4. 消えた少年(1)
「サガシヤを辞めていただきたい」
鋭く尖った言葉が理解の追いつかない私に突き刺さった。
「……にいさん、それじゃあ何も伝わんないですよ」
ひどく重い空気を変えたのは一階の従業員の女性だった。いつも無気力なイラッシャイマセで出迎えてくれる彼女だ。
「にいさん……?」
「この人は佐賀さんのおにいさんです」
佐賀さんに兄がいたなんて。それも警察官で、弟の仕事場に来るような。
「失礼」
スーツを着こなした麻野さんはひとつ咳払いをした。
「貴女はここにいるべき人間じゃない」
彼は先ほどと同じ表情で言った。サガシヤに私が相応しくないのではなく、私にサガシヤが相応しくないとでも言うのだろうか。
「どういう意味ですか……?」
「サガシヤはとある組織に属している。俺も組織の一人です」
二足草鞋ということか。
「その組織に私が相応しくないということですか……?」
「簡潔に言うとそうですね」
従業員の女性は冷ややかな視線で麻野さんを見ている。この二人はまるで昔から知り合っているみたい。もしかしたら彼女は一階にいてもサガシヤの従業員の一人なのかもしれない。
ゴホン、一人で考え込む私を見かねて彼は咳払いをした。
「正確に言えば、貴女は組織に入る基準を満たしていないのです。」
「彼女を組織に入れるつもりはないよ」
階段の上から声がした。佐賀さんがいつもみたいに穏やかな顔をしてこちらを見ている。
「お前……」
「それでいうなら千宜も基準は満たしていないね」
麻野さんの顔が一瞬曇った。
「そう怖い顔しないでさ、もう少し仲良くやろうよ。警察官はみんなのヒーローでしょうに」
ニコッと笑う佐賀さんに負けを認めたのか、彼はため息をついた。
「お前、終わったのか?」
「あと少しだから、ネスティーの淹れたお茶でも飲んでてよ」
終わっていないのに戻ってきてくれたのか。正直、この人と話すのは怖かったから、来てくれて助かった。
「また来る」
立ち寄ると思っていた麻野さんはそう言ってすぐに出て行ってしまった。
「忙しいのかね」
「にいさん結構待ってたよ」
「悪いことしたなぁ。来る前に連絡くれればいいのに」
何事もなかったかのように、彼女は業務に戻っていく。
「あすみさんもおいで」
この穏やかそうな人と、あの怖そうな人が兄弟だなんて。二人は外見も少しも似ていない。本当に同じ家庭で育ったのだろうか。あの人は佐賀さんを「サガラ」と呼んだ。
「佐賀さんの名前は何ですか?」
麻野さんと兄弟、仕事では佐賀と名乗る。あなたは誰?
「名前なんて何でもいいよ」
そう言って佐賀さんは事務所に入ってしまった。
仕事に名前が必要か、かつて事務所警備員に言われたことが頭をよぎった。ああ、だからこの二人は一緒に仕事をするのか。同じ価値観を持つ者として。
「帰ったの、あいつ」
「えっ、あ、うん」
大きなソファーに姿勢よく座っていた仁穂ちゃんが安心したように息を吐いた。どさっ、音をたてて彼女の体はソファーを占領した。
「また来るって言ってたよ」
「来なくていいのに」
余程あの人のことが苦手なのだろう。その気持ちはよくわかる。威圧的で、何を考えているのか表情が読めない。その点で言えば佐賀さんと似ているのかもしれない。
「引きニート、お茶」
仁穂ちゃんは社長の椅子でパソコンをいじっている人を呼んだ。呼ばれた警備員は特に何も言わず、仁穂ちゃんのコップを持って控えの部屋に行く。彼の年齢は分からないが、仁穂ちゃんより年上であることに間違いはないだろう。それに彼は佐賀さんと一緒にこの事務所を立ち上げた初期メンバーなはず。上下関係は彼が上なのではないだろうか。
「いつものことだよ、仁穂ちゃんは女王様だから」
佐賀さんが隣の部屋から戻ってきて仁穂ちゃんの向かいに座った。
「その女王の唯一の弱点がさっきの千宜なんだよね」
「女王じゃない!帰る!」
横になっていた仁穂ちゃんは勢いよく起きて立ち上がった。
「今回のお給料です。大切に使いなさいね」
「馬鹿にするな」
仁穂ちゃんは封筒を差し出す佐賀さんを睨んだ。乱暴にそれを奪ってぎゅっと握りしめる。
「しばらくは学校の後出勤してね、千宜が来るかもしれないから」
「……」
二人は視線を動かさなかった。
「出勤しなさい」
同じ表情のまま、ただ声色だけが変わった。
仁穂ちゃんは目を逸らして自分の荷物を持った。
「送っていくよ」
「いい」
そのままバタンと音をたてて彼女は帰ってしまった。湯気が出ている仁穂ちゃんのコップを持った警備員が立っていた。
「反抗期だねぇ」
「鍵師はいつもあの調子じゃないですか」
警備員は佐賀さんの隣に腰を下ろして持っていたコップを私の方に置いた。
「あ、ありがとう」
いつも反抗期……。あんな風に生きていて疲れないのだろうか。周りのもの全部突っぱねて、友達はいるのだろうか。一緒に暮らす親御さんは大変だな。
「仁穂ちゃんにお給料手渡しするんですね。てっきり親御さんに管理してもらっているのかと思ってました」
私は仁穂ちゃん用に淹れてもらったお茶を飲む。
「仁穂ちゃんにとってはあのお金が生活費だからね」
「え?」
佐賀さんは彼女が出て行ったドアを見つめていた。
「仁穂ちゃんのご両親はいない。彼女は誰も待っていない家に帰るんだよ」
事務所の外で鳴くカラスの声が響いた。
「……他に親戚とかは」
「わからないんだ」
「わからない?」
「仁穂ちゃんは自分の親のことをほとんど知らない。覚えているのは父親と暮らした短い思い出だけ。あの子に別れを告げていなくなってしまったんだ」
佐賀さんの口調はとても優しかった。
「探している、あの子の父親のことも」
私は気が付くと泣いていた。
出会いが視えるなら、見てあげて欲しい。仁穂ちゃんがサガシヤにいる理由がお父さんを探すためなら、早く会わせてあげたい。
「仁穂ちゃんのお父さんは……どうしていなくなってしまったのですか?」
「あの子はあまり多くのことを話したがらない。よくわからないんだ」
そうだ、何かを思い出したかのように立ち上がって、佐賀さんは社長のデスクの引き出しを開けた。
「遅くなってごめんね。入社してからの分のお給料です」
かなり膨らんだ茶封筒を渡される。こんなに貰えるほどサガシヤが儲かっているとは知らなかった。
「ありがとうございます」
両手でしっかりと受け取って恐る恐る中を覗いた。
そこには大量の野口さんが納められていた。
「全部千円札じゃないですか!」
「あ、もうばれた。枚数多い方がいいかと思って」
呆れた顔で警備員がこちらを見ている。
何を考えているんだこの人は。私は思わず突き返したくなったが、せっかくの初給料なのでこのまま受け取ることにした。
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