレーションギャップだねぇ」
何だか急に同じ空気を吸っているのが嫌になって窓を開けた。ビュウ、と風の音とともに冷気が入り込んでくる。本州ほどじゃないが、さすがに寒い。私はすぐに窓を閉めた。
「あ」
スマホの画面が光った。勤さんの位置情報が変化している。
「動きました」
時々止まったりしながら、彼はどんどん移動していく。少しずつ私たちの車に近づいていた。
「車ですかね」
「いつ来ても追いかけられるよ」
一度空き地に車を停車させて佐賀さんは様子を見る。
「来たね」
位置情報の矢印がこことぴったり重なったところで車は動き出した。何日も追いかけている黒い車。間違いなく勤さんの車だ。
「助手席にも誰もいませんでしたね」
「浮気相手の車とかだったら一発だったのに」
「やっぱり浮気していないんですよ」
車は今まで通ったことのない道を行く。大通りから少し離れて。少しずつ狭くなっていく道には木が茂る。
「この道……」
「なに、知っているの?」
嫌な予感がする。
「引き返してください!」
「引き返すって、もう少し広いところに出ないと向きを変えられないよ」
「ああ、でも、それ以上行くと……」
車は少し開けた駐車場に着いた。行き止まりになっている目の前には見覚えのある一軒のお店。木々に囲まれた異世界みたいな、とあるアニメ映画の影響を受けすぎた建物。当人曰く、今後出てきそうな建物をイメージしたのだそう。
「ここは?」
駐車場には既に三台の車が停まっていた。このお店の車、勤さんの車。もう一台はナンバーからレンタカーだと分かる。
「私の実家です……」
「ここが?」
勤さんがどうしてこんなところに来たのか。気になるが今はそれどころではない。
「とにかく早くここから離れないと……」
そう言うと、誰かが助手席の窓ガラスをノックした。ドキン、と心臓が跳ねる。私は佐賀さんの方を向いたまま振り返ることができなかった。
仕方なく、佐賀さんは窓を開けた。
「お客さん! 今なら焼き立てのパンがあるわよ!」
「すみません、僕ら道に迷ってしまって……」
「あら大変、近くまで旦那に案内させるわ。少し待ってて」
「あー、いや、それは……」
佐賀さんの困った顔がこちらを向く。
「それは大丈夫です……」
私は諦めて彼女の顔を見た。久々に見る母の顔。しわは増えたけれど元気そうだ。
「あんた……!」
「お久しぶりです……」
母は口に手を当てたまま走りだした。
「待って!」
今、お店に戻って父に私が来たことを伝えたら、お店にいる全員に私のことがばれてしまう。店内にいるであろう勤さんにも。
そんな私の制止もお構いなしに、彼女はお店に戻ってしまった。
「お父さん、あすみが帰って来たわ!」
「なに?」
お店のドアを開ける。一歩遅かった。二人の視線が私を向く。その時、お店の奥から暖簾をくぐって勤さんが姿を現した。紺色のエプロンを付けて。
「勤さん、この子うちの娘なの!」
最悪だ。
「コンニチハ……」
愛想笑いをして会釈をする。まだだ。ただの帰省した娘であれば問題ないはず。
「この子ったらかっこいい彼氏まで連れてきたのよ」
「彼氏じゃないです……」
「ああ!」
何かを思いついたかのように勤さんは手を合わせた。
「心さんに雇われた方ですよね?」
私は固まった。
「な、何のことでしょう?」
冷汗が出てきそうだ。ああ、佐賀さん。私はどうしたらいいでしょう。
「心配しないでください。最初から全部気づいていましたから」
優しい顔で勤さんは笑った。
「むしろご迷惑をおかけしてすみません」
なんなら依頼の内容までわかっていそうな雰囲気だ。どうぞもう一人の方も連れてきてください、と言われたので私は諦めて佐賀さんを呼んだ。
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