3. 鍵を失くしたカラクリ箱(6)
「それでは考えていきましょうか」
広い机を囲んで私たちは座った。
「まずは、最後に確認できているのは昼食前かな」
朝に仁穂ちゃんを案内してからは彼女がずっと一人で作業を続けていたはずだ。
「待て、こいつが作業していると見せかけて盗った可能性がある」
「それはあまり現実的ではありませんね。小さい物ならまだしも、両手で抱えないと持てないような大きな箱をどこに隠して、どうやって持ち帰るんでしょう?」
「お前たちは車で来ているだろう」
「鍵はずっと手元にありました。ということは、私たちの共犯を疑っているということですか?」
佐賀さんはどこからか鍵を取り出した。キーリングからいくつかの鍵がぶら下がっている。
「そうだな。一度出たときにどこかに置いてきたのだろう」
なるほど、佐賀さんは腕を組んで頷いた。
「じゃあ警察を呼べばいい」
「ちょっとお待ちなさい」
静かに話を聞いていたトヨさんはお茶をすすった。
「私には未来がありません。お若いあなた方を巻き込んで、大事にしたくはありません」
警察を呼ぶ必要はない、トヨさんはそう言った。元々あれは旦那さんの趣味の一つ。開かない箱がなくなったところで大して変化がない。
「このお話はもうおしまいにしましょう」
なかったことに。旦那さんの最期の作品ごとなかったことにしてしまう、本当にそれでいいのだろうか。
「そういうわけにはいかない事情があるんですよ。少なくともサガシヤの疑いは晴らしておかないと」
穏やかだったトヨさんの表情が曇る。
「お時間を取らせたりはしませんよ。犯人はもう分かっていますから」
ニコッと笑ってから佐賀さんと仁穂ちゃんが顔を見合わせる。まさか、二人ともわかっているのだろうか。
サガシヤは犯人ではないとして、考えられる人は三人。この家の主である藤堂トヨさん。その孫の藤堂隼人さん。そして、水道の点検をした業者さんだ。いや、もしかしたら他に侵入者がいたのかもしれない。
「隼人さん、あなたですよね?」
「は?」
彼は勢いよく立ち上がった。
「どこに証拠があるんだよ!」
「色々ありますけど、そもそもあなたお孫さんじゃあないでしょう?」
衝撃的な発言が飛び出した。赤の他人が孫を演じていたということか。
「今回の依頼はメールと電話の両方からアプローチがありました。けれど、あなたはそれを知らなかった。では一体誰がメールから依頼をしてきたのでしょう」
一通り鍵を探したからわかる。この家にはパソコンはない。そして、トヨさんが携帯電話を使っているところは見たことないし、そもそも持っているのか怪しい。
「メールは彼にお願いしたのよ。この前に電話で」
トヨさんがそう言うとみるみる隼人さんの顔が青ざめていく。
「トヨさんの物忘れがあれば切り抜けられるとでも思っていたんですかね。トヨさんが忘れてしまうのは人の顔で、出来事は覚えているんですよ」
二日連続で訪れた私たちの顔を思い出せなかったのはそういうことか。一方で水道の業者さんが毎回トヨさんを起こしてくれるから、いつも同じ人だと判断出来ている。
「自分が孫に成りすませたからって安心してしまったんだろうね」
「適当なことを言うな!」
「じゃあ君はなんであんなに長時間外にいたんだい?」
「だから、蔵の整理を……」
「ずっと?ついさっきまで?」
「そうだって言ってるだろう!」
仁穂ちゃんの肩が小刻みに震えて、そして大声で笑い始めた。
「あんたさ、鍵かけた蔵で何してたの?」
こんなことになるとは思っていなかったけれど、彼女はそう言ってちょっとした仕掛けを話し始めた。
隼人さんが身元を偽っていることに何となく気づいていた二人は、食後に飴を買いに出かける前、蔵に寄っていた。ある程度片付けられたそこには隼人さんの姿はなく、扉が数センチ開いている状態だった。そこで鍵師である仁穂ちゃんは悪戯と防犯の気持ちも込めて鍵をかけてから車に乗り込んだ。
だから業者さんが来たあの時、蔵の中から気配を感じることはなく、扉は動かなかったのだ。
「盗んだ箱は外のどこかに隠してあるんでしょう」
「お、お前たちが盗んだんだろ!」
苦し紛れに隼人さんは叫ぶ。
「箱だけなんて盗まない。価値があるのは箪笥も含めてだよ」
馬鹿にしたように鼻で笑う。確かにあの箪笥の上を見れば、からくりがどれだけ複雑そうなのかはよく分かった。
