3. 鍵を失くしたカラクリ箱(5)
シンクには久々に役目を果たしたたくさんの食器がある。まずはこれらを水で流す。
午前中は一応鍵探しをしていたので、清掃員として作業ができてよかった。助手なんていう曖昧な肩書じゃ自分の役目が認識しにくい。実際今回は仁穂ちゃんの鍵師としての力があればいいわけで、私も佐賀さんも必要ないけれど。
「もし仁穂ちゃんがいなかったら……」
この広い部屋を隈なく探すのか。考えただけでも恐ろしい。
スポンジに洗剤を含ませて一番大きなお皿を手に取る。
いつも、どんな依頼にも、佐賀さんは冷静で余裕があるように見える。できないことはないという自信があるのだろうか。サガシヤとしてのあの人は適当な人ではない。だとしたら、その余裕も本物なのか。あの人はどんな依頼もこなせる人なのか。
「出会いが視える人」
一番最初の依頼で出会った智里さんは、佐賀さんのことをそう言った。その真偽は今も不明瞭なままだ。仮に、それが本物だったとして、それで依頼をこなせるのか。
「佐賀さんは何者なんだろう……」
何歳で、どこの出身で、どうしてサガシヤを始めたのか。そもそも佐賀さんの下の名前を知らない。
重たい泡がボタリと手から落ちた。
あの人は私のことを何でも知っていると言ったけれど、私は何にも知らない。
「やっぱりちょっと気持ち悪い」
ストーカーみたいだ。
蛇口を捻ると冷たい水が勢いよく流れた。
では、仁穂ちゃんは。あの子とは今日が初めましてだけれど、かわいらしい女の子、是非とも仲良くなりたい。お家はどこなのだろう。部活は、サガシヤで働いていることをご両親はどう思っているのだろう。どうやって鍵師としての腕を磨いたのだろう。
「すみませーん!」
不意に玄関から声が聞こえた。
「はーい!」
トヨさんを起こさないように気を付けながら返事をする。宅配か何かだろう。
「すみません、今日風呂場の水道点検の日なんですけれど、いいですかね?」
はて、そんなことを言っていただろうか。どうしたものかと一瞬ためらうと、業者の人は玄関に置かれていたカレンダーを指した。そこには水道点検と書かれている。先ほどの鍵探しの時によく見た、トヨさんの字に間違いない。
「わかりました。どうぞ」
そう言って私は業者の人を中に入れる。それでももし間違いがあったらいけないから、蔵にいる隼人さんに確認してこよう。私は小走りで隼人さんがいるであろう場所に向かった。
「隼人さん、お風呂場の水道点検の業者さんが来ているのですが、お間違いないですか?」
トヨさんは少し物忘れもありそうだから隼人さんに確認できるならその方がいいと思った。しかし、蔵の中から返事はない。物音一つもしない。それどころか、重そうな扉はぴったり閉じたまま少しも動かなかった。疲れてしまってどこかで休んでいるのだろうか。
「仕方ない、トヨさんに確認をとろう」
再び小走りで家に戻る。
「あら、サガシヤさん」
寝室に向かう途中の廊下にトヨさんがいた。
「起きられたんですね」
「ええ、業者の方が起こしてくださったわ」
「藤堂さんはこの時間いつもお休みですからね」
いつも寝室に入って起こしているんです。業者さんはそう言った。田舎の信頼感はすごい。東京だったら間違いなく即通報される。
「いつものことよ、心配しないで」
トヨさんは私を安心させるためか、もう一度言った。
「じゃあ、お片付けの続き、してきますね」
一度疑ってしまったことが恥ずかしくなる。業者さんからすれば、怪しいのは私の方だろう。私が去ったお風呂場から、トヨさんがサガシヤを紹介する声が聞こえてきた。
「サガシヤを紹介しても怪しい気がする……」
それから十五分ほどで業者さんは帰って行った。あの後、再びトヨさんは眠ってしまったようで、作業が終わった報告は台所にいた私にされた。
「ただいま戻りました」
ちょうど入れ違いに佐賀さんたちが戻ってきた。仁穂ちゃんはキャンディーがいっぱいに入った袋を持っている。
「お帰りなさい。トヨさんはまだ眠られています」
「じゃあ静かにしないとね」
口の前に立てた人差し指を当ててウインクした。
「クソキモイ」
私が思った言葉がそのまま仁穂ちゃんの口から放たれた。佐賀さんはいつもに増してキモイ気がする。もしかしてこの人は仁穂ちゃんに暴言を吐かれることに悦びを感じているのではなかろうか。
「開いたら呼ぶ」
私の横を通ってコレクションルームにまっすぐ向かっていく。仕事熱心で偉いなぁ。
「さて、続きをしようか」
「はい」
あと少しで仁穂ちゃんが開けてくれる、そう分かっているからとても気が軽い。そうだ、この機会にさっきの疑問をぶつけてみようか。
「そういえば佐賀さんって……」
言いかけている途中からドタドタと足音が聞こえてきた。その音はこちらに近づいてくる。
「ねえ!」
勢いよく現れたのは仁穂ちゃんだった。
「そんなに大きな音をたてたら起きてしまうよ」
「ないんだけど!」
「何が?」
私は聞く。仁穂ちゃんは何を焦っているのだろう。
「箱!」
一瞬、空気が凍った。
「ま、まさか。誰も立ち入ってないよ」
「じゃあなんでなくなるの」
「あんなに大きい物がなくなるかねぇ?」
「いいから見に来て!」
仁穂ちゃんを疑うつもりはないが誰も箱を動かすようなことはしていない。勝手に動いたとでもいうのだろうか。
「あらら……」
たくさんの高価そうな物があるコレクションルームの床には仁穂ちゃんの仕事道具が二つの塊に分かれて綺麗に並べられている。その二つの間にはあの箱が置かれていたのだろう。元々置いてあった箪笥の上にもそれはない。消えた、そう言いたくなるくらい他は少しも変わっていない。
「あの箱、固定していないと勝手に動いちゃうのかな?」
「そんな冗談言っている場合じゃないでしょう!」
ははは、と笑っている佐賀さんの目は笑っていない。
「これは困ったね」
この状況を見つかったら、仁穂ちゃんを筆頭にサガシヤが疑われかねない。何より、どんな鍵も開けてしまうというだけで十分怪しい。
「何かあったんですか?」
ひやりと背中を汗が流れた。このタイミングで戻ってきてしまうとは。
「どうやら悪い人がいるみたいですよ」
佐賀さんは躊躇わずに隼人さんに部屋を見せた。箪笥の上のからくりが丸見えになっている。
「箱はどこに?」
「なくなりました」
隼人さんは目をぱちりとさせて仁穂ちゃんを見た。
「お前が盗んだのか」
「そんなことしません!」
絶対、そんなことをするはずがない。今にでも掴みかかりそうな隼人さんの腕をつかんで
そう叫んだ。
「売ったら高そうって言ってたもんなぁ!」
仁穂ちゃんは落ち着いた顔で隼人さんを見つめる。
「なんとか言えよ!」
「まあまあ落ち着いて下さい。ちゃんと、全て考えてみましょう」
トヨさんを起こしてくるように佐賀さんは私に言った。三人は先に客間に戻っていく。一体どうなってしまうのだろう。まさかこんなことになってしまうなんて。
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