第三章(二)
「おい、夏波。部活に行くぞ」
授業が終わり放課後になる。
教室を出ようとした時、健一にそう声をかけられた。
「え? 今日は欠片捜さなくていいのか?」
いつもならこの後、欠片捜しをするはずだ。なのに部活へ行くとは、何か事情があるのだろうか?
「この前一つ見つかったし、今日はいいだろ。それに最近行ってなかったから、顔出してみようかなって」
あまり大した事情ではなかった。
「ああ、それもいいかもな」
「部活へ行くと、綾に伝えてくるよ」
「うん、よろしく頼むぞ!」
彼はそう言うと、まだ教室にいる綾の方へ向かって行った。
私は教室を出て、廊下に立ちながら彼を待つ。
やがて教室から出てきた彼は、廊下にいる私を見つけた。
「伝えてきたから行こう」
私は彼の隣に並び、部室の方へ歩いていった。
「うおお! やるな!」
「こちらもそう簡単に負けませんよ!」
部室に着くと、部長と柚希ちゃんがトランプをしていた。
「何やっているんですか?」
その光景を見て健一が訊いた。
「何って、ババ抜きだ」
部長が凛々しく答える。
ババ抜きって、二人でやるものなのだろうか。誰がババを持っているか、まる分かりになってしまい、面白くないと思う。
そう思っていた時、健一が、
「二人でやって、面白いですか?」
と、部長たちに訊いた。
私と同じことを思っていたと知り、少し嬉しくなってしまう。
「まあ、そこそこ……」
部長が濁しながら答えた。
「面白いですよ!」
部長の言葉を聞き、柚希ちゃんが即座に肯定した。
「ははっ、まあ……、そうだな。せっかく来たんだ、君たちもトランプしないか?」
「えっ、あの二人を誘うんですか? 私は千陽先輩と二人でやってれば、十分楽しいですよ」
「まあまあ、そう言うな。大人数のほうがゲームはより楽しくなるだろう?」
「先輩がそう言うのなら……」
柚希ちゃんはしぶしぶ了承した。
私、健一、部長、柚希ちゃんでテーブルを囲み、ババ抜きを始める。
各々にカードが配られた。
私は健一からカードを受け取り、柚希ちゃんにカードを引いてもらう立ち位置だ。
部長が柚希ちゃんのカードを引き、ゲームが始まった。
……………………。
…………………………。
ゲームは順調に進んでいった。初めに上がったのは柚希ちゃんだ。次に健一が上がっていった。
部長と私の一騎討ちとなる。
私の持ち札は一枚、部長の持ち札は二枚だ。
今は私が部長のカードを引く番である。
さて、どちらのカードを引くべきだろうか。
しばらく迷っていたのだが、意を決し片方のカードに手をかける。
「おっ、右のカードにするのか?」
こちらから見て左のカードを掴んだ時、部長に促すように言われてしまった。
そんな部長と視線を交わす。だがその瞳は何も語らなかった。
「どうしましょうね……」
「右のカードでいいんじゃないか?」
そう言われてもなんの参考にもならない。
別のカードに触れてみる。
「左にするのか?」
私から見たら右である。
どちらにすべきか非常に迷う。これで私の運命が決まるのだ。そう簡単に決められない。
無言で先程のカードに手を移動させる。
「うむ、やっぱり右か?」
私は右のカードを引いた。引いたカードはダイヤのJであった。
「やったー! 私は勝ったぞ!」
つい大声を上げてしまった。
「あちゃー。右のカードを引いてくれれば、私にも勝機があったのにな……」
部長がジョーカーをテーブルに滑らせながら言う。
「最後はとてもヒヤヒヤしました。またババ抜き、やりたいです」
「私も楽しかったよ。ありがとう」
部長と私は熱い握手を交わす。私たちは勝負を通して心を通わせていた。私たちはとても輝いているのだ。
「な、何ですかあれ……」
「知らん」
隣で健一と柚希ちゃんが私たちを淡々と見守っていた。
下校時刻を知らせるチャイムが鳴った。
「チャイム鳴っちゃいましたね」
