第一章(三)
朝六時、夏波は起床する。学校へ行くために起きるのには、まだ早い時間である。なぜ彼女はそんなに早く起きるのか。そう、それは健一を起こしに行くからである!
昨日の出来事もあり健一を気にしているのか、今日は朝ご飯を作ってやることにした。朝ご飯を作るのは、彼女の気が向いた時だけだ。決して毎日ではない。
早速着替えて、健一の家に行く準備をする。ベランダへ出ると、昇ってきた朝日が夏波を照らした。眩しさに目を細めてしまう。
目が慣れてきたところでベランダから降り、屋根瓦を渡って行く。油断すると滑って落っこちてしまうが、そこは慣れたものでスイスイと渡って行く。
「よっと」
夏波の家と健一の家との隙間はそんなに大きなものではなく、楽々飛び越えることができた。
健一の部屋の前まで来た。窓に鍵はかかっていない。健一には鍵をかけないように言ってあるのだ。前、鍵がかかっていた時があって、その時健一はコテンパに罵られていた。以降、窓の鍵は閉めないようにしているようである。
中に入ると健一がベッドで寝ていた。
「ふふっ」
スヤスヤと穏やかに寝ている姿を見て、夏波は思わず笑みを漏らしていた。
寝姿を見つめること数分、ハッと気がついて健一の部屋を出ようとする。あのまま、ずっと見つめているわけにはいかない。
台所に行き、冷蔵庫の中身を確認する。これならまともな物は作れそうである。早めに作って起こしてやるかと、思い夏波は料理を始めた。
「健一! 起きろ!」
夏波に揺すり起こされる。
「うぅん……。今、起きるよ……」
と言い、僕は上半身を起こす。
「よし! ちゃんと起きたな」
今日も夏波に起こされる。グワングワン揺さぶるものだから、頭が痛い。
「あの、もう少し優しく起こしてくれないか」
「えー、いつも優しいじゃないか」
これが優しいのか……?
「肩を叩くとか、他にお越しようがあるだろ。揺らすと頭痛くなるんだ」
「ん、それはすまなかった。次からはそうするよ」
分かってもらえたようで安心した。これで明日は痛みに迎えられることなく、目覚められるな!
「朝ご飯作っておいたから、早く食べろ!」
そう言い残し、階段を降りていく。
おお、今日は彼女の機嫌が良かったみたいである。たまに彼女はこうして朝食を作ってくれる。とてもありがたい。
一階のリビングへ行くと、そこにはスクランブルエッグ、ベーコン、サラダ、それと食パンが用意されていた。彼女の標準的な朝食である。
「いただきます」
「いただきます」
二人でいただきますを、言ってから食べ始める。
僕の朝食を作るついでに彼女は自分の分も作ったみたいだ。
パクパク、モグモグ。
僕が作った料理より美味しい。僕は料理が下手なわけではないのだが、彼女の作るものには敵わない。
食べ終わり、食器を台所へ持っていく。ふと食器洗いぐらい手伝おうと思ったので、一緒に来た彼女に声をかける。
「今日は僕が食器を洗っとくよ」
「いや、いい。健一はテレビでも見ててくれ」
そう言って追い返されてしまった。彼女のこういう責任感が強いところには、妙に感心させられる。
そろそろ、ホームルームが始まる時間である。なのに先生は来ていない。
そう思っていた時、教室の扉が開いた。
ガラガラ。
何故か隣のクラスの担任が入ってきた。
「えー、安積先生は本日、体調不良で学校を休んでいます。ですので、今日は私が安積先生の代わりをしたいと思います」
ははん、なるほど。入る教室を間違えてしまったのかと最初は思ったが違うようだ。
隣のクラスの先生は適当に二言三言話した後出ていった。
かと思うと、また戻ってきた。
何故かと思ったが、それは一限目の授業の担当は、隣のクラスの先生であったからである。ご苦労様です。
チャイムが鳴り、先生は授業を始めた。
六限目が終わると、放課後になる。
部活をしに行く生徒、帰りの支度をする生徒、教室に残ってお喋りをする生徒と、各々が自分の行動をする。
僕は自分の部活があるため、部室へ行こうとしていた。
「健一!」
後ろから声がかかる。
「少し待っていてくれ」
夏波も同じ部活に所属しているため、いつも彼女と一緒に行くことにしている。
教科書やノートを鞄に詰める。世界史、数学、物理…………そういえば、物理の先生であり我がクラスの担任である安積先生は、今日休んでいのだが、体調は大丈夫なのだろうか。他の先生が休んでもあまり気にしないが、あの先生に限っては心配になる。
「安積先生今日休んでたけど、どうしたんだろうな」
「うーん、風邪かな? この時期にインフルエンザってことはないだろうし」
「そんな酷くないといいんだけどな」
「他には……食中毒とか。あの先生拾い食いとかしてそうだしな!」
「ええ……、夏波は先生をどう見てんだよ」
「『わー、こんなところにチョココロネが落ちてましたー。いただきますー』とか言いそう」
「そんなアホな」
「じゃあ『美味しそうなクロワッサンが落ちてましたー。いただきますー』か?」
「どっちもないだろ」
