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2. 愛猫(5)

 事務所を出て私たちは車に乗り込んだ。車内には昨日とはまた違う緊張が走っていた。佐賀さんはカーナビに目的地の住所を入力して車を発進させた。都内の一等地、高層マンションの一室にその人は暮らしているようだった。


「どうやって調べたんですか?」


 私は印刷された資料をパラパラとめくる。破いてしまったことを心配していたが、元々二部印刷していたようだった。


「うちには情報のスペシャリストがいるからね」


 そういえば昨日私たちが戻ってきたときに、調べたと言っていたような。あの時間で見つけてしまうなんて。事務所警備員に感心する。


「手に入れたお金で遊びまわっているらしいね」

「ホストにギャンブルって…」


 義母はかなり散財しているようだ。


「イルもその人のところにいるのだろうけど、ちゃんとお世話されているのかは怪しいかもしれない」


 後部座席に座っているゆいちゃんは一人で何かを考えているようで、ずっと黙っていた。彼女はどうするつもりなのだろうか。そうたくんを義母の下に行かせるつもりなのだろうか。


「そろそろ車を止めようか」


 駐車場の少ない都内で空きを見つけるのは大変だ。佐賀さんはカーナビをチラチラ見て、駐車できる所がないか探し始めた。高層の建物がずらりと並んでいる街は窮屈に感じる。このどこかに義母がいるのだろう。

 どうにか車を止めて、私たちは街を歩きだした。俯いたまま歩くゆいちゃんが心配でたまらない。


「この建物だね」


 広々としたエントランスが見える。セキュリティーの万全さは言うまでもない。どうやって中に入るつもりなのだろう。佐賀さんは何の躊躇いもなく義母の部屋番号を押した。


『はい?』

「お届け物です」


 佐賀さんはカメラににこりと微笑んでそう言った。なんて人だ、義娘を届けに来たとでも言うつもりだろうか。義母は何の疑いもなくエントランスのドアを開けてくれた。


「恐ろしい人……」

「入れたんだから問題なし」


 エレベーターに乗り込む。景色を見る余裕もなく、ただただ増えていく数字を見つめていた。どんな人が待っているのか、私の緊張はピークに達していた。何も言わないゆいちゃんはずっと両手を握っている。


「ここだ」


 私たちは息をのむ。インターフォンを押そうとしたとき、ドアが開いて誰かが出てきた。その人の肩が佐賀さんの腕にぶつかる。


「おっと、失礼」


 その白髪の少年は軽く頭を下げた。


「いえ、こちらこそ……」


 佐賀さんは少し不思議そうにしながら少年が去るのを見送ろうとしていた。


「ご、ごめんください!」


 玄関で私はそう叫ぶ。閉じてしまいそうだったドアを間一髪で引き留めることができた。これで、確実に話すことができる。


「はい、どちら様?」

「花島さんですね?お子さんのことでお話があります」


 玄関に歩いてくる女性に、私は強気で言った。ドアの隙間からゆいちゃんを見たのか、花島さんの表情が変わった。


「残念だけど、この子私の娘じゃないわ。帰ってくれる?」


 彼女は踵を返して部屋の奥に戻ってしまおうとする。


「そうたは……あなたの息子でしょ」


 ゆいちゃんは花島さんを睨んだ。見下すような顔をする様子を見て、それだけでこの二人の関係がわかる気がした。


「要らないのよ、子どもなんて。勝手に野垂れ死にすればいいわ!」


「そういうわけにはいかない」


 私たちの後ろから声がした。その人は佐賀さんの隣にスーツを着こなして立っていた。身長は佐賀さんほど高くはないが、筋肉質な体つきと冷酷な表情をしている。


「親は子ども保護する義務がある。入籍している以上、あなたにもその責任がある」


 その人は彼女に見えるように一枚の紙を広げて見せた。


「それと、花島勉が窃盗の被害届を提出した」

「は?」

「重要参考人としてあなたを連行します」


 彼のその後ろからさらに体格のいい男が二人現れた。いつの間に。その二人はまるでドラマのように警察手帳を見せ、部屋の中に入った。


「意味わかんない! 不法侵入よ!」

「こちら麻野、花島を捕らえました」


 花島さんの言葉を無視して、無線で連絡を取っているようだった。麻野、どこかで聞いた気がする。


「失礼」

 

