3. 鍵を失くしたカラクリ箱(3)
「おはようございます……」
木曜日ではないもののいつもの入り口が開いているはずもなく、狭く暗い裏口を通って事務所まで通勤した。肌寒いのも相まって一階はなかなか怪しい雰囲気を醸し出していた。
「六時って言っておいて五十分まで寝てるなんて信じられない……」
私はいつも通り奥の部屋で寝ている変態を見下した。
「社長は朝弱いですから……」
私の出勤に気づいてネスティーは起きたのに、この人はよく平気で寝ていられるな。
「んー」
この期に及んで寝言まで言うつもりか。
「あともーすこーし近づいてくれたら見えるんだけどなぁ」
変態は左目だけ開けて私を見上げた。その顔とか、色んな事に腹が立って私はグーで頭を叩いた。
「時間です、早くしてください」
いつかセクハラで訴えてやる。
「はいはい、じゃあ行きますかね」
変態は手早く支度をして事務所を出ていこうとした。
「ま、待って下さい! まだ鍵師の方来てないですよ」
「いいのいいの。仁穂ちゃんはいつも一階にいるから」
言われるがまま私は事務所を出て一階に下りた。薄暗い店内、カウンターの中に確かに人がいた。
「遅い」
その人はぶっきらぼうにそう言うとさっさと裏口に行ってしまった。そういえばいつの日か言われたことがあった気がする。気の強い女性が多い、と。その中にきっと彼女も含まれている。一目でそれを感じ取った。
「仁穂ちゃん、初めましてでしょ? ちゃんとご挨拶しなさい」
車に乗り込んだ私たちは早速目的地に向け出発した。
「呼び方やめろ。キモイ」
運転席とは対角線の後部座席に座った彼女は脚と腕を組んでいる。ショートヘアが似合う、ボーイッシュな女の子だ。
「まったく……」
佐賀さんはため息をついた。言葉遣いに問題を感じるが、佐賀さんがキモイことは間違いない気がする。
「この子は鈴鹿仁穂ちゃん、うちの看板娘で鍵師です」
「初めまして、笠桐あすみです」
隣に座る仁穂ちゃんはツンとしたままで、目すら合わない。とは言っても、集合時間を守って仕事に来るくらいには真面目な性格の持ち主なのだろう。
「今日の依頼はちゃんと分ってる?」
「……依頼者は藤堂トヨ。死んだ旦那の作ったからくり箱の鍵を開けて、その中身を見せること」
「さすが、予習は完璧だね」
誰かさんと違って。佐賀さんはわざとらしくそう言った。
「すごいですね、ちゃんとリサーチしてきて……」
私がそう言っても彼女は窓の外を見たまま微動だにしなかった。女子中学生とはいえサガシヤの正社員なのだから甘く見てはいけない。私には特別なことはできないけれど、助手としてやれることを精一杯お手伝いしよう。
「今日は朝が早かったおかげで道も空いていていいね。もうすぐ着きそうだ」
佐賀さんはそう言ってハンドルを切った。思わぬところに車を止める。ここはまだ目的地ではない。
「仁穂ちゃん、いつも通りどうぞ」
得意げに振り返って鍵師を見ると、彼女は険しい顔を向けてキモイという一言だけを放った。
「ここのコンビニで何か買うんですか?」
仁穂ちゃんはさっさと降りて店内に入ってしまった。
「仕事の時のルーティーンかな?」
降りて、佐賀さんに言われるがまま私も車を降りる。昨日とは違って少し暗い空。もしかしたら雨が降るかもしれない、そう言っていた朝のお天気お姉さんを思い出した。
「あすみさんも好きなもの選びな」
「いいんですか?」
ここで働きだしてからまともな給料を貰えていない私にとっては驚くべき発言だ。
「上限は五百円です」
当たり前のようにそう付け加えられた。先にコンビニに入っていた仁穂ちゃんのかごにはすでにたくさんの商品が入っている。チョコレート、クッキー、ビスケット、そして棒のついたキャンディーが七本。
「あのアメがなくなると彼女はお仕事してくれなくなるからね。先に思う存分買ってもらうんですよ」
