勘違いスタート
時は、ローズ・ウォーターと滝本純の戦いの日から遡ること五年。
滝本純、十四歳。山崎愛花、十三歳の頃の話である。
*
その日は、週に二度存在する体育の授業の日だった。クラスの女子達は皆更衣室に移動し、新しく買ったデオドラントスプレーだったり、週末にあった野球部の試合の結果だったり、様々な話題で和気藹々と会話していた。
そのなかで一つ。肩の辺りで切り揃えられた茶髪とエメラルドの如き翠の瞳が綺麗な少女、山崎愛花が仲良くしているグループでは、現在このような会話が繰り広げられていた。
「ミカ、アンタ発育良くない?」
「ええ~~そう? アタシなんかより……こっちでしょ?」
「あっ、コラ! 揉むな!!」
「うっわ、柔らか! ちょっと、リツも触ってみなよ!」
「どれどれ……凶器ね。銃刀法違反よ、お縄につきなさい」
「だからやめてっての! というかアンタ達もあるんだから自分ので満足してなさいよ!!」
十三歳。成長期真っ只中の女子たちは周囲の発育段階にも興味を示している。女子三人が姦しいやり取りをしている中、愛花は彼女たちとは少し離れたところで自分の胸元を見つめていた。
彼女には、一つ悩みがあった。それは『胸が一切成長しないこと』である。早い子では五年生頃から既に胸が膨らみ始めていて、今となっては既に大人顔負けのサイズに成長している子もいた。そんな中、愛花の胸は未だに絶壁のまま。
「やめろ~~愛花助けて~~」
「……ねえ、みんな」
「「「ん?」」」
和気藹々とした雰囲気の中、ただ一人神妙な顔をした愛花に、三人が訝しむ。彼女は視線を少し下に落としつつ、呟くように言った。
「やっぱり……胸は、大きい方がいいのかな」
友達の一人が思い悩んだような姿を見せたことで、残り三人は一転して彼女のフォローに回った。友達想いの良い子達で構成されたグループ故、こういう団結力は強い。特に彼女の場合、『言葉の背景』を容易に想像出来たのも大きい。
「いやいや、そんなことないって! こんなの重くて邪魔なだけだって!」
「そうそう! それに、『あの人』は多分ロリコンだから大丈夫よ!」
「ま、アタシら少し前までロリだった訳だし」
学年でも一二を争う大きさのカエデを筆頭に愛花をフォローしたものの、さりげなくロリコン扱いされる羽目になったことあの人こと滝本純。もっとも、彼自身は知る由もない事であるが。
「というか、それとなく聞けばいいんじゃないの? 男子もこの頃はTSFって騒ぎ出してるし、幾ら女に興味ありませんってな顔してても性癖の一つや二つはあるでしょ」
「……リツちゃん、TSFって?」
「乳・尻・太ももの略よ」
突然に妙な略語を作り出すリツの癖には慣れたつもりだったが、やはり突然来られると戸惑う。
「それとなく、直接かぁ……。確かに、それが一番早いかも。今日の放課後にでも部屋を訪ねてみようかな」
*
「ーーそういう訳だから、戦艦や空母は超重要なんだよ。そりゃあコストの問題で何隻も用意するのは難しいけどよ、だからって数ばっか揃えても相手の巨大戦艦にゃあ太刀打ち出来なくなるんだわ」
「そうは言うけど、やっぱり戦いってのは物量が大事だろう」
「あのな、あれはリアルな戦争じゃあなくてゲームなんだよ。ゲームの世界じゃゲームバランスとプログラムこそが法則なの。プログラム次第でアタリハンテイ力学なんて学問が生まれちゃうの」
昼休み。二年生のクラスでは滝本純と霧島輝がゲームについて話していた。純は同級生達より遥かにガッシリした体型とかなり短くカットされた黒髪の少年で、アキラはヘアーアイロンで整えられた金髪を定期的にかき上げながら話を続ける。
最近、純はアキラから海戦シミュレーションゲームを借りてプレイしていた。最初は半ば押し付けられたようなものだったが、段々と面白さを理解していき今では夢中になっている。しかし、途中から一向に勝てなくなり、既に最高難易度をクリアしているアキラに助言を受けていた。
「……ゲームの話になると人の分からん言葉を使うなお前は」