 麻野さんは私たちにそう言って去って行った。去り際に佐賀さんと二人は目を合わせているように見えた。連れていかれる花島さんの悲鳴が遠のいていく。そしてエレベーターが閉まるとそこには緊張感のない静寂が訪れた。私たちの突撃はあっけなく終わってしまった。

 ニャー、部屋の奥から鳴き声がして、最初の依頼対象が姿を現した。毛並みは艶やか、どうやらちゃんとお世話をされていたらしい。ゆいちゃんは部屋に入ることなくその場でしゃがみこんで名前を呼んだ。リンリンと鈴を鳴らしてイルは彼女の腕に抱きしめられた。


「帰ろうか」


 佐賀さんはそう言っていつもみたいに笑った。


「……そうたがあんな奴のところに戻らなくて済んでよかった」


 一階に降りてしまったエレベーターを待っている間にゆいちゃんはそう口を開いた。


「そうだね」


 私はなんて言ったらいいのか分からなかった。だって、彼女たちは仮にも親が罪人になってしまったのだ。ゆいちゃんが嫌がっていた義父への連絡はきっとなされているだろう。盗難の被害届も提出していたようだし。連絡したのは、おそらく。


「外、すごい人だかりができているよ」


 街を一望できるガラス張りのエレベーターはまるでそのために作られているように感じた。

 花島さんを捕らえるために集結したパトカーが三台、近くには数人の警察官と何事かと集まった一般人がいる。砂糖の山に群がる蟻のように見えた。降下するにつれて黒い点の一つ一つが人になっていく。


「私たち、どうなるんだろう……」


 イルをぎゅっと抱きしめて彼女は呟いた。


「大丈夫」


 佐賀さんは彼女の頭を優しく撫でた。


「君には素敵な親がいる。家族は血の繋がりじゃないよ」


 そう言われてゆいちゃんはスマホを取り出して、裏側に貼られたプリクラを見つめた。まだ幼さが残るゆいちゃんとスーツを着た男の人が並んでいる。嬉しそうに笑って腕に抱きついている少女と、恥ずかしそうに笑う男性。二人はとても幸せそうに見えた。


「君がその人を大切に思うのと同じくらい、その人だって君のことが大切だと思っているから」


 ゆいちゃんはプリクラに写るその人に触れた。もうすぐエレベーターが一階に着く。ドアの向こうの人影に私と佐賀さんは気づいた。


「ゆいちゃん」


 彼女は顔を上げて私を見た。開いたドア。そこに、いるはずのない大好きな人が待っていた。


「なんで……いるの?」


 その人はゆいちゃんに駆け寄って、抱きしめた。苦しい思いをさせてごめん、来るのが遅くなってごめん、そうたを守ってくれてありがとう。そんな思いが伝わってきた。


「ゆい」


 その人は愛しい娘の名を呼んだ。


 その人の熱を感じて、肩の上の彼女の顔がくしゃりと歪んだ。大きな目いっぱいに溜めた思いが溢れて、まるでプリクラを撮った頃に戻ったみたいに、子どものようにゆいちゃんは声を上げて泣いた。






「おはようございます」


 誰もいない洋服屋はいつもに増して暗く、厳かな雰囲気だった。定休日の毎週木曜日はいつもこんな感じなのだろう。荷物の散乱した裏口から入ったために入店を知らせるベルもない。棒読みのイラッシャイマセがないのもさみしいものだ。


 さみしいと言えば、三日間一緒に生活したゆいちゃんたち一家も昨日ここを去ってしまった。お義父さんが迎えに来た後も二人はしばらくサガシヤにいた。あのまま逮捕された花島さんに関しての法的な手続きとか、仕事のこととか、私はよくわからないけれど色々あったらしい。傷つくかと思われたが、二人は元気だった。逞しいあの子供たちならきっと新天地でもうまくやっていけるだろう。たとえそれが遠く離れた海の向こうだとしても。


 私とゆいちゃんと二つの約束をした。一つはちゃんと周りの人を頼ること、一人で抱えすぎないこと。もう一つは自分を愛すること、そして自分のことも守ってあげること。


 大人の理不尽に負けないような大人になります、そう言って去った少女は今、どこで何をしているだろうか。


「おはようございます」


 サガシヤは君たちの味方だ。この人はそれだけで、鼓舞も別れも言わなかった。


「おはよう、あすみさん」


お読みいただきありがとうございます!二話はこれで完結です。

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