柚希ちゃんが最初に反応した。
私と部長が心を通わせたあと、ババ抜き以外のゲームを何回かしていた。ちょうど十一回目の勝負が終わった時にチャイムが鳴ったので、帰宅するタイミングとしては、非常に良いものであった。
「それじゃあ、そろそろ帰るか」
部長がそう言った。
各々は帰ろうと荷物をまとめる。
「それではまた明日」
柚希ちゃんが部室から出て行こうとする。彼女は扉をくぐる前、私たちに恭しく礼をした。
私だけでは綾と健一のことを考えて起こってしまうモヤモヤに対処できなかった。そのため部長にこのモヤモヤを相談しようと考えていた。さっきのババ抜きで意気投合した今こそ、話を切り出す最高のタイミングであった。
「なあ、健一」
健一に先に外へ行っているように、と言おうとする。
「何だ?」
「先に昇降口で待っててくれ」
「なんか用事があるのか?」
「ちょっと……な」
直接言うわけにもいかず、私はぼやかして答えた。
「……分かった。早めに来いよ」
ぼやかして答えたのに、健一は私の雰囲気を悟って、あっさりと納得してくれた。一見無頓着と思われる健一の返答は、十分に私を慮った返答である。明らかにそうだろう。
「ああ、すぐ行くよ」
健一を見送った後、私は部長に向き直った。
「部長。ちょっと相談があるのですが」
「ん? 何だい?」
私の言葉を聞き、部長は優しく真剣な顔で微笑んだ。その笑顔にひと押しされ、私は言葉を続ける。
「け、健一と一緒に住んでいる女の子がいるのですが、一体どうしたら良いのでしょうか?」
私の問いに部長は目を瞬かせた。
「……その女の子っていうのは、君のことじゃないのか?」
「はい。違います」
部長はしばらくの間、こめかみを押さえ考えていた。
「君はその子と仲がいいのか?」
「いいほうだと思います」
「君はその子のことが嫌いか?」
「い、いえ、そんなことはありません」
彼女と二週間、一緒に過ごしてきたが、嫌な印象を持つことはなかった。むしろ、その人柄を好いていた。これから永く過ごしていけば、彼女と仲良くなれると確信していた。だからこんなにも悩むのだ。彼女に対する意地悪な感情と、彼女に対する好意の感情、この相対する二つの感情が、私を構成する歯車を揺さぶり、全体を止めようとしていた。私は決して彼女を憎んでいない。
「なら、君も一緒に住めばいいんじゃないか?」
「へ……?」
そんなの考えもしなかったので、素頓狂な声を上げてしまった。
「そうすれば君も同じ立場に立つことができる。悪い案ではないと思うよ。あとは君が一緒に住むと伝えられるかだけど……」
「伝えます!」
即座に答えた。これほど魅力的な案はなかった。一緒に住みたいと健一に言えるかなんて、その後の幸せに比べたら、考える価値もない。
「はは、そんな元気に答えるとは、何も心配しないでよさそうだな」
「はい! 相談にのってくださり、ありがとうございました!」
心持ちは軽かった。
部活からの帰り道、
「これから、健一の家に住んでもいいか?」
と、部長のアドバイス通り伝えた。
「……いきなりだな、どうしたんだ?」
驚きながら、健一は訊いてきた。
「どうもしない! 綾と一緒に住んでるんだし、私一人が増えたところで、問題はないだろう?」
「それはそうかもしれないが。……いや、問題はあるだろ」
「何があるんだ。言ってみろ!」
「それは夏波のお父さんとお母さんが、許可してくれるかだ」
「それは大丈夫だと思うぞ」
お父さんとお母さんは、健一のことに関してはやけに肯定的だ。
「本当か……?」
「ああ、本当だぞ」
そうこう話をしているうちに、家の前へ着く。
「今、聞いてくるからな」
そう言って私は自分の家に入った。リビングにお母さんの姿を見つける。
「お母さん、これから健一の家に住んでもいいか?」
「ええ、いいと思うよ」
即答であった。しかもそれ以上は訊いてこない。