「箱はすぐ開くって仁穂ちゃんが言ったから簡単に開けられると思っちゃったんだろうね」
かわいそうに、佐賀さんも同じように鼻で笑った。佐賀さんは立ち上がり隼人さんの耳元で何かを囁いた。
「数日かけて盗んだ他の物もすぐに返したほうがいい。トヨさんにはばれていないかもしれないけれど僕にはわかる。君がこの家で何をしたのか、全部、知っているよ」
「ちがっ……」
「他にあと五つ、イギリスのお人形とかね」
佐賀さんが何を言ったのか私たちには聞こえなかった。
その後、私たちは屋敷から少し離れた所に停められた古びた車に連れられた。人目には付きにくい場所だった。隼人さんはおとなしく車を開けて、盗んだものを全て屋敷に戻した。
お金がなかった。
盗みの動機を彼はそう言った。一度きりの犯行のつもりが、偶然にも見つかってしまって孫になりきることにした、と。
トヨさんの判断で警察は呼ばないことになったものの、これが完全犯罪にならなくてよかった。
「ごめんなさい」
隼人さんは畳に額を強くこすりつけて犯した罪を懺悔した。
一方、取り戻した箱の鍵を開ける作業を再開できた仁穂ちゃんは、宣言通り数分で鍵を開けた。
「まあ、懐かしい」
大きな箱から出てきたのは一つの簪だった。その箱に対してかなり小さい。トヨさんはそっと手を伸ばして簪に触れた。
「私があの人と初めて会ったときに着けていたものだわ」
ずっと昔の思い出を、最期の時まで大切に、大切に持っていたのか。これが旦那さんの遺したかった物。
「ありがとう」
トヨさんは笑顔で仁穂ちゃんを見た。佐賀さん、私、と順番に視線を合わせて最後にもう一度簪を見た。
「皆さんのおかげであの人にまた会えた気がするわ」
「一件落着だね」
無事に依頼を終えて、私たちは車を走らせていた。辺りはすっかり日が暮れている。
「でも本当によかったんですか、逮捕しなくて」
「僕たちは何も見なかった、それでいい。少なくとも盗られたものは全部戻ったんだし」
トヨさんに何度確認しても警察は呼ばない、と一点張りだった。それどころか、行く当てがないのならこのままここで暮らせばいいとさえ言っていた。
「老人の一人暮らしは寂しいのでしょうよ」
だからって一緒に暮らしたいと思うだろうか。自分の旦那の遺作を盗むような人間と。私には理解できない。
「人の行動のすべてが理解できるわけじゃないからね」
「心を読まないでください」
「顔に出ているんだよ」
見慣れた街が近づいてきた。街路樹が赤茶色に色づいている。
「あ」
「どうしたんですか」
「書類まだ書き終わってないや」
書類、昨日の朝にぼやぼやと取り組んでいた警察に出すあれのことだろう。
「は?」
「ごめん仁穂ちゃん、事務所に千宜がいると思う」
一瞬で仁穂ちゃんの表情が青くなる。その人は誰なのだろう。
「はい到着、事務所に帰りましょうね」
石造の如く動かなくなってしまった仁穂ちゃんを何とか車から降ろして、私たちは洋服屋のドアを開けた。
「イラッシャ……」
片言のいらっしゃいませを言う店員さんの隣に見たことのない男の人が立っていた。佐賀さんとは違って黒いスーツを着こなしているその人は、美しい姿勢のまま立ち上がった。
見たことのない……?
「この前の警察官!」
先日の姉弟の母親を逮捕した人だ。
「どんな事情があれ提出物の締め切りは厳守だぞ、サガラ」
「ごめん、まだ終わってないからすぐ書いてきます」
スーツの人は和服の人を鋭い目で睨んだ。佐賀さんはそのままそろそろと階段を上って事務所に戻っていく。
「鈴鹿」
「……はい」
「元気か」
「……はい」
仁穂ちゃんはこの人の顔を見ようとはしない。怖がる気持ちもわかる気がする。何だかこの人からは圧を感じる。
「先に事務所で待っていなさい」
仁穂ちゃんは言われた通りに、足早に階段を上って行った。一階に残されたのはこの人と従業員さんと私。
「初めまして、いや、お会いするのは二度目ですね」
身だしなみの整ったちゃんとした人のはずなのに、その内に秘められた敵意のような物を感じる。漠然とした恐怖だった。いつの間にか指先は冷え切って、全く感覚がない。
「特殊警察の麻野千宜です」
胸ポケットから警察手帳を取り出してこちらに見せた。
「端的に言いましょう」
私は何も言えずにただ彼の冷たい瞳を見ていた。
「サガシヤを辞めていただきたい」
お読みいただきありがとうございます!これにて第三話は完結になります。




