3. 鍵を失くしたカラクリ箱(1)
先日の猫探し、正確には義母探しの依頼はいくつかの謎を抱えたまま幕を閉じた。
あの火事の原因は何なのか。警察の調べによると、放火の可能性を否定できず、かといって証拠もないために断定することもできないらしい。一時は元妻の犯行が疑われたが、彼女はホストで散財している最中でアリバイがあった。メディアによる追跡も、被害者が国外に行ってしまったこともあって、すぐに落ち着いてしまった。親戚でもない私たちに進展情報が流れてくるわけもなく、きっとこのまま終わってしまうのだろう。
あとは、佐賀さんの様子が最近おかしい。違和感に気づいたのは花島さんに突撃しに行った時だ。その帰り道、心ここにあらずというように、どこかぼーっとしていた。事務所で他の作業をしているときも集中できないようで、やっぱり何かを考えているようだった。
「佐賀さん」
「うん?」
呼べば一応反応はするようだ。
「手、止まってますよ」
「ああ、ごめん」
「警察に出す書類の締め切りは今日なんでしょう? 早く書いて出しに行かないと」
私はため息をつく。これでは清掃員というより秘書じゃないか。
「いいんだ、これは後で取りに来てもらうから」
「そうなんですか?」
その書類は警察に出すもの、ということしか知らなかった。書類の内容が先日の件なのかは把握していないが、あまり得意そうではないパソコンに向かい合っている。あまりに時間をかけるものだから、隣の部屋から事務所警備員の呪文のような声が聞こえてくる。なんて不気味な事務所だ。
「早く終わらせてあげてくださいよ……」
じゃないと呪われそうです。私は佐賀さんに耳打ちする。
「うーん、でもなぁ……」
やはりあまり身が入らないらしい。仕方なく思いながら控えの部屋を覗いてみる。
「パソコンなんてなくても生きていける。パソコンなんてなくても生きていける。パソ」
そっとドアを閉じる。
「お願いです、早く終わらせてください!」
私は社長のデスクに思いきり両手をついた。その瞬間、パソコンの隣に置かれた固定電話が鳴った。
「はい、サガシヤ事務所です」
佐賀さんは逃げる口実ができたと思ったのか、ものすごい瞬発力だった。だが、それ以上に瞬発力を見せたのは警備員だった。電話が鳴って、それに出たのが佐賀さんだと分かった瞬間に部屋を飛び出してパソコンを奪いに来た。この人はこんなに俊敏に動けたのか。
「はい、ご依頼ですね」
仕方なく佐賀さんは椅子から立ち上がり、その場を譲った。
「パソコン……」
警備員は目を輝かせてSNSをチェックする。するとその動きが止まって、餌を前にした動物のような表情から真面目な表情になった。
「ええ、分かりました」
「社長」
警備員は小声で佐賀さんを呼び、袖を引いて画面を見るように促した。思わず私もぐるりとデスクを回って画面を見た。そこには一件の依頼が入っていた。隣の県の田舎で失くした鍵を探してほしいという依頼。
「二件も同時に?」
佐賀さんは一人しかいないのに一体どうするのだろう。
「もしかしてネットからも連絡をくださった方ですかね?」
まさか、同一人物。依頼に少し嬉しくなってしまったのが恥ずかしいじゃないか。
「わかりました、今から向かってもよろしいですかね?」
画面上の住所を警備員はいち早く検索して、そこまでの最短ルートと所要時間を割り出していた。車で三時間強。私は免許を持っていないので必然的に佐賀さんが運転することになる。最近集中しきれない佐賀さんの運転で大丈夫だろうか。
「では昼過ぎにそちらに着きますので。はい、失礼します」
今からか。あなたはやらなきゃいけない書類がまだ終わっていないというのに。
「さあ行こうか、あすみさん」
いつもの三割増しの笑顔がこちらを向いた。なんて駄目な大人。
じゃあ今日の提出は無理になったからって伝えといてね。なんて言い残して事務所を後にした。佐賀さんがいなくなる(と言うよりパソコンを取り戻せる)ことに喜んでいた警備員はそれを聞いて一瞬にして青ざめていた。提出できないのはこの人のせいなのに、かわいそうに。
「結構遠いところまで行くんですね」
高速道路を通る車の数が少しずつ減ってきていた。いつの間にか大きい建物も遥か後方にある。
「サガシヤは依頼があれば世界にだって行くよ」
「えっ、行ったことあるんですか?」
「まあ、無いんだけどね」
ですよね。こんな胡散臭い事務所を信じる日本人がいるのですら驚きなんだから。
『なんでも探す』ことを生業としているサガシヤ。私もあの求人の紙と出会うまで全く知らなかった。SNSで宣伝しているとは言え、フォロワーはギリギリ三桁に届くか届かないかというところ。アカウントを管理しているのが事務所警備員ということもあって、関係ないゲームの呟きまでしていたりする。そのおかげで僅かなフォロワーのほとんどはゲーム関係だ。
「でも皐月くんは元々北海道に住んでいたんだよ」
「へぇ……」
東京から北海道なんてかなり遠い。そんなところから皐月くんは来たのか。
「……皐月くんって誰ですか?」
「あれ?まだ知らなかったのか。ネスティーだよ」
ネスティー、それは事務所警備員のネット上での名前だ。
「皐月くんっていうんですね」
なぜかずっと隠されていた彼の名前がようやくわかった。だけどこんなにあっさり聞いてしまっていいのだろうか。
「でも、皐月くんのこと名前で呼ばないであげてね」
「名前にコンプレックスがあるんですか?」
カーナビが間もなく高速道路を出ることを知らせた。
「ありきたりないじめだよ」
「いじめ……」
ちくん、と胸が痛んだ。
「同じ名前のかわいい女の子がクラスにいたみたいで、気持ち悪いって」
殴られ、蹴られ、金を巻き上げられて。便器の中に顔をつけさせられたり、吐かされたり。
「そしていつの日か引きこもりになった。自殺じゃないだけ幾分マシだね」
「マシってそんな言い方……」
「でも皐月くんには家にも居場所がなかった」
学校に通えない普通じゃない子供の親として、両親は彼を拒絶して何もしようとしなかった。一家の恥だと、むしろ隠すように振舞った。
「そのあと紆余曲折あって僕とこの事務所を東京に作ったわけですよ」
「じゃあ彼は最初からいる社員なんですね」
「僕と出会ったとき、彼はもうネスティーだったけどね」
そんな苦労をしてきたなんて。名前を口にされるのが怖いのも、コミュニケーションが苦手なのも全部そのせいか。それでも警備員は積極的にお茶くみをするし、話しかければだいたい返事をしてくれる。初対面のときに抱いてしまった印象を申し訳なく思う。
彼は戦っている。
「ネスティーは君とうまくやれているかな?」
「はい……」
彼は私のこと苦手に思っているかもしれないけれど、私は慣れてきた。少なくともこの駄目な大人よりもよほどいい人だと思っている。
間もなく目的地周辺です。カーナビはタイミングよく沈黙を破った。
「今回の依頼は鍵探し。小さいと探すのが大変だけど頑張ろうね」
「……そうですね」
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