「ポ◯ケ村じゃあ常識なんだよ」
「俺はそんな常識知らねえ。まあ、とりあえず参考にはなったよ」
「おう。あ、後さ。お前秘書官誰選んだよ?」
「秘書官?」
ゲーム開始時に選べる三人の秘書官ーーお姉さんタイプのA、年下タイプのB、女友達タイプのCーー。ちなみにアキラは常にAを選択している。
「えっと、確かBだったな」
「やっぱりだ。性癖出るんだよな〜〜アレ。あの娘ちょっと山崎さんに似てるし」
「に、似てるか?」
「似てる似てる。髪型とか性格とか近いじゃん」
「愛花は『はわわ〜』とか言わない」
「お前萌え要素にリアルな観点で突っ込むのはタブーだぞ。……お?」
話をしていると、アキラが扉の方に目を向けた。純も釣られてその方を見ると、愛花がいた。
「遅かったな。今日はもう来ないかと思ってた」
「四時間目が体育なの。それより純、その……今日、部屋に行っていい?」
「ん? 別に良いけど」
普段は軽いノリで言うことなのだが、今日の愛花からは一種の照れを見せている。そこを少し妙に思いながらも、純は承諾した。
*
放課後。純は愛花を玄関で待機させ、軽く部屋を片付ける。愛花は『気にしない』と言っていたが、どれほど仲が良くても人を入れる以上ある程度の体裁は整えるべきだろう。一昨日はアキラが来たため幾らか散らかったが、その日のうちに机周りは整理したので、やることは少なかった。
が、一つとんでもないものが見つかった。
「あの野郎…………」
右の拳を強く握り、怒りを堪える。そこにあったのは、以前彼が草むらから拾ったという本。中学二年の少年達が本来手を出してはならないモノ。
とりあえず純は『Boinパラダイス』という名のソレをベッドの下、さらに奥へ滑らせた。これで彼女に見られてあらぬ誤解を招くことは無いだろう。
階段を降りて玄関へ行き、愛花を部屋に上げーーようとした時、母が居間から電話を持って出てきた。
「ごめん、先に入ってて」
*
愛花は純の部屋に入り、ベッドに腰掛けていた。
「どうやって持っていこう……」
今回の愛花は、明確に目的があってここに来ている。純が大きい胸が好きかどうか。それを確かめなければならない。しかし、それを聞き出すまでの話の運び方をどうするか、という課題があった。
しかし、普段の会話で何かを考えることなどまず無い彼女にとって考えた上で会話をすることは慣れないことだった。
「とりあえず、日頃からそういう事話してる霧島くんの話から繋げるとして……霧島くんと純はいつも一緒だから不審には思われないはずだから……」
こういう時、彼の存在は助かる。生真面目でストイックな純とは違い、欲望に正直なアキラは愛花からしても胸の内を明かしやすい。
そこまで考えたところで、愛花は自分の足元、ベッドの下から何かがはみ出ていることに気がついた。手に取って見るやいなやーー彼女は驚きのあまり「んえぇ!?」と間抜けな声を上げた。それと同時に、以前リツが話していたことを思い出す。
『ベッドの下は性欲の隠れ家よ。古今東西相場が決まっているし、実際お父さんとお兄がそうだった』
『あ、あまり隠してるのを見つけるのは良くないんじゃ……』
『隠されてるのは見つけたくなるものよ。TJH、トレジャーハンティングは人類共通のロマン』
『……トレジャーハンティングならTSHじゃないの?』
『弘法も筆の誤りよ』
『Boin Paradice』と題されたソレのページを、愛花はそっと開いた。
「ひ、ひぃぃ」
妙な声を出しながらもページをめくっていくが、その度彼女の瞳に映るは女性の裸体、裸体。それも皆かなりの巨乳。一秒ごとに自身の顔が熱くなっていくことを知覚しながらも、どうにか十ページ目までたどり着いた。そこにあったものを見た瞬間ーー。
「んひぃ!!」
遂に限界を超えた愛花が床に本を叩きつけた。それまでは女性のヌードだけだったのでギリギリ耐えられたが、ここに来て男性が女性と裸で何かをしている漫画が出てきたのだ。何をしていたかは分からないし、少なくとも今の自分には早いと彼女は認識していた。