「ありがとう! お母さん大好き!」
「お父さんにも伝えておくから、気をつけていってらっしゃい」
私は部屋へ行き、生活するのに必要な荷物を鞄へつめる。あれやこれやとつめていると、鞄から溢れてしまった。なので、鞄へ収まるように量を調節する。やっとのことで整った鞄を持ち、私は健一の家へと向かった。
健一の家に着き、台所を覗くと綾が夕食を作っていた。
「私も手伝うぞ」
「い、いえ。私にやらせて下さい。私は居候なのですから、これくらいの仕事はさせて下さい」
「今は私も居候だぞ!」
「で、でも……」
「いいから、私にも手伝わせてくれ」
彼女は少しの間逡巡していたが、やがて、
「分かりました。そこまで言われたらお願いしない訳にはいきませんね」
と、はにかみながら受け入れてくれた。
「うん! ありがとう! ところで今は何を作っているんだ?」
「今日の夕食は、肉じゃがです」
肉じゃが。私はあまり料理が得意ではないので、簡単なものしか作れない。というか、健一の朝ごはんを作る以外に、料理をしていない。そのことをすっかり忘れて、勢いだけで申し出てしまった。
こんな時、あの名ばかりの料理部がきちんとした活動をしていたらなと、思ってしまう。最後に料理部で、料理を作ったのは一ヶ月前だ。あの時は皆でクッキーを焼いた。調理中、部長が転んで小麦粉をぶちまけていた。あの人は完璧そうに見えるが、意外と気の抜けたところもあるのだ。
「わ、私あんまり料理は、得意じゃないんだ……。簡単な、私にもできそうなことはあるか……?」
「うーん、そうですね……」
と、彼女はいくつかの作業をあげた。その指示された仕事を、私は淡々とこなしていった。
私にあてがわれた部屋は、健一の部屋の隣にあった。中に入り、部屋を確認する。隅々まで綺麗に掃除されていた。おそらく綾が掃除したのだろう。
広さは健一の部屋と同じくらいであった。
今日一日、色々なことがあって疲れてしまった。早く布団に入りたい。
お風呂などの寝る準備は、もう済ませてある。
……お風呂に入る時、健一もここで身体を洗っているのかと考えてしまい、少しドキドキした。
照明を消して、床につく。
しばらく寝転がっていると、あることに気がついた。それは目の前の壁を超えた先に、健一のベッドがあるということである。
試しに壁をノックしてみると、壁の向こうからコンコンと返答があった。嬉しくなりもう一度ノックしてしまう。もう一度返された。
それを十数回繰り返していたら、返事がなくなってしまった。
流石にもう飽きてしまったのだろうか。そう思っていた時、壁ではなくドアからコンコンと叩く音がした。
私は布団から出て、ドアを開けた。
「そ、そろそろ勘弁してくれ」
「ごめん、ごめん!」
「もう遅い時間なんだ。夏波も早く寝たほうがいいぞ」
「ああ、そうするよ」
隣の部屋に消える健一を見送り、私もドアを閉める。
その日は眠るのに時間がかかった。
健一の家に住んでいても、私の果たす役目は変わらない。
ドアから健一の部屋に入る、というのは中々に新鮮であった。そろりそろりと抜き足差し足で健一の側に歩み寄る。
相変わらず寝顔は穏やかだった。
「ふふっ」
頬を撫でると、顔の筋肉がピクリと反応した。このまま撫で続けたら、健一は起きてしまうだろう。そうならないよう手を戻す。
布団を捲ると、健一の持つあの匂いが濛々と上がり私を撫でた。
そのまま、背を向けて布団の中に入る。自分から布団の中に入ってしまったと、ほのかに思いつつ、私はこの幸せに身を委ねた。
健一のすねをちょんちょんと足先でつついてみた。すると健一の膝は曲げられ、足はモゾモゾと動かされた。私の足は健一によって、絡め取られてしまった。
「んんっ」
健一の温かさが直接伝わってきた。
うとうと微睡んでしまう。このまま眠ったら、また健一に馬鹿にされるだろう。……別に馬鹿にされても良かった。