「なんだ、どっちも嫌なのか。男らしくないな。男ならきっぱり決めろ!」
「なら『美味しそうなクロワッサンが落ちてましたー。いただきますー』で」
「ふふっ、『美味しそうなクロワッサンが落ちてましたー。いただきますー』を選んだ健一にはクロワッサンをやるぞ!」
夏波はどこからかクロワッサンを取り出した。
「ありがと……?」
「ありがたいか? 健一は食いしん坊だなぁ」
「これどうしたんだ?」
「昼休みに買ってきたけど、食べきれなかったんだ」
「ちなみに『チョココロネが落ちてましたー。美味しそうですー。いただきますー』を選んだらどうなってた?」
「違う! 『わー、こんなところにチョココロネが落ちてましたー。いただきますー』だ。『わー、こんなところにチョココロネが落ちてましたー。いただきますー』を選んでいたら………………。ババン!」
夏波は勢い良くチョココロネを取り出した。
「チョココロネだ!」
「見れば分かる。これも食べきれなかったのか?」
「そうだ」
「なら僕がもらっとく」
「いいぞ、いいぞ。やるぞ」
彼女の右手からクロワッサンを、左手からチョココロネを受け取った。
今食べる気はしないので教科書と一緒に鞄に入れる。そして最後の教科書をしまい鞄に蓋をする。
「よし! 準備できたな、行くぞ!」
「おー」
適当に返事をし、教室から廊下へ出た。
我が料理部の部室は、特別棟の三階にある。料理部といっても、毎日料理をしているわけではない。するのは、部員誰かの気が向いた時だけだ。では、それ以外は何をしているのか? 何もしていない。
部室のドアを開けると、そこにはいつもの二人がいた。
まず一人目、僕から見て右側に座っている、背が高く勝ち気そうな方は、我が部部長の世戸千陽さんだ。
次に二人目、部長と机を挟んで座っている、すばしっこそうな方は、後輩の良川柚希さんだ。
「二人とも何やっているんですか?」
部長は椅子に背を預けて、良川さんはだらりとした姿勢で、本を読んでいた。
「ああ、これか。良川さんが図書室から借りてきてくれたんだ」
「ども、借りてきました」
机の真ん中には、本が八冊から十冊積まれている。
「ちょうど暇だったんで、彼女に何かすることないかと尋ねてみたんだ」
「それで、私が読書を提案したんです」
「そうだったんですか」
「たまには本を読むのもいいものだぞ」
と言ったきり、彼女らは読書に戻ってしまった。
せっかくなので僕も何か読もうと思い、本を一冊手に取る。タイトルは、『手裏剣忍者のタイムマシン』であった。
夏波の方を見ると、彼女も気になった本を取り、読み始めていた。
本日の活動は読書であるらしい。
……………………。
…………………………。
読み終えた時には、辺りはすでに暗くなっていた。
いやはや、実に素晴らしい本であった。手裏剣忍者のシュンペイが、友達の侍を助けるためにタイムマシンを開発する過程は、涙なしではいられないほど感動的であった。このような本が存在するという事実に、僕は震え慄いていた。
「やっと読み終わったのか」
と部長に言われる。
「部長!」
「な、なんだ」
「この本、すごくいいですね」
と言い本を差し出す。
「なになに、『手裏剣忍者のタイムマシン』…………」
怪訝な顔をする部長。
「た、たしかにタイトルはちょっと変ですが、内容は素晴らしいですよ!」
「そ、そうなのか」
若干引き気味な部長。
少々熱くなりすぎてしまったみたいだ。
「それより、もう外は暗くなっているし、帰った方がいいと思っていたんだ。でも、君があまりにも真剣に読んでいるから、なかなか言いづらくてな」
「それは、すみません」
「はははっ、構わないさ。それより、彼女達のことなのだが……」
部長が指した方を見ると、夏波は椅子に寄りかかって、良川さんは机に突っ伏して眠っていた。
「ぐう……、ぐう……」
「すー……、すー……」
夏波にいたずらしてやろうと思ったが、昔いたずらして返り討ちにあったのを思い出しやめた。
「私は、良川さんのことを起こすから、君は中川原さんのことを起こしてくれ」
「分かりました」
夏波の近くにいき、肩を揺する。
「おーい、起きろー」
「うーん……」
「おーきろっ」
「ぬあーーーーーーーー!」
彼女はスッテンコロリンを演じそうな勢いで目を覚ました。
「はっ……、ここは……?」
「え?」
「私は宇宙船にいたはずなのに……」
何を言っているんだ。
机の方を見ると、彼女が読んでいた本があった。タイトルは、『宇宙人の人体実験 冷酷なる百の方法! ~彼らに捕まったら逃げるなんて到底不可能~』。
思いっきり影響されてんじゃねーか!
「そりゃ夢だろ……」
「ゆ、夢……」
「さっきまで寝てたし」
「えっ!」
彼女は、勢い良く窓の方を向いた。外は真っ暗だ。
「なはは! いつの間にか寝ちゃってたみたい」
「ああ。そろそろ帰るぞ」
「うん!」
部長の方を見ると、良川さんと共に帰る準備をすませていた。
「ここにある本は、明日図書室に返却してきます」
と良川さんが帰り際に言った。