ご丁寧に解説をしてくれる。私的には糖分の摂りすぎを心配したいところだ。
「会計」
仁穂ちゃんが財布を呼んで、私も慌てて欲しいものを手に取った。
「……なにこれ?」
「え?」
佐賀さんは私がレジに運んだ商品を指した。さきイカ、期間限定内容量アップの商品だ。
「イカですけど……?」
その答えに隣にいた仁穂ちゃんが吹き出した。思わぬ形で見えた中学生らしい笑顔につられて私も笑顔になる。看板娘、佐賀さんがそう言う理由がわかる気がする。
「まあいいや」
会計を済ませて車に戻り、私たちを乗せた車は再び目的地に向けて走り出す。車内には仁穂ちゃんの買ったお菓子の甘い香りと、私の買ったイカの香ばしい匂いが混ざり合っていた。
「ごめんください」
大きな玄関でそう声を上げる。陽が出ていなくても日向ぼっこをしようとする亀たちに仁穂ちゃんは興味を持ったようで間近で眺めていた。
「おかしいね」
昨日はすぐになにかの反応があったのに。今日は全く登場の気配を感じない。
「あら、どうしたの?」
背後から声がした。そこにはまだ幼そうな柴犬を連れた中年の女性がいた。赤い首輪のかわいらしい柴犬はここぞとばかりに大声で鳴き始める。
「あ、怪しい者じゃありません!」
私はとっさに説明しようとすると女性はふふふと笑った。どうやら説明しなくてもわかっているらしい。
「藤堂さんならさっき神社にいたからもうすぐ戻ってくると思うわよ」
「ありがとうございます」
「お兄さんハンサムね。さすが都会の人だわ」
ここの人たちはみんな佐賀さんがかっこよく見える魔法にでもかかっているのだろう。その証拠に仁穂ちゃんが恐ろしく冷たい視線を送っている。
「早く連れてきて」
「もう少し待てば来るよ。そんなにせっかちに生きるんじゃありません」
「あんたに口出しされるような人生なんて御免だ」
佐賀さんがキモイのもあるだろうけど、この二人かなり仲が悪い。この空気に巻き込まれるのは疲れそうだ。
「すみません! お待たせしました!」
私が対応を考えている間にどこかから隼人さんが現れた。
「蔵の整理をしていて気づかなくて。どうぞ」
かなり大変な整理をしていたようだ。隼人さんの額には汗がにじんでいて、体中に埃や煤がついている。
「サガシヤさんが来るってわかっているのにどこに行っちゃったんだろう」
「トヨさんはもう少ししたら神社から戻ってくるんじゃないかって近所の方が教えてくれましたよ」
「ああ、あそこですか」
「先に紹介しますね、彼女がうちの鍵師の鈴鹿です」
「子供ですか……」
仁穂ちゃんは少しだけ頭を下げた。
「子供でも、優秀な従業員ですから」
「はぁ」
不信感をちらつかせながらも私たちは昨日と同じ客間に通された。確かに仁穂ちゃんはまだ中学生だ。私もその実力は見たことがないけれど、そんな顔をわざわざ向けなくてもいいじゃないか。
「気にしなくていい、いつもだから」
私も顔に出ていたらしい。
「やる仕事は変わらないから」
隣に座る凛とした姿をかっこいいと思った。私は同じ年齢の頃、こんなことを言えただろうか。今でさえ、言える気はしない。
「できることがあったら何でも言ってください」
私は私の仕事を。補佐としてできる限りを。
「あら、そうだったわ」
隣室からそんな声がした。あの女性が言った通り、トヨさんはすぐに戻ってきた。
「ごめんなさい。私ったら、最近物忘れがひどくてねぇ」
トヨさんはそう言いながら客間に入ってきた。その姿に何だか既視感を覚えた。彼女が着ているのは昨日と同じ服だった。
「いえいえ。こちら鍵師の鈴鹿です。早速始めさせていただいても?」
「ええ、お願いします」
トヨさんは私たち三人に向かって深々とお辞儀をした。
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