愛花は本を元あった場所に戻すと、三回ほど深呼吸をして体と心を落ち着かせる。
だが、これではっきりした。やはり純も男の子なのだ、と。
「ごめん、遅くなった。お茶とお菓子持ってきたから、好きにつまんでくれ」
「あぇ!? あ、うん、ありがと」
「……ボーッとしてた? 暇にさせて本当に申し訳ない」
「い、いやいや! そんなことないよ、気にしないで!」
*
電話の相手はアキラだった。内容としては、『言い忘れてた大事な仕様の話』だった。隠しパラメータの存在、戦闘適正海域などの見逃しがちな仕様について、解説してくれた。それ自体は有り難かったのだがーー。
「『それぐらいの話なら明日でも良くないか?』って聞いたら、『今言っとかないと忘れるかもしれねえし、山崎さんと一緒にやるかもって思った』ってさ。愛花は別にゲームやらないからそうはならないって分かるはずなんだけどな」
アキラに対する小言を愛花に話す。親切心は良いが、タイミングを考えて欲しかった。そういった旨を話していると、部屋に入ってからというものの何処か惚けた様子だった愛花が口を開いた。
「『巨大な戦艦は狭い海域だと適性が下がって、小型の船舶はそういう地形でも動きやすい』っていうのはまあそうなんだけど、移動だけじゃなくて能力値にも補正がーー」
「ねえ、純」
「ん?」
さて、ここでこれから繰り広げられる会話について良く理解して頂くため、一つの情報を提示しよう。
愛花は例の本の衝撃のあまり純に直接的な事実確認を行うことのみに思考が行っていたため、『純のアキラとゲームの話を一切聞いていなかった』という事に留意して、以後の会話を読んで頂きたい。
「純はーーやっぱり、大きい方が良いの?」
「いや、そこは適材適所だろう」
*
「て……適材適所!?」
「ああ。さっきも言ったように大きい方が良い時もあれば小さい方が役立つ時もある」
「小さい方が役に……立つ?」
小さい方が役に立つ場面を想像する愛花。そこで思い出したのは、クラスの女子達が話していたことだった。
『百メートルのタイム落ちてた〜〜』
『アタシは伸びてた』
『……抵抗が無い人は羨ましいわ』
『いや、抵抗って! アンタも五十歩百歩でしょうが!』
「そっか……空気抵抗!」
「……よく分かったな。『抵抗値』っていう隠しパラメータがあって、それで同じグループでも速さが違ってくる」
どうやら正解だったらしい。パラメータ、とやらは良く分からないけど、多分男子間でのスラングの様なものだろう。
そう考え、彼女はそこには踏み込まない様にした。
が、まだ当初の疑問に答えが出たわけではない。
「まあ、今までのは全部アキラが言ってた事だけど。この話はアイツの方が詳しいから、また会った時に聞いた方がーー」
「霧島くんはいいよ。もうあの人については分かりきってるもん」
「そうなのか? まあ、それはいいとして」
「それで、純はどっちが好きなの!? 大きいのと小さいの!」
「す、好き? 好きと言われてもなぁ……」
当然だが、純は答えに困っている。眉間に皺を寄せ、顎に手を当ててしばらく考えた末にゆっくりと話し始めた。
「アイツは『大艦巨砲主義こそロマン』って言ってたけど……まあ、確かに気持ちはわかる。どっちが好きかで言われたらまあ……大きいの、かな」
「そう、なんだ……」
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帰り道、愛花は純の答えを反芻していた。
「『大きい方が好き』……かあ」
あの本を目撃した時点で予想していたことではあったが、純本人から直接本音を聞いたことで確定した。
玄関前で一度立ち止まり、自身の胸元に手を当てる。
「頑張ろう……!」
家に帰った後、彼女は母に豆乳を買ってくるように頼んだ(目的は一瞬で看破された)。
その後、彼女のバストは十八歳時点で八十八まで上昇するがそれはまた